好奇心・探究心が現実と調和してるとき、人は幸せを感じる
好奇心・探究心に衝き動かされるだけでは危うい。
現実に適応するだけでは生きた心地がしない。
夢か努力か、ロマンかソロバンか、理想か現実か、そういった二元論を脱構築しようとしたとき、現実を主体的に引き受けつつ自己を表現しようとしたとき、人は幸せを感じるのかもしれない。
好む者と楽しむ者の差分は「現実との調和」、「制約とのダンス」、「不自由を足場にした自由」ではないか。
深い人生の悲哀を動機とするとき、好む者から楽しむ者への意識の遷移が要請されるのではないか。