創作に人生救われてきた話

小学2年生の頃、進学塾で出された宿題を今でも鮮明に覚えています。

「あなたの一生を作文にして書いてきてください」

生まれてから小学2年生までだけではなく、未来の自分のストーリーまで考えて作文にするという宿題でした。
当時ガチガチに真面目だった私は「一生」という言葉をしっかりと間に受けまして、一週間で400字詰め原稿用紙70枚近くに渡り、自分が死ぬまでのストーリーをびっしりと書いて提出しました。
ラストは75歳の誕生日の夜、夫とお祝いの赤ワインを飲んで眠り、そのまま息を引き取るという感じだったと思います。我ながら小学2年生にして、どこでそんなムード設定を引っ張ってきたのか大いに謎です。
当時の先生は、提出箱の中に入った分厚さに驚きながらも、70枚の原稿用紙に赤ペンで線を引き、漢字や言い回しを直してくれたり、細やかにコメントを書き入れてくれました。
この宿題を出して、生まれてから結婚し家庭を作り、自分が死ぬまでを書いてきた生徒は私が初めてだったそうで、先生は「大変読み応えがあった」と言う言葉とともに満点の評価をくれました。
それが多分初めて文章を書いて他人から褒められた経験であり、今思えば私が「創作」として文章を書くようになった原点です。

自分の一生を考えたことにより、ストーリーを作ることの面白さに気づいた私は、とにかく教科書に載っている作品の続きを勝手に想像して書くようになります。
これが人生で初めての二次創作デビューだなと思ってたんですけど、もしかして本当の二次創作デビューって、自分の人生の二次創作なのでは……もしかして私って、二次創作するために生まれたのかな……。クレイジー……。
高校生くらいの頃、奇跡的にパソコンの中に残ってた小学生3年生の頃にやらかしてた一太郎スマイルのデータを見つけて読んでみたら、なんかとりあえず熱量だけはあるんだなという感じ。小学生の時からずっと熱量で生きています。
そのまま私は導かれるままに二次創作の道へとガンガン突き進むのか?と思われましたが、残念ながら小学生の私は中学受験という大イベントによってすべての気力を奪われます。
でも、中学受験があったからこそ今の自分があるのでそれなりにいい思い出。むしろ、中学受験で偏差値というものと出会ってからやっと「あれ?私はもしかして国語が得意なのかも」と気付いたので、やってよかったと思っています。お母さん、ありがとう。

受験を終え、中高一貫校でぼんやりと生きていると、再び二次創作の道に出会います。
そこから小説の同人誌を出すまでは、至って自然な流れでした。見よう見まねで自作のHPを作り、ネットのコミュニティに飛び込み、暇さえあれば書くし、暇がなくても書く。ここでもなぜか熱量だけはあった。
しかしそこでもまた、大学受験という鬼のイベントによって気力がまた奪われることになります。
ちなみに大学は美大を受験しました。突然。
元々絵を描くのは好きでしたが、中学の頃に靴のデッサンと、高校の時の平面構成的なものが妙に評価されたことがきっかけで、美大を目指しました。元々はぼんやり芸術学部に進むことを考えてたんですけど、私が勉強したいことはその芸術学部にはなかったと言うことに気づいた、という所も理由の一つです。突然。

本当に突然目指したので、親からは理解を示してもらえなかったし、周りに比べて実技のスキルが明らかに足りていない。その上、色々な事情から私には浪人という選択肢は存在しませんでした。
そこで、私はある作戦を立てました。
試験科目にあった国語、小論文で満点を取る。まぁさすがに、満点とは言わなくても8割は必ず取るぞと。
なぜならストイックに二次創作をやり続けたおかげか、国語の偏差値だけが突出していたので、これなら実技のマイナスをカバーできるんじゃないかと思ったわけです。
結果は運が味方してくれたおかげで、どうにかスレスレで滑り込みました。運と熱量。

希望通り美大に進み、美術やデザインのこと学ぶにつれ、余計に文章を書くことの面白さの方に関心が向くことになりました。
そのうえしがらみから解放されて色んなことに拍車がかかり、課題と二次創作に明け暮れながら、アイドルを追い、若手俳優を追い、ありとあらゆるエンタメを追いかける。本当に一通り追えるものはほとんど追ったような感覚。
もうそろそろ追えるものなくなったんじゃないかと思った頃に出会ったのが、ドラマでした。
そこで、脚本という存在にも出会います。
脚本はドラマの設計図のようなもので、セリフやト書きといったその場の状況を示す文章が書かれている。映像を文章に変換するということがいかに魅力的なことかと感動した私は、ゆっくりと脚本の勉強をし始めます。
いろんな講座に参加してみたり、実際にドラマ脚本を書いたりしました。まぁ今まで二次創作ばっかりやってきたけど、自分の手で一から生み出すのも面白いなと思えたとっても貴重な経験でした。
この時の私は、就活という自己肯定感ボディーブローイベントのせいで根暗に輪をかけまして、死ぬということもすごく身近に感じる日々。毎回人身事故のアナウンスを聞きながら、もし今私このホームと電車に開いた溝に落ちたら……と想像していた時期でもあります。そんなドン底から私を救ったのが、ドラマと脚本というわけでした。感謝。

こうして、ざっくりと私の人生の大きいイベントを振り返ってみると「書く」ことに何度も救われてきた人生だったんだな、ということがわかりました。
現に今、紆余曲折ありつつもありがたいことに文章を書いたりする仕事ができていて、だんだん自分がやりたかった仕事の方へと近付きつつあります。人生はとりあえずやってみるものです。

とはいっても、私の中では何かを文章にして書いて表現することは、特別なことではありません。そもそも日本語で文章を書くことなんて、日本語を勉強した人なら誰でもできる。
しかし、書くことをただのアウトプットの手段ということだけではなく、自分の世界を誰かに伝えたり、共有できる形にするために書いていきたいなと思うようになりました。
小説もエッセイもドラマも詩も、文章として表現されるものの力を信じ、これからも私の書く力もとい、創作する力を大切に磨いていきたいです。

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