いちねん

早いもので今日で兄の一周忌だと気づいた。

そもそもnoteに兄貴のことを書くとは思ってなかったし、前回書いたときはまだ母親に知らせてなくて色々気忙しかったんで、何言ってるのか、何が言いたいのか自分でもわからない文章で読み返すのも恥ずかしい。
そして多分この文章も仕事の合間にあわあわしながら書いてて、明日以降読み返すと恥ずかしいことになるのだろう。


兄妹仲が良かったこともないし、存在すらも忘れてしまいそうになるほど希薄な関係なのだけど、やはり死亡日時に「頃」と付いてるのを見た時はなんとも言えない気持ちになった。

命日について

兄の死を知って真っ先に思ったことは「やばい今は死ねない」だった。

生きることの緊張感が凄かった。

あと、それまではうっすらしか無かった死への恐怖というものがかなり具体的になってしまった。
「死ねない」と思ったのは、どこで何をしていたかわからないままで兄の存在を葬るのは家族としてよろしくないな、私が色々と動いて調べないと、と思ったから。
あと、やっぱりちょっと悲しかったから。
消息もわからず、誰にも知られずひっそりと死を迎えた兄の人生ってなんだったんだろう、と。

わかる範囲で兄貴の物語を自分の中で完結させたかったというか、誰かに伝える機会が無くても、兄貴の生きた軌跡くらい多少は知ってる人間が存在するべきだと思った。

お世話になった警察の方は親切な方で、時間を作って私の質問や疑問にわかる範囲で答えてくださった。情報は断片的なものではあったけど、私にはそれで十分だった。残念なのは遺品らしきもの、写真とか、そういうのが全く残ってなくて何も手元に来なかったので母に形見として渡せるものが無かったこと。

いつか兄が帰ってくる、と思ってる母に伝えるのも一年近く悩んで悩んでもう勝手に永代供養してしまおうか、まで思いかけたのだけど、やっぱりこの世で一番悲しんでくれる人にちゃんと悲しんで貰わないのはどちらも不幸なことだと思ったので出来るだけショックでひっくりかえったりしないように細心の注意を払って伝えた。


「死」は平等に誰にでもやってくるっていうけど、「死に方」は平等じゃない。毎日いろんな事件事故のニュースが流れてくるけど、そんな中で不運にも命を落とす人たちや、さっきまで普通に日常を送っていたのに突然亡くなる方、死の準備が出来てないのに命を落とす人の多さに兄の死を通じて、改めて恐怖してしまった。

関係が希薄な兄だったけど、どこか無意識に私の出来ない親孝行は兄に担ってもらおう(孫とか)と勝手に依存していた部分もあって、当初は何とも言えないプレッシャーが迫ってキツかった。一人っ子の人ってこのプレッシャーでずっと生きてるのか、と思わず一人っ子の友人たちを思い出して尊敬したのだった。

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