お盆

 八月十五日。昨日は眠れなかった。僕は自分の部屋のベッドに座って、ぼうっと時間が過ぎていくのを感じていた。朝のテレビでは、今日は雨が降りますだとか、明日からはまた仕事が始まる人もいますが、とかそんなアナウンサーの声が聞こえてくる。
 僕は一昨日からの彼女の姿を思い出して、日付を何度も確認する。八月十五日。二日たった今も彼女の姿は幻だったんじゃないかと思う。夢ならまださめないでほしい。これからもずっと。
「入っていい? 」
声がして彼女が姿を現す。彼女は昨日と同じように、白い長袖に膝小僧が見えるくらいのスカートを履いている。まるで日常みたいに僕の部屋に入って、おはように続いて、僕の名前を呼ぶ。
「ねぇ、まだ飴ある? 」
幼馴染みだった彼女は飴が好きだった。昔、僕は毎日飴をポケットに入れて、彼女と一緒に頬張った。そんなことを何回も何回も思い出した。
「机の上。」
「ありがと。」
彼女は飴を食べながら、昨日の夜一緒に借りに行ったDVDをカバンから取り出す。
「ねぇ、何観る? これ絶対観たいんだよね。でもこれもいいなぁ。」
 昨日より少し高い彼女の声を聞き流す。彼女はさっさと最初に見たい映画を決めて僕の隣に座った。それからさっきとった飴を差し出して言う。
「食べない? 」
「要らない。」
 僕たちは映画を見た。彼女の選んだ映画はよくわからない西洋のコメディ映画でヘタクソな大阪弁が吹き込まれていた。「そのケッタイな日本語なんとかしなはれ。」と主人公が言うたびに彼女は心底おかしそうにカラカラと笑った。僕はその映画の面白さが全くわからなかったけど、彼女のカラカラと言う笑い方が面白くて、懐かしくて、かなしくて笑った。
 彼女は口の中の飴がなくなるたびに新しい飴を欲しがった。そして僕に要らない? と聞き、その度に僕は要らない、と答えた。彼女はもうツボが浅くなっているからか、そのお決まりになった会話がまた面白いらしくカラカラと笑って、それにつられて僕もまた笑った。一本めの映画を見終わって僕は聞いた。
「なぁ、もう行きたいとことかないの。」
「いっぱいあるよ。でも人多いし、雨も降るらしいし。どこでもいいの。映画はどこにも行けるでしょ。」
 彼女が最後に言った僕の名前が少し震えてて、僕は黙って二本目の映画を流した。
 しばらく経って外からポツポツとが聞こえてきた。窓を覗くと雨が降っている。
「雨だから来ないんじゃない。」
と僕が言うと彼女は、
「来年も会えるよ。」
とかそんな答えだからよくわからないことをいい、僕はそう言うことじゃないと言いかけた口を閉じた。僕たちは黙って映画を見た。来年、本当に会えるのだろうか。明確な根拠がないことを彼女は気づいていないように、ずっと朝から夕方までカラカラとおかしな笑い声をあげた。彼女の選んだ映画はどれもコメディで、僕は時々彼女の見えないところでどうしてもこぼれた液体を誤魔化すように目を擦った。
 しばらくして、鮮やかな紫色をして割り箸が4本脚のように突き刺さった「茄子」が彼女を迎えに来た。茄子はまるで生き物のように彼女の前に腰を下ろし、鹿が座っているような体勢をとっている。それは喋らないのにどこか威圧感を感じて、目がないのにじっと僕らを見つめているように動かない。
 この時がいちばんきて欲しくなかった。頭がいっぱいになって胸が苦しくなる。声が出ない。彼女にかけようとしていた言葉が出ない。
「映画最後まで観れなかった。」
 彼女は僕との別れよりも映画をみきれなかったことが気がかりなようで、それでも映画すらどうでも良さそうだった。僕は情けないことにまだ声をあげられずに、彼女の動向をただ見守ることしかできなかった。
「飴あげる。」
 彼女が手元の飴を拾っておもむろにそう言った。僕はわずかに震える手を伸ばしてそれを受け取り、ガリガリと噛み砕いた。視界の端で彼女は目を見開いて驚いていた。僕は彼女の手元にあるもう一つの飴をむしり取って、彼女に差し出した。彼女が手を伸ばす。焦ったからか手から飴が滑り、地面に落ちた。
「落ちた。」
「落ちたね。」
「ドロップ。」
 外の雨の音と映画のエンドロールが混ざってやけにうるさく響いた。

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