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フォトエッセイ

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何気ない日常の中で、ふと気になってしまうモノ・コト。季節の写真を添えて、短い言葉にまとめたエッセイ集です。
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#自然

世界遺産「高野参詣道 三谷坂」を歩いて①【和歌山】

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」のひとつとして登録されている、高野参詣道 三谷坂。かつらぎ町三谷の丹生酒殿(にうさかどの)神社と、高野山の守護神・天野の丹生都比売(にうつひめ)神社を結ぶ、約5.5㎞の急登です。 古い時代、丹生都比売神社の鎮座する天野は聖地とされ、人の住むことが許されない地でした。神職はふもとの三谷に家を構え、そこから毎日、天野まで山の中を歩いて通っていたとのこと。その道筋が三谷坂なのだと伝えられています。 そんな歴史ある三谷坂を2024年4月半ば、紀州

南紀熊野 奇岩巡り① 「一枚岩」

10月下旬、家族で南紀熊野の奇岩を巡る旅をしました。 「南紀ジオパーク」としてユネスコにも認定されている一帯です。 最初に訪れたのは古座川町の「一枚岩」。 文字通り、板のような大岩が空に向かってそびえています。 高さは100m、幅はなんと500mもあり、日本の地質百選に選ばれた「古座川弧状岩脈」の一部だそうです。 体をそらすようにして見上げていると、なぜか大気が小刻みに震えているような感じ……。 2022年にはこの岩をスクリーンにして「大地を見上げる映画祭」がおこなわれたそ

翅脈

朝の陽に透ける、立ち枯れた紫陽花。痩せた翅脈にも見えるそれは、うっとりと目を細める生き物のよう。 でも、そんなふうに思う時、きまって私の中では、 「これは紫陽花だよね。生き物なんておかしいよ」 と、常識的な声が響いてくる。 長く生きていると、それまでの経験が学びになることが多い分、感性が既存の枠にガッチリと嵌められてしまい、そこから外れることをためらう気持ちが大きくなる。 ただこのごろは、敢えて逆らってみよう、自分の中から生まれる声に素直にしたがってみよう、と。 痩せた

春の雪

立春も過ぎた2月半ばのこと。朝、ベランダの雨戸を開けると、一面の雪景色が広がっていた。お向かいの屋根も、その向こうの里山も、いつも霜を撮りに行くお隣の空き地も、真っ白な雪に覆われている。 和歌山は温暖な気候なので雪が積もることはめずらしく、しばらくは窓を開けたまま、ほうっ、と風景に見入ってしまった。 「一晩でこんなふうになるなんて。何の音もしないままで」 雨が激しい夜は雨戸を閉めていても音でわかる。でも、雪はまったくの無音。不意打ちのように風景が美しく変わってしまったことに、

flow Essence

小学校に上がるくらいまで、私は自分が人間だということをとても不思議に感じていた。心が、何だか奇妙なかたちのなじめない器に入れられているような気がして、どうにも居心地が悪かった。 父と母と弟に囲まれ、ごく普通の平穏な毎日を過ごしていたのだけれど、ふと、狭い路地でひとり地面にらくがきをしている時、雨の日に留守番をしている時など、じわりと違和感が胸のあたりに湧き上がり、 「なんで、私はこの姿でここにいるんだろう」 人間のかたちをした体がまるでなじみのない器のように感じて、不安な気持

変遷

ここ数日、和歌山も本格的な寒さに包まれています。 北西の強い風が吹き、時雨がやってきたかと思えば、すぐに雲間から陽の光がこぼれ、さらりとした青い空に冬の美しさを感じています。 写真は、この冬初めての霜の花です。 和歌山は穏やかな気候なので霜が降りることは少なく、しんしんと冷え込む夜を迎えた日は、 「もしかして……明日の朝は霜を撮るチャンスかも!」 と、ひとりでワクワクしながら早めにお布団に入ることにしています。 自宅のすぐ近くの空き地にはエノコログサやイヌタデ、カタバミなど

超初心者のお手軽アウトドアチャレンジ①【体験】

今まで何度も手を出したくて、でも出せなくて、ためらっていたこと。 それはアウトドア。 もともと自然の小さな生き物や野の花を撮るのが好きなので、コンデジを手に一人で何時間も山裾を歩き回ることが多いのですが、 「アウトドアはハードルが高いな」 そんな気持ちがあり、踏み出せないでいたのです。 まだ幼いころ私は、父と母と弟、それから母方の祖父母やお知り合いの家族と一緒に、玉川峡や大台ケ原へキャンプに出かけていました。 祖父は中学の体育教師、父は住友金属にサッカーで入社していたことか

距離感

曼殊沙華を撮りに行った日はずっと、目の奥に朱の残像が滲んでいるような気がする。 奔放に反り返る深い朱色の花と向き合うと、あまりにも多くの表情が見えてきて、秋晴れの空や風になびく豊かな穂波などまったく目に入らなくなり、ひたすら曼殊沙華ばかりを追ってしまう。 彼岸花、死人花、幽霊花、捨子花、狐花……曼殊沙華の別名はおだやかではないものが多い。毒を宿していることもあり、どうしてもダークな雰囲気がつきまとう花だ。 光量を絞って撮ると陰影が深くなり、昏く底光りするような朱を放つのも、

命を生む庭【自然】

昨日からずっと、雨が降り続いている和歌山です。 こんな日はエアコンをつけると肌寒いし、でも、つけなければ湿度が高すぎて辛いし……。 結局、エアコンはあきらめ、扇風機をフル活用して一日を過ごしています。 夕方、メダカに餌をあげようと庭に出たところ、玄関脇の花水木でカタツムリの赤ちゃんを2匹も発見! どちらも親指の爪ほどの大きさで、殻はまだ半透明です。 住宅地の中にある、それほど広くはないうちの庭。小さな生き物がここを「命を生む場」として選んでくれたことが、とても嬉しくなりま

きれいに消える

朝、庭の病葉の陰に雨蛙がうずくまっていた。手足をぴったりと体に添えた姿はよくあるポーズなのだけれど、この雨蛙は何かちょっと様子がおかしい。背の緑が心なしか色褪せ、蒼ざめたように見える。 顔を寄せてみると、事切れたばかりの雨蛙なのだった。 雨蛙の姿はあまりに静かで、いつものようにうずくまったとたん、すうっと体から魂が抜け去った、そんな風に見える。 この世からあの世への変換は決して苦しいものではなく、ごくおだやかなものなのかもしれない。 ほどなく針の先ほどの茶色い蟻が、音もな

カマキリに祈る

真昼、庭のめだか鉢に日除けのすだれを掛けに行くと、咲いたばかりの百合の上に、若いハラビロカマキリがとまっていた。浅緑色のカマキリはきゅっと鎌を閉じて腹を高く上げ、照りつける夏の日差しに抗っているかのよう。百合の白い花びらにカマキリの影がくっきりと落ちて、それがまた別の生き物のようにも見えてくる。 炎天の中の緑と白と黒。自然が見せてくれる豊かな色の調和。 でもあまりに強い日差しは、カメラのレンズを通すと黒く沈んでしまう。 夏の初めには庭のあちらこちらで見かけた、幼いカマキリ