私の中にあるデジモンとの思い出

誰もが子供の頃に何かしらの作品に触れることになる。戦隊ものといった特撮であったり、日曜の朝にやっている子供向けのアニメなど様々だ。私も一般的に見られやすい戦隊ものやポケモンなどみんな知ってるものは見ていなかったが、その代わりにカードキャプターさくら、セーラームーン、デジモンを見て育ってきた。素晴らしい作品たちだった。今でも子供の頃の感動や興奮は覚えているし、デジモンに至っては内容のほぼ全てを綺麗に覚えていた。私はデジモンに育てられたと言ってもいい。そんな素晴らしいデジモンが20周年とのことで、なんと完全新作の映画「デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆」が2/21に公開されることになった。

新作の発表を見た時、率直な感想としては「もうやめてくれよ」というものだった。私にとってはデジモンは無印が至高のもので、triに至っては見た人の大多数が私と同じ気持ちだったろう。その後での新作となれば期待は出来なかったし、自分の中にある宝物のような思い出を荒らされ汚されたくなかったのだ。この時点で新作に対する期待値はマイナスにすら近かっただろう。

ところが、YouTube上にアップロードされていた予告編を見たら非常に驚いた。正直予告編で涙が溢れた。大人になっていく選ばれし子供たちの姿や、当時聞いたままの主題歌が使われ、大人になることでデジモンとの別れが待っている。この予告を見た時の感動を言葉にできるほどの語彙は持ち合わせていないので言語化は諦めるが、私と同じ気持ちになった人はきっと多かっただろう。私のデジモンの新作映画に対する期待値は非常に高いものとなり、初日に見に行くことを決意した。

しかし公開日直前に非常に私の期待値を大きく下げる出来事があった。公式が公開した15秒ほどの動画には、アグモンとガブモンが進化した姿が映っていた。しかも一瞬所ではない長い時間である。この進化した姿は最初に公開された予告編で、逆光によるシルエットのみ見せられていた。私はそれを劇場で見るのを非常に楽しみにしていたので、それを公開した公式のやり方に、身勝手ながら酷く失望した。あれではただのネタバレと変わらない。これに関しても1部ではあったが同じ意見のものは動画のコメント欄にいた。結局この会社のやり方はこんなもんなのか、と思ってしまい初日のチケットを捨てたくなった。

しかしなんとか気持ちを持ち直した。きっと今作の見所はもっと別にあるに違いない、だから公式はあえてデジモンの姿を見せたのかもしれない…と自分に言い訳をした。そして今考えれば多分そんなことは無かったのだろう。LAST EVOLUTIONとタイトルをつけておいて最後の進化をデザインを堂々と見せるかね普通。まぁそれはさておきなんとか気持ちを持ち直し、初日のレイトショーで新作を見に行ったのだった。

今回の映画に対する私の率直な評価だが、100点満点で言うなら55点が落とし所だった。これでも甘く評価している方だ。もう少し違う言い方をすれば、アニメ映画なら非常に高いクオリティでシナリオもまぁよく出来ていて面白いと言えただろうが、私が見に行ったのは「デジモンアドベンチャー」だったんです。ただ映画を見に行ったんじゃない。私が今回の映画に求めていた事とのギャップがこの点数を導き出した理由である。「勝手に期待して、期待通りじゃないから点数を下げるなんて何様だ」と思っただろうか?うるせぇ。

ネタバレめっちゃあるので気をつけて読んで欲しい。まず今回の映画は、全体として見れば55点だが、部分部分で見れば100点、いや500点つけたいくらい刺さるシーンもあった。私は今回の映画に「思い出」と「思い出があるからこそ生まれる感動」を求めていた。つまりそのふたつを私に与えてくれたシーンとそうでは無いシーンの差が私にとって気になって仕方がなかったのだ。

まず内容以外の感想を述べさせて頂きたい。作画に関しては非常に満足のいくものだった。キャラクターデザインも一新され、デジモンたちの戦闘シーンのクオリティも非常に素晴らしかった。そして声優陣の実力には非常に驚かされた。まずデジモンたちの声は無印のままだ。今でもあの声がそのまま出せるなんて信じられない。そしてそのおかげでとにかくデジモンたちが可愛いのだ。デジモンたちのやり取りはみていて自然と口角が上がってしまう。そして選ばれし子供たちの声優も素晴らしかった。特に個人的に1番素晴らしいと思ったのはヤマトの声優だった。細谷佳正(止まるんじゃねぇぞの人だと知ってめっちゃびっくりした)さんの演じるヤマトの説得力に圧倒された。あの当時の子供だったヤマトがそのまま大人になってくれた。そして何より主題歌である。無印のオープニングで使われていた当時のButter-Flyを劇場で聞けるとは本当に思ってなかったので、これはとにかく嬉しかった。これの為だけにもう一度映画館に行ってもいい。だが個人的な意見ではあるが、せっかくオープニングは当時のものを使ったのだから進化の曲も当時のものを使ってくれたらと思う。進化の演出も無印のものをしっかり踏襲していたのだから曲もそのままであって欲しかった。しかしアレンジバージョンも素晴らしいアレンジをされたものだったのでそこまで気にはならなかった。しかし、1度も無印の最終回で流れたButter-Flyを流さなかったのはいただけない。終盤に1度で良いから流して欲しかった。以上が内容の関わらない範囲での私なりの評価である。内容以外は非常に満足のいくものとなっていた。私にとって問題は内容の方にあるのだ。

まず冒頭30分は最高の名作の予感を漂わせていた。ボレロが流れる中街の電気が点滅するシーンは無印の映画の始まりを思い出させてくれる。そして平和な街に突如デジモンが現れる。あのパロットモンがまた街に現れるのだ。これもやはり映画を思い出させてくれる。そこに大人になった選ばれし子供たちが駆けつけ撃退するのだ。大和はガルルモンと共にバイクで駆けつける。そのシーンを見て彼らの成長と時の流れを強く感じさせてくれる。そしてパロットモンを撃退すればそのまま各々の日常に戻っていく。

かつてパートナーであるデジモンと共に選ばれし子供たちは冒険をしてきた。その経験は彼らにとってかけがえのないものなはずだ。きっと彼らも心の底でいつまでもデジモンや仲間たちと一緒にいたいと考えているのだろう。しかし現実はそれを困難にする。進学や就職を通して皆少しずつ離れ離れになっていく。それが大人になっていくということなのだろう。家元、医者、社長、小説家…など進む道を決めるものもいれば、太一や大和のように決めかねている者もいる。そのシーンを見てまた時の流れや成長、そして選ばれし子供たちを見ていた我々の共感を誘う。そして私の中で、この映画から名作の予兆はこの後から感じられなくなった。

太一と大和は2人で焼肉を食べながら飲んでいる。2人とも同じように進む道に悩み、かつての仲間たちとの冒険のことを懐かしみつつも、変わっていくことを受け入れようとしていた。そんな時に、世界中で選ばれし子供たちが原因不明の昏睡状態に陥るという自体が起こった。この事件を解決するべく、選ばれし子供たちの力を借りようという人物が登場する。メノアというデジモンを研究対象とする学者のようだ。ちなみにこのキャラクターの声優は松岡 茉優という役者だったはず。はっきり言ってヘタすぎる。声優って改めてすごい技術を持つ人達だと感心した。メノアは選ばれし子供たちの力を借り、この事件の元凶と考えられる「エオスモン」の撃退とその作戦の提案に現れたのだ。そこで太一、ヤマト、タケル、光子郎の4人はそのエオスモンのいるデータの世界に向かい昏睡した選ばれし子供たちの救出作戦を開始する。無論楽な相手ではなく、太一とヤマトはオメガモンの力でエオスモンの撃退を目指す。しかしそこで突如オメガモンにトラブルが発生する。オメガモンの動きが止まり、その上合体が解けただけではなく成長期ですらなくなってしまう。その原因もわからぬままエオスモンの逃亡を許してしまった。

この学者曰く、「選ばれし子供たちは様々な要因で成長し、その成長の際のエネルギーでデジモンたちも進化してきた。無限の可能性というエネルギーがあるからこそデジモンとのパートナー関係は続いてきた。しかし時と共に成長し、自分の未来を選択するようになることでその可能性という力も減っていく。そしてそのエネルギーが失われた時、デジモンとのパートナー関係は解消される。」とのことだった。当然ヤマトや太一は信じなかった。光子郎も受け入れられなかったようで、解決策を探すと決意する。太一とヤマトに残された時間は数日もないという状況のなか、なんとかエオスモンを見つけ皆を助ける方法を探る。その過程で、メノアも選ばれし子供であり、かつてパートナーのデジモンがいたものの、14歳という若さでそのエネルギーを失いパートナーを失っていたことが判明した。彼女は秀才で飛び級で大学にまで進み、そのまま自分の力で生きていけると喜んでいたが、それゆえ可能性の力を失いパートナーと別れたのだった。

細かな経緯は一旦省くが、今回の一連の事件の原因であるエオスモンはまさかの人工デジモンであり、その作成者がメノアだと判明する。招待を暴かれたメノアは全ての選ばれし子供たちを昏睡させるため一気に行動に出る。メノアは若い頃にパートナーと別れたことだけでなく、何年経っても過去のパートナーとの思い出に固執していたのだ。だからこそ、まだパートナーと別れていない選ばれし子供たちの意識をデータの世界に閉じ込め、パートナーとの思い出の世界で生きることこそが救済だと考え行動していたのである。しかし太一とヤマト、アグモンとガブモンは力を合わせメノアの策を止めるため最後の勝負に挑む。しかしメノアの作った人工デジモンとメノアの融合したデジモンの圧倒的な強さに絶望しかける。さらには思い出の中にいる選ばれし子供たちの妨害もあったのだ。

しかしアグモンとガブモンの強い説得と決意により、太一とヤマトは最後の力をふりしぼり立ち上がる。そしてここでタイトルを回収する。残り僅かなエネルギーを使い「最後の進化」に成功、メノアとエオスモンを圧倒する。そしてエオスモンと融合していたメノアを救い出し、さらには世界中の選ばれし子供たちを救い出すのに成功するのだった。

そして一連の事件の解決の後、残されたわずかな時間を太一とヤマトはパートナーと過ごす。何も特別なことは無い、いつも通りの日常といった会話だった。かき氷が食べたいと言うアグモン、ハーモニカを聞きたいと言うガブモン。二人の時間は終わった。いつも通り話しかけるようにパートナーに振り向くも、もうそこにその姿はなかった。

それでも日常は続いていく。太一とヤマトは自ら進む道を決めたのだろう、2人の顔に映画の最初にあったような迷いはなかった。2人は「もう一度、お前たちに逢いに行く」という強い決意を胸に生きていくのだった。(ちなみに太一は卒論のテーマを「人間とデジモンとの共生」にしていた)

以上がざっくりとした今作の内容である。まずメノアが出てきてからの展開が個人的にはいまいち刺さらなかった。正直デジモンという作品でそこまでクオリティの高い訳でもない陰謀などに興味はない。そしてぽっと出のメノアというキャラクターの救出シーンは特に感動もしなかった。普通の作品ならベタで感動できるのかもしれないが、そんなものはお呼びでない。選ばれし子供だった人間が過去に縛られ固執するという情けない姿など見たくもない。誰を主役にしているつもりなのか教えて欲しいくらいである。しょうもない陰謀をストーリーに組み込むくらいなら、純粋なウイルス種のデジモンが発生してくれる方が余程楽しめる。そして申し訳ないのだが、アグモンとガブモンの最後の進化の姿が正直ダサい。なんだあれは。オメガモンの後に出すクオリティでは断じてなかった。また、ストーリーにおいて整合性が完全に取れていたとは思えない。未来に広がる無限の可能性というエネルギーが尽きることでパートナー関係が解消される、とのことであれば、太一やヤマトより先に光子郎や丈が先に別れが来て然るべきだ。丈は医者という進路を既に決めているし、光子郎はすでに社長だ。飛び級で大学に入ったメノアが14歳で別れているのなら、光子郎と丈がお別れをしない理由が見つからない。まして太一とヤマトは進路に悩んでいたシーンが明確に描かれていたのだ。にも関わらず家元に進むことになった空は映画の中で太一やヤマトより早くにお別れをしていたのだから、いまいち納得できない点ではあった。また、本編でお別れまでの時間が減っていく過程でゲンナイさんと出会う。ゲンナイさんに太一はパートナーとの別れのことを問い詰め、それが事実であることを突きつけられる。その時ゲンナイさんは「君たちにまだ無限の可能性があるのならあるいは…」などとまだパートナー解消にならない可能性を匂わせていたが、それに関する話はその後1度もなかった。事実パートナー解消されたし。

冒頭の名作の予兆を感じなくなってから今まで1度も良い評価をしていないが、これは主にストーリー全般に対する評価なのでもうどうしようも無い。もちろんその合間合間に良いシーンは何度かあったが、根幹の部分が受け付けないのは事実だ。しかしこのままではあまりにも…な感じなので、冒頭以降でよかったシーンをいくつか上げておく。やはりエオスモンと戦おうと太一とヤマトに訴えかけるアグモンとガブモンには自然と涙が流れた。それは紛れもなく子供の頃見ていた無印で幾度となく見てきた姿だったからだ。そして私が個人的に特に刺さったのは、ヒカリの首に下げていたホイッスルを太一が全力で吹くシーンだ。デジモンを見てきた大人達なら何も感じないはずがない。やはり過去作のオマージュを感じさせるシーンは良いものだ。

私は今回の映画に思い出を求めていた。そしてそれは確かに冒頭の30分くらいはそれをたくさん与えてくれた。だからこそ素晴らしいと感じたし、それ以降は私が求めていたものとの不一致があった為に評価が厳しくなっているのだ。もちろんそれは私の中での問題なのはよく理解している。今回の映画を絶賛する人がいたところで、それは私とは違う見方をしていただけだ。今回の映画に新しいものはひとつも求めていなかったのは随分前に書いた通りだ。正直過去作のオマージュたっぷりでも何一つ文句はなかったし、そうでなくとも無印最終話のように大人になった選ばれし子供たちとそのパートナーたちがお別れする姿を見れたらそれで良かったんですよ。そんなにストーリーとして高度なものは求めていなかった。

今回の映画は私から見れば55点くらいの映画、と言ったが何度も言うようにこれは個人的な評価だ。アニメとしてはべつにつまらない訳でもなかった。子供の頃に見た無印の思い出に固執している点では、私もメノアと同じなのかもしれないですね。でもそれは太一やヤマトだって同じだと思いたい。いくらアニメの話とはいえ、私も幼い頃彼らの冒険を見届けた。彼らの気持ちはわかっているつもりだし、きっと私と同じような大人も沢山いるでしょう。老害と言われればそれまでだが、大人になりながらも過去の思い出を愛でることも許されるはずである。私は今回の映画で、「昔の思い出に浸る最後の機会」を求めていたんですね。今回はそれが満足に叶わなかったかもしれないけれど、それでも昔からのファンを喜ばせつつ、かつtriなどから見始めたであろう新たな層の方々をも満足させようとした映画の姿勢は見事だった。

今までデジモンを支えてきた声優さんやアニメーターさんなど全ての皆様、そして東映さん。デジモン20周年おめでとうございます。そして20年間ありがとうございました。


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