愛情宅配便①

はじめて宅配便が届いた日

東京で一人暮らしを始めてまもなく、母から電話が来た。「荷物を送ったから受け取ってね。」それまで札幌の実家に住んでいたので、母から荷物を受けとるなんて初めてのこと。当日は朝からそわそわし、部屋の掃除をしていても車が通るたびに宅配便がきたのかと気になって仕方がない。

お昼過ぎ、チャイムが鳴った。来た!
荷物を受け取り部屋の真ん中へダンボールを置く。
伝票に書かれた母の字を見てなぜかホッとする。
ガムテープをはがして開けた瞬間、眼にしたのはギュウギュウと溢れんばかりの食材。ジンギスカンの肉や新鮮な魚、母手作りのミートソースや炊き込みご飯。私の好きなものばかり。ふと不自然にトイレットペーパーがいくつか入っていて、手に取り思わず笑った。クール宅急便だからしっかり冷えているのだ。

後から聞くと、荷物の隙間を埋めるために入れたんだって。さすがお母さん、生活の知恵。そういえば「仕事へ行くときに使いなさい。」と鞄が送られてきたこともあった。もちろんこちらも冷えていた。

ホタテ事件

それから数ヵ月後、出張で釧路へ行った父から宅配便が届いた。入っていたのは殻つきのホタテや特大ホッケ。私は小さいときから魚介類が大好き。さすがお父さん、分かってる~。
さっそく100均で買った魚焼き器でホタテを焼くことにした。久しぶりのホタテから眼が離せない。少しずつ口が開いてきた。もう少しもう少し。口が開いたところで殻をはずし酒と醤油をほんの少しいれる。いい匂い。

お皿を取ろうと振り向いた。
...あれ?

なんだか周りが白く霞んで見える。眼をこすってもう一度部屋を見渡した。まだ霞んでいる。さっきまでは普通に見えていたのに。不安になって右目を隠したり左目を隠してどちらの眼が見えないか確認をする。どちらも見えない。どうしよう。

動揺して部屋を歩きまわるうちに気がついた。
あれ?なんかこの部屋、白くない?

そう。原因はホタテから出る煙。考えると、北海道に住んでいたときも殻のままホタテを焼くのは屋外バーベキューの時くらいだ。
結果、私の眼に問題はなかったこと、室内で浮かれてホタテを焼くと部屋が煙で真っ白になることを学んだ。一部始終を面白おかしく母へ伝えたつもりだったけれど「殻つきのままホタテを送るなんて。」と父はちょっと叱られたらしい。ただ、娘に喜んで欲しかっただけの優しい父へ心のなかで謝りつつ、この日のことを秘かにホタテ事件と呼んでいる。

そんな娘思いの父は定年を迎えてから料理に目覚めた。今でこそ帰省すると「明日はナポリタン。明後日はあんかけ焼きそばにしよう。」と腕をふるってくれるけれど、それまで台所へ立つ姿を見たことがなかったので父のお手製ハンバーグが送られてきたときは驚いた。さらに食べているうちに何かがとろりと溶けだした。チーズだ!まさかの隠れチーズにもう一度驚き、そして喜んだ。父の大きな手で作るハンバーグは「さえパパバーグ」と呼び、いつも届くのを楽しみにしている。

荷物だけど荷物じゃないもの

それから少しして両親が送ってくれる宅配便は、近くに住む姉の家へ届くようになった。初めて荷物を姉から受け取ったとき、レジ袋に母の字で大きく「佐江子さんへ」と書かれていた。人に見られるとちょっと恥ずかしいやつだ。帰り道、あまりにも重くて両腕がとれてしまうんじゃないかと思ったほど。荷物をおいて何度か休憩していると「佐江子さんへ」が眼に入った。なんだか、お母さんらしい。と可笑しくなると同時に母がそばにいるように思えた。そしてふと、この荷物には両親の思いが詰まってるんだ。そう思った途端、重いことがへっちゃらになって力が湧いてきた。

我が家の冷凍庫事情

家に着いて電話をする。「お母さん、有難う。大切に食べるね。」「なんでもいいから、冷凍焼けする前に早く食べなさい。」正解。私は勿体無くてなかなか食べられないタチなのだ。

肉や魚など冷凍庫へ入れていくと毎回いっぱいになってドアが閉まらない。閉まったとしてもドアが自然に開いてくる。ときにはパチンコ玉のように枝豆がバラバラと落ちてきたり、小分けに冷凍しているご飯が重みをまして凶器のように落ちてくることも。
なのでどうするかというと、食材を取り出すときはまず、落ちてこないようにドアをゆっくり開け、目当てのものを取りだす。他の食材をバランスよくいれ直し、最後は催眠術をかけるかのように左手で食材たちへ落ちてこないように気を送りつつ、右手ですばやく閉めるのだ。もう、これで誰もか我が家の冷凍庫を完璧に扱えます。おっと、外泊するときは念のため冷凍庫のドアをガムテープで開かないようにすることもお忘れなく。

母のおにぎりとおこげ

東京の生活に馴れてきた頃、母に「何か食べたいものはある?」と聞かれた。ウニもいいな。やっぱりイクラかな。色々考えたけれど一番食べたかったものは、母のむすんだおにぎりだった。そう伝えると次の宅配便におにぎりが幾つも入っていて温めて食べるとなんだかほっとした。

母はよく炊飯用の文化鍋でご飯を炊いてくれた。結婚したときに頂いた文化鍋は50年もの。私はその文化鍋で炊くご飯が好きで、母は時々、炊き込みご飯も作ってくれた。
火をつけ少しするとカタカタ鳴り出す鍋の蓋。鍋のなかから聞こえるぐつぐつという音、ぶくぶく溢れ出る泡。醤油の香ばしい匂いが家じゅうに広がり食欲をそそる。火を消して蒸らす時間が待ち遠しくて仕方ない。そして、私の楽しみはここから。母が鍋つかみをして文化鍋をテーブルへおく。蓋を開けると立ちのぼる湯気。お米がつやつやしている。しゃもじで鍋の底から混ぜた瞬間。あった!おこげ!「おこげのおにぎり食べる?」「食べるー!」おこげがあると喜び、無いと心底がっかりした。昔から、おこげと母のむすぶおにぎりが大好きだ。

にしん漬け

もうひとつ私が好きなもの。それは北海道の郷土料理にしん漬。母の漬ける漬物だ。実家に住んでいた頃、興味本位で手伝いに立候補したことがある。母曰く「雪が降る少し前に漬ける。」そうで、その日も雪が降りそうなくらい風が冷たかった。

寒さで手を真っ赤にしながら身欠きにしん、キャベツ、にんじん、大根を塩や米麹などを順番に大きな樽へ詰めていく母。最後に重しをのせて完成。3週間ほど保存する。私はというと、寒いし手はかじかむ(凍えて動かなくなる)し、随分前の段階でギブアップして家のなかへ逃げこみストーブの前で手を温めていた。今考えると根性がなかったなと思うけれど、そんな私を尻目に漬物をつけてくれる母のお陰で毎年、ちょうどいい塩梅に浸かったにしん漬けを口にすることができる。

年末年始の朝は「にしん漬け、とってきて。」という母の声で、玄関の外にある漬物樽を開ける。薄く氷の張っているにしん漬けへ手をのばしボールにとると、手がかじかんで泣きそうになる。そうして「寒かったぁ。お母さん、見て!(冷たくて)手が真っ赤!」と台所にいる母へボールを渡しながら、同情と労いの言葉を貰おうとするのが私の得意技だ。北海道の冬の時期にしか食べられない貴重な漬物であり、食べるときには必ず母の姿が思い浮かぶ。

  
                 つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?