福ちゃんと島ちゃんの故郷を訪ねる旅~車中⑥~

とみ子さんの運転で車を走らせてすぐ目の前に飯舘村の景色が広がる。高い建物が無いので遠くまで見える空は青く澄みわたっている。自然豊かな飯舘村。
今は広大な農地に多くのソーラーパネルが設置されているのが目につきます。

昨年、とみ子さんの旦那さまは長い旅へでられた。働きもののお二人はいつもお互いを思いやっていて、ラブラブ。いつも周囲は今日もご馳走様ですと幸せのおすそ分けをもらっていたし、こんなラブラブな夫婦がいるんだとほっこりすることも多かった。

旦那さまが長旅へ出てからというもの、とみ子さんは気丈に振る舞っていらっしゃるけれど、私なんかには分からない深い悲しみのなかにいて。だけど心と身体を奮いたたせ毎日、しなくてはいけないことに向かいあっていらっしゃった。

福ちゃん島ちゃんの生まれた場所へ向かう最中、とみ子さんは教えてくれた。
「あの建物あるでしょ。あれはね、お父さんが建てたのよ。」「あそこに牛舎が見えるでしょう。あれもお父さんが建てたの。」
それは大工の旦那さまが携わった建物だった。至るところに点在している旦那さまの建てた建物。私には飯舘村に散りばめられたとみ子さんへの宝石のように輝いて見えました。

「見て。この緑、綺麗。」愛しそうにとみ子さんがそう言った。その方向へ眼を向けると青々とした牧草地が広がっている。誰かが手入れしてくれていたからさらに綺麗に見えた。本当に。


同時に現実へ引き戻される瞬間が度々訪れる。もう一つの景色。それは残念なことに。悲しいことに。悔しいことに。まだ飯舘村のあちこちにたくさんの黒いトンパック(除染土が詰めのられたフレコンバッグ)が積まれているのだ。


この日の帰り道、何度か飯舘を訪れている私も通ったことのない初めての道を通った。本来、豊かな畑がある場所には黒いフレコンバックが置かれていて、それがずっと続いていたのだ。思わず言葉に詰まってしまった。
「前より少なくなったわね。」とみ子さんがそう教えてくれた。

あちこちにある放射線量を図るモニタリングポストを見ながら、とみ子さんは「ここはまだ高いね。」「ここは低い。」と確かめるようにつぶやく。


少しでも放射線量が高いと「ここに長居は無用よ。」と車を走らせてくれました。
聞いたところ、とみ子さんも自分の身を守るため放射線量を計算しているとのこと。

本来であれば、手放しで喜べるはずの何気ない風景。豊かな緑。自然。作物。
福島第1原発事故後は福島市などの村外で育てられていた「いいたて雪っ娘かぼちゃ」は県内のイオンなどで販売され、昨年からは“故郷”の飯舘村でも耕作が再開された。もちろん厳しい検査を通って。

放射線量と戦いながら飯舘でかぼちゃを作るとみ子さん。たくさんの応援団がとみ子さんを、いいたて雪っ娘かぼちゃを、そして飯舘村を応援しています。

そして私もその一人。これからも応援団の一人として歩かせて貰いたいです。

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