福ちゃん島ちゃんの故郷を訪ねる旅~手を携えて⑧~

まず初めに。今回この旅に声をかけてくださったアニキ、本当に有難うございました。そして、てつやさん、けんさん、ケイコさん、仲良くしてくださり有難うございました。皆さんのお陰さまで自分らしくいられた2日間だったように思います。

アニキ、てつやさん、けんさんは、まるで三羽烏の3人で。やんちゃな子どもがそのまま大きくなった感じ。見ているのが楽しくて笑ってばかりいたような気がします。締めるところはきっちり締め、緩むところは緩みっぱなし。少年のような心を持った皆さんと出会い、この1泊2日でイタズラ好きのやんちゃなお兄ちゃんが一気に3人できたような気持ちになりました。山梨から福島までの安全、安心の運転も有難うございました!

お母さんのようなケイコさん。
ケイコさんの好奇心旺盛なところやフットワークの軽さ、一つも聞き逃すまい見逃すまいとビデオと写真を撮り続ける姿。私もこんな風に歳を重ねていきたいと思いました。早起きしてのおにぎりや、たくさんのお菓子の差し入れを有難うございました!次回会えるのはケンさんのライブかなと。今から楽しみにしています✨


度々訪れる機会のあった福島ですが、今回初めてご一緒させて貰った皆さんとの出会いや行かせて貰った場所が私のなかで、まだ知らない福島を知る機会となり学びとなりました。

福ちゃんと島ちゃんに一度しか会ったことが無いため、何も分からない私がご一緒させて貰ってよいのだろうかとも思いましたが、知らないことは学んだり、教えて貰おう。ご縁があるなら行かせて貰えるはずと思ったときに参加することができました。

福島のなかでもまだ帰宅困難区域になっているところは放射線量がまだ高いことから、横道に入れないようにバリケードがされている。人の住まなくなったお家はガラスが割れ、少しずづ朽ちはじめ、雑草は伸びきっている。帰宅困難地域に入るためにバリケードに立っている人に受付をしマスクをして入らなくてはいけない。信号も止まらずに窓を開けないで走り抜けなくれは行けない場所もあるし、少し中へ入れば黒いフレコンバックがたくさん並んでいる。モニタリングポストで放射線量を見ながら生活している人もいる。

戻りたくても戻れない方々は、一度も離れたことのなかった土地から避難しなくてはならなかった。大事なものを置いて。否応なしに。避難先では不便な生活と馴れない土地で人間関係をつくらねばならず、福島から避難してきたことを隠して生活を送る人もいたと伺った。故郷を想いながら戻ることができず、なかにはこの8年で故郷へ帰ることを諦めた人も。

今もなお、1日に三千四百人以上ものひとが原発の作業に関わっていること。被爆牛たちがいること。町を復興させようと頑張っている人たちがいること。
まったく聞こえなかった子どもの声が聞えるようになって嬉しいんですと笑顔で喜ぶ人がいることも私は知らずにいた。

とみ子さんに会うといつも生きる姿勢を学ばせてもらう。大きな心でひとりひとりを受け入れてくれる器、包み込んでくれる懐の深さや温かさ。哀しくても悔しくても何度でも立ち上がろうとする諦めない心。そしてどんなに悲しくて辛くてたくさんたくさん泣いているのに見せてくれる笑顔。

私はいつも「人としてどのように生きていくべきか。」をこうして人生の先輩方に教えてもらっている。日々、持っているいのちを燃焼させ、使命を全うしようと歩き続ける諸先輩に習い、私も今、生かされて生きていることに感謝をしながら毎日を過ごしたいと思っています。

私はすぐに忘れてしまう人間で、見てきたことやその時感じた大切なことを、もとの生活に戻ると抜け落ちたり零れ落ちたり忘れてしまうことが多い。
だからまだ残る自分の思いを書くことによって少しでも長くとどめておきたいと思うし、覚えていたいと思っている。

鳥の鳴き声だけで、空が青いだけで、風が吹くだけで
緑が豊かなだけで、そこに住めるだけで素敵なことですごいことなのだ。家族が、友人が、そして大切な人がいることが、ありふれた日常が、本当は何にも代えがたい幸せであり、宝ものなのかもしれない。

そう感じている今を、心を忘れないよう書いているメモがこのnote。

福ちゃんと島ちゃんの故郷を訪ねる旅で出会った人、もの、ことに心から感謝しています。皆さんのお陰さまで大切なものを発見したり確認できました。

この世界は悲しみのためにあるわけではなく幸せになるためにあるもの。この道をとおって幸せになるのだと信じ、同じ時代を生きている皆とこれからも手を携えて歩いていきたいと思います。

いま、ここに幸せを見つけ、自身の命の使い方を考えながら。

出会いに感謝。

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