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母であるが故…葛藤。

最近じゃ小学校は、対話会といって
保護者だけで集まり(円の字になって)
我が子の将来に対し、いま現状抱えている不安や
悩みはないかなど、担任を交えて話す時間を
頂けるのだ。

私もこの春、6年生になったばかりの息子の
対話会に参加した。
集合時間になっても、全員は揃っていなかったが、そのまま始まった。

10分後ぐらいに、一世代上に見える母親が
入室してきた。
悪びれた様子どころか、着席すると同時に
ママ友といきなり大きな声で話し始めるではないか!?
おっとなんとも凄い貫禄だ!!笑

どうやら遅れた理由をつらつら述べている模様…。
周りはあっけにとられつつ、対話が再開。

一人ずつ意見を発表する番になった。
私が2分ほど話した後に続き、その母親の
番になった!

…。
娘が深夜まで携帯をし寝るのは夜中。
それはもう毎晩だそうで、自分が先に寝てしまうし
どうすればいいのか?といった内容だった。
しかも思春期に入りあまり干渉したくないのだとか…。

私は呆気に取られながらも
そっと彼女を見つめていた。

だが、

なんだか様子がおかしい…。

あっ





涙ぐんでる。

そして、ますます
声を震わせながら話すのだ。

私は悟った…。
このお母さんが今、とても子育てに苦しで
いることを…。
こんな不安定な感情が、たちまち教室内を
包みこみ、辺りはシンとしていた…。
それと同時に私の目頭もすごく熱くなっていく…。

引き続きこの母の訴えに耳を澄ませていると、
どうやらその6年女児には、もう1人の姉がいて
その姉は、登校拒否をしているらしい。
しかし、妹は嫌がらず寝不足でもちゃんと学校に
行くのだからそれだけで十分だろう?
ねぇ先生!!!
といわんばかりの主張を、涙ながらに20分以上
訴え続けていたのだ。

私は元々情に弱い(特に子ネタ)にはすぐ涙腺崩壊。
その場でもただ1人、私だけが、もらい泣き
なんなら、その場で名刺でも差し出して
「どうぞ」とカウンセリングルームへ
ご案内したくなるそんな気分であった。

結局のところ、学校教育とは…
集団生活の中に強制的にねじ込ませ
自己主張を封印し、がんじがらめの
校則の元で管理していく。

うまく(適応)ハマらなかった場合、
その責任はすべて母親ただ一人に向けられる

担任含む、界隈の親たちからは、
常にダメ親のレッテルを貼られ
どこにいても、好奇の眼差しが突き刺さる
その苦しみや歯がゆさを思うと何とも耐え難い…。

改めて、私が支えたい人たちが
こんなにも身近にいるでは無いか!驚きと共に
いかに、私たちが人に弱音を吐くことを
恐れているのか…を実感したのだ。 

だからある意味この母は、

とても勇敢である。


対話会が始まる前から、注意獲得行動をし
既に
人からの関心を自分一人に向けさせたのだから。

しかしそんな表現が出来ない人にとっては…。
この当たりの日常こそ、決して当たり前でない
大きな不安やストレスの元凶なのだ。

やはり、侮っちゃいけない。
普段は元気そうにしている人でもね。




さいごにもうひとつだけ。

全部、お母さん一人の責任にしないで。
そしてお母さんひとりに何もかも抱えさせないで。

横の繋がりで共感しあうこと、支え合えること、
これ以上の安心感がほかにあるだろうか。

同じ母として、そしてカウンセラーとしても
私はいつまでも貴方のお話を聴いていたい…。
そう思わずにはいられなかった。


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