西のビッグオジ 1
西のビッグオジの訃報は、東のビッグオバの葬儀の2日後の朝だった。
と言っても、葬儀の後、一泊してから京都に行っていたので、体感としては家に帰った次の日の朝だった。(お布施をもらいに行った)
母がスピーカーホンで大音量で会話していたので、通話の様子から大体のスケジュールがわかった。亡くなったのはつい数時間前であり、明日の午後6時から通夜があり、明後日の昼に葬儀がある。やけに早いな〜〜と思ったが、そもそも人が死んだ後はこれくらいのスピード感だったな〜〜とぼんやり考えた。癌という病に死後の準備を考える時間がそれなりに持てる一面があるのは、ビッグオバの相続問題でなんとく察している。
正直私は疲れていた。ビッグオバの葬儀において、フッ軽に動ける人間が限られていたからである。私はもともと繊細めの気質ながら、感情の起伏抑えめでやけに気がつく性格なので、道中のナビや荷物運搬など、さまざまな雑務を担当していた。それが結構疲れる。母と妹は大雑把な性格なので私の性格が理解された試しはないが。だからこそ妹は「言われなければやらない」し「言われても行動が遅い」。ジャイアンから映画要素を抜いた、羨ましい性格だ。話が逸れたがそういうことで、できれば休みたかったし、私は今日、元気に出勤なのである。考えている暇などなかった。
母は身支度する私に言った。
「おばあちゃん連れて行きたいから頼むね」
私は「わかった」と言った。
Twitterで癌患者の方のツイートを見ていた時期があって、なんとなく時期が近そうな予感はしていた。2人の葬儀の時期がヘタをすると連続になる恐れも考えていた。そのために母と、「その際」の話を進めていた。
次の日の朝、5時に起きた。コロナを考慮し、車で行かなければならなかった。5時40分ごろに家を出る。6時までに施設に着いた。
祖母は15分かけてやってきた。祖母は車に乗って早速、
「〇〇(ビッグオジ、以下〇〇)は死んだのかい?」と聞いた。
母は祖母の耳に通るよう、声を張って「そうだよ」と答える。
私は目を閉じた。
これが長尺のYouTube動画に差し込まれる広告並みのスパンで、約8時間、繰り返される可能性があるのだ。
祖母はこの投稿を書いている時点から、約6年前から、認知症のきらいがあった。
異変は6年前、すなわち私が大学1年の夏に帰省した時から感じられた。
3、4年前に認知症の決定打が立て続けに起こり、コロナでトドメを刺された祖母は、昨年の夏から約40年住み慣れ、忘れた土地を離れ、ぷしゅけふぁみりーの暮らす家の近所の施設に移住したのだ。
認知症と一口に言っても、症状は様々である。癌と一口に言っても症状からステージから様々であるのと同様であるし、鬱と一口に言っても様々であるし。
祖母の場合は短期記憶が皆無で、頭の中の地図もかなりあやふやになっている。つまり、今どこで何をしているかの記憶をアップデートできなくなっている。なので、同じ話を何度もしたり、自分の現在地を把握できない。40年住み慣れた土地で迷子になったり、毎食同じものを食べようとしたりする。それでも昔の顔馴染みの名前や、家族の判別はそこそこつくのが幸いだった。
したがって、今回の旅、
1番の難所は「歳をとった身内との再会」にどこまで対応できるのかが一つ。
1番の難所その2が、「著しい体力の低下」に伴う介助。
1番の癖に2つあるじゃねーの……
たぶんつづく
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