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英語はなぜ難しいか?     (音声編①)

 本記事は、英語と日本語の相違を分析し、日本語speakerが英語を学ぶために何が必要かを考察する、「英語はなぜ難しいか?」シリーズの第3弾である。本記事は、前々回「総論」・前回「特別編」の内容を前提に書かれている。未読の方は、上記2記事を先に読むことをお勧めする。「既に読んでいる」という読者の方には、「ご愛読ありがとうございます😊」と言わせてもらおう。

 前回記事で予告した通り、今回からは言語の「音声」に焦点を当てる。言語学習の入口(幼児は必ず音声から言葉を覚える。いきなり文字を読む幼児はいない)でありながら、長らく日本の言語教育において軽視されてきた部分だ。例によって、結論から述べる。

 日本語speakerには、英語の音声を聞き取ることは難しい。耳を鍛えると同時に口・舌を鍛える必要があるが、日本の文化的にそうは思いづらい。英語の「口」を作るためには、様々な工夫が必要となる。特に、心理的要因が大切。

 以下、具体的に述べていく。説明する内容の性質上、本記事は長くなる。メンドーだと感じる人は、途中を読み飛ばしてもらって構わない。いつもの通り、重要部分は太字になっている。

①そもそも聞こえていない?

 「英語のリスニングが苦手」というのは、多くの日本語speakerの偽らざる本音だろう。ここまで私の記事をお読み頂いている貴方(何?読んでいない? それはマズい😅すぐに前回記事を読んでほしい)はご存知のように、かつての私もリスニングを大変苦手としていた。

 英語ペラペ(前回記事参照)となってから改めて感じることだが、「英語のリスニングが苦手」というのは、どのような現象を指しているのだろうか? 何が起きているか分からないまま、苦手だ、苦手だ、と漠然と感じてはいないだろうか?

 「原因が判明すれば、問題は半ば解決したも同然」と言うが、英語のリスニングにおいては、そもそも原因以前に現象を認識しないまま、ただ「苦手」という感想が残っている。現在の私はそのように分析している。「リスニングが出来る・出来ない」とは、どのような現象を指しているのか、そこから考察したい。

 trilingual speakerになった経験(前回記事参照)から言わせてもらえば、言語を「聞き取る」という行動は、大きく4つの段階を踏んでいる。「聞こえてくる」「聞こうと思える」「リズム・スピードにのれる」「内容を理解できる」の4段階だ。日本の英語教育では、多くの場面で、最後の「内容を理解できる」にのみ焦点を当てているのではないかと考える。

 4つの段階を詳しく見ていこう。まず、「聞こえてくる」というのは、『かえるの合唱(かえるのうた)』の歌詞が参考になる。日本社会に生きていれば、誰もが一度は口ずさんだであろう、「かえるの歌が聞こえてくるよ」である。初めから聞こうとしているのではない。別の作業をしていても、あるいは別のことに集中していても、「自然と」かえるの歌は聞こえてくるのだ。これは英語で言えば「hear」にあたる。科学的に言えば、「人間の聴覚が認識できる範囲の音域にある」とでもなるのだろうか? 私にはよく分からないが、人間の耳にはそもそも感知されない音(例えば、超音波)というのがある。

 そして、「聞こえる」音には個人差(例えば、モスキート音)もあり、場合によっては使用する言語によって、聞こえる音の範囲が限定されることもある。私のケースがまさにこれで、英語speakerが感情をのせている重要な音が聞こえていなかった。日本語は「声」とセットで発される(次項で説明)ため、音が聞こえていなくても「正しく聞いているような気がする」。実際、私はその音が聞こえるようになってから、知り合いの音声を聞き直してみた。すると、自分の記憶と異なる音を出している人がいることに驚いたものである。日本語speakerでも、感情を上手にのせた音を操る人は多数いるのである。問題はその音が聞こえていない・出せない人達(かつての私も含まれる)で、その人達は英語における重要な音を意識することさえ出来ないまま、苦しみ続けることになる

 ならば、音が聞こえている人が聞こえていない人に教えてあげればいいのでは? と思うかもしれない。だが、聞こえる人にとっては聞こえるのが当たり前であるため、他の人が聞こえていないのでは?と疑問をもつこと自体が難しい(私の体験を何人かに打ち明けたが、「えっ?聞こえていなかったの?」という反応も多かった)。前回記事でも書いたが、自分が自然に出来ることを他者に説明するのは難しいのだ。この「音が聞こえるor聞こえない」問題は、聞こえる人には当たり前過ぎて理解・説明できないし、聞こえない人にはそもそも気付きようがないということになってしまう。まさにdilemma(ジレンマ、板挟み)である。結局のところ、聞こえない人間が強引に聞こえるようになり、その経験を伝えるのが最も容易な(それでも、困難を極めるが😅)伝達手段となるだろう。つまり、本記事のことだ。

②「音」と「声」を分けて捉える

 先程、「日本語は声とセットで発される」と書いた。だから音が聞こえていなくても、何とかなる(結果として、日本語speakerは一部の音を失っていくことがある)。一方、英語には「その音だけを出している」という局面が多々存在し、結果として「音が聞こえない」=「言葉の全体像を捉えられない」となる(言語学的には、「無声音」と呼ばれる音である)。

 では、「声」と「音」は何が異なるのだろうか? 別の表現をすれば、なぜ私は音声を声と音の2つに分けるのだろう?

 それは、声と音は出している箇所が異なるからである。担当している器官が別、と言ってもいい。声とは、喉を通って口から出る「息」のことだ。試しに、口をつぐみ、舌を動かさずに、「ア」「イ」「ウ」と息だけで発音してみてほしい。

 出来ただろうか? 出来るハズである。様々な言語の基本となる発音であり、この3つが出せなければ言語は話せない(ちなみに、アラビア語には母音がこの3つしかない)。万が一、出せなかった人がいたとしたら、その人には医学的な対策が必要だと考える。私の専門外であり、私にはどうすることもできない🙇‍♂️🙇‍♂️🙇‍♂️。以降は、読者の全員がアイウを「息だけで」出せたとして、話を進める。

 次に、「エ」と「オ」の発音をしてみよう。自分の口と舌が動いたかどうかを確認しつつ、「ア」「イ」「ウ」の時と比べて発音してほしい。

 いかがだろう? アイウの時とは異なり、口か舌に何らかの動きが必要だったハズだ。エとオは「息だけ」では発音できない。口か舌(もしくは両方)の助けが必要となる。この「助けが必要」という部分を、私は「音」と表現している。そして、対応する音を出すには口と舌が対応した「形」をとる必要があり、対応する形を作れる音は「自分で出せる」。自分で出せる音は、他者が出しても「聞こえる」(ただし、例外的に出せる音を聞こえない生徒もいた。今後の研究課題と考えている)。

 カンの鋭い方は、「あれ?それって、母音と子音の話じゃないの?」と思ったかもしれない。そう思った貴方は、相当いい線を言っている。母音と子音の話は、声と音の話と深い関係がある。だが、母音と子音の区別は、あくまで文字として認識する(厳密には文字列を音列に対応させる)際の方法論である。例えば、「cat」の「a」は日本語にはない音(「アとエの中間」という説明がよくされる)だ。同じく、「cat」の「t」も日本語にはない音(というか、tとlの音が日本語speakerにとって最も難しいと考える。これらの音が出せるようになったら、英語speakerになる日は近いだろう)である。ところが、「母音と子音」という視点で捉えると、前者は「日本語にはない母音」、後者は「日本語にはない子音」ということになってしまう。その音を出せない理由が、ともに「口と舌の形が作れない」であるにも関わらず、だ。従って、母音と子音の区別をする前に、声と音を区別する必要がある。これがtrilingual speakerになった経験を通じて、私が最も伝えたいことだ。

 以上が、音と声を分けて捉えるということだ。話が長くなったので、整理する。これまでの内容に付け加えた部分もある。

・「声」は息が担当し、「音」は口と舌の形が担当している

・息だけで出せる「純粋な声」は、「ア」「イ」「ウ」。さらに、「ッ(促音便)」「ン(撥音便)」「ー(長音)」を加え、合計6つ(現時点での私の認識。今後、さらに見つかる可能性は大いにある)。

・英語には、日本語にない「音」が多数(正確な数は分からないが、おそらく20を下回ることはないと考える)存在する。

・日本語に存在しない「音」が、英語による意思疎通において極めて重要な働きをしていることがある。それも、非常に多くの場面で。

・重要な「音」が聞こえるためには、自分でもその音を出せる必要(おそらく、脳の認知の問題)がある。だが、聞こえない人にとってはその音を出そうという発想がそもそも無いため、無限ループ(聞こえない→出そうと思えない→出せないから聞こえない・・・以下、繰り返し)にはまる。かつての私がまさにその典型。

・上記の問題を解決するには、強引な対応策が必要。まずは「自分には聞こえていない音があることを、素直に認める」こと。ただし、これが心理的に相当キツい。耳自体は機能しているため、気付きにくい(本人も周りも)ということもあるが、特に自分が英語を「教える」側の人間だと、生徒に出来て(先天的に出来る生徒もいるし、英語speakerになる過程で出来るようになった生徒もいる)、自分には出来ないことがあるのを受け入れるのがキツい(特に、日本社会においては)。ちなみに、本記事の画像は、この心理を言い得ている。

・上記の問題は、日本語speakerが英語speakerになるための、最初にして最大の(人によっては最後の)関門である。出来ない人にとってクリアは困難を極めるが、有効な手段もある。それは、何か別のモノのせいにすることだ。私の場合は「日本語が悪い」だった(前回記事も参照のこと)が、それこそ各人の自由だろう。何なら、「こんな偉そう(全くですな😅)記事を書いている、くまりん19のせいだ!」でも構わない。とにかく、本来自分に原因がない、自分だけではどうにもならないことで自分を責めるのは非常に不健康なことだと考える(いわゆるブラック企業の問題も、似たような構造だと推測する)。

・英語speakerが言葉に自分の感情をのせる際、発する音や顔の表情が重要となる。この部分が、日本社会では「奇声」「ダラシない顔」と捉えられる(貴方自身、英語を話している人に対して、このような感想を抱いた経験はないだろうか?)ことがある。英語を練習する上で重要な要素が、日本語speakerにとっては「良くないこと」と(無意識のうちに)されている。もちろん、経験値が少ないがゆえに難しくも感じる。複数の原因が絡み合い、日本社会で英語speakerが生まれにくい土壌を形成している。

③この記事の終わりに

 言語を「聞き取る」ことの4段階を説明する予定だったが、(案の定?)長くなったので、今回はここまでとさせて頂きたい。第2段階「聞こうと思える」、第3段階「リズム・スピードにのれる」については、次回の記事で書く。Thank you for reading!

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