列王記第一2章 メッセージみたいなやつ
この章は死期が近づいたダビデが息子ソロモンに言葉を遺すシーンから始まります。
バルジライの子たちについては聖書で詳しく書かれていませんが、サムエル記第二17章でバルジライが戦いで疲れたダビデ達を癒すために食料や必要なものを与えたこと、19章でもダビデを養い、年老いた後も彼の近くにいたことが書かれています。
サムエル記第二を一通り読んでみると、ダビデはずっと厳しい環境にいながらも信仰を貫き、罪を犯してもすぐに悔い改めて立ち直り、最期まで主に従っていたことから、彼は本当に敬虔で、神様に愛されていた人物であることがわかりました。
しかし、列王記第一2章5節や8節より、死期が近づいたときにヨアブやゲラの子シムイのような自分を苦しめた人物が思い浮かぶということは、それだけダビデの人生は苦難に満ちていたことが考えられます。
そんな中でのバルジライとその子どもたちは、暗闇の中のともしびのような、ダビデの心を温める存在だったと考えられます。ずっと敵に囲まれていた人の味方となり、年老いてからも親交のあったバルジライは、新約聖書の善きサマリア人のような、ダビデにとっての本当の隣人だったと言えます。
バルジライとダビデのエピソードを読んだ後、自分にとっての隣人は誰なのか考えてみました。しかし、数日考えても一番の隣人が誰なのか、特定の人は思い浮かびませんでした。
それでも、良いときも悪いときも変わらず愛してくれる人、どんな時も側にいて、私のことを憐れんでくださるイエス様の手を離してはいけないと語られたような気がしました。
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