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安近短・観光における代替性と消滅生・ラスベガス・悲惨な旅館体験

学生Q.今後、観光産業の発展は期待できるでしょうか?
コクジーA.世界各国の例をみても観光産業はその規模を拡大し続けています。一定の生活基盤が整った後に、衣食住が足りた後に、人は旅をしたい・・・それは誰にも備わっている欲求だからです。総務省が行っている全国の世論調査(生活価値観)にも具体的にその推移がデータで示されています。諸君は体験していませんが、1970年代にオイルショックが日本を襲いました。その経緯は旅行事業経営の科目の中で詳しくお話ししますが、このとき日本経済はすべての分野で短期的ではありましたが深刻な打撃に見舞われました。観光業界も将来を悲観する人が増えました。しかし、後でデータを振り返ってみると、人々は遠くから近くへ、長期旅行から短期旅行へ、高価な旅行から安価な旅行へ、と工夫を凝らし、「年間一人あたりの旅行の回数」という数値はオイルショック時でも減らなかったのです。つまり、旅行の意欲は衣食住と同様、人々の心の中にしっかりと根付いていたのです。また、これは私の私見ですが、観光産業は省資源型の産業であり、未来に受け入れられる資格を持った産業の一つと言って良いでしょう。あらゆる製造業は地球の資源を食いつぶして成り立っているのが宿命です。もちろん、観光客の行動の中でも飲食をしたり、土産品を買ったり、移動する際にエネルギーを消費しますから、完全な省資源とはいえませんが、観光の主たる行動は「見る」ことであり、それに対価を支払うのです。長い歴史を経て作り上げられた自然や人間の創造物が商品なのです。物を買って、使い回して、古くなったらまた買い換える、というような消費行動とは異なります。同じ物を皆が何度も利用できるのです。だから、地球に優しい産業の一つだといえるのです。また、観光客が望む観光サービスは「人」を介して行われるものが多いということにも着目すべきでしょう。工場でロボットが人間に替わって活躍するようなわけにはいきません。ですから、仕事は必ずあります。それを「きつい」と言って敬遠する人もいます。考え方次第ですが、人が喜ぶ手助けをする、というのは十分やりがいのある仕事です。ただ、もう少し掘り下げてみると、観光産業のうち、旅行業に関してはかなりIT化が進み、人的サービスの必要性が薄れていくでしょう。この業界では求人が拡大していくとは思えません。また、人的サービスが根幹にある、ということは人と人の接触が不可避であり、感染症の地球的蔓延(SARSなど)やテロ、災害などに対して致命的弱点を持つ、ということはいえるでしょう。

学生Q.前回の講義で、観光の対象には代替性がないけれど、レクリエーションにはそれがある、というところがよくわかりません。観光とレクリエーションって同じような物だと思っていました。
コクジーA.観光とレクリエーションは似ているようで異なる部分は多く、その見分け方を授業でお話しました。観光を簡単に言うと「見て楽しむこと」、レクリエーションは「することを楽しむ」と考えればわかりやすいです。①東北の十和田湖を見に行く、が「観光」、②北海道へスキーに行く、が「レクリエーション」としましょう。あなたは初めて行く十和田湖をとても楽しみにしています。でも崖崩れのため、十和田湖へ行く道が閉鎖されてしまいました。旅行会社から連絡が来て、「琵琶湖を遊覧するツアーがあるので代わりにいかがですか」と聞いてきたとします。しかし、それじゃあなぁ・・ということになります。観光というのは「そこでしか味わえない個性的な魅力」を感じて行くものなので、代わりはなかなかありません。琵琶湖が劣っているということではなく、琵琶湖と十和田湖は違うものなのです。一方、スキーはどうでしょう。滋賀県にすてきなスキー場が開発され、交通費も北海道に比べれば格段に安い。そうなると価格的には2泊分余計滞在できる・・・なんてことで平気で目的地を代える気になります。もちろん北海道のスキー場がホテルで滋賀県のスキー場が民宿、というような歴然とした差があれば別ですが、同じ条件であれば、スキーやテニス合宿やスキューバダイビングなどは特別な場所でなくても良いのです。代わりはいくらでもあるのです。それがレクリエーションの特徴です。

学生Q.意気込んで授業を受けていたのですが、後半うとうとしてしまいました。どうもすみません。
コクジーA.私のしゃべり方がどうも眠気を誘うようなのです。いろいろな人に言われます。ある学生は「先生の声としゃべり方は美輪明宏に似てるから、すぐ寝てしまう」と責任転嫁の発言をしていました。私は「この世に戻ってこんでよろしい」と答えましたがね。でも、自分でも自分の声に眠気を催すのですから、・・・んなことないか。ところで、あなたがそうだというのではないですが、深夜まで食い込むようなアルバイトは避けましょう。大学生といえども、生活のリズムはきっちりさせていないといけません。医学的にも、朝起きて夜眠る、という当たり前のリズムで生きていくように人間の体は設計されており、習慣的にそれを狂わせている人は免疫力が落ちてしまうらしいのです。何という病気になる、というのではなく、あらゆる病気にかかりやすくなる、ということらしいので、甘くみていてはいけないそうです。ちょっと大げさな話になってしまいました。

学生Q.「観光商品の消滅性」というキーワードの説明をもう一度お願いできますか? よろしくお願いします。
コクジーA.繰り返しになりますが、観光の商品の中核を成す「サービス」は在庫することができない、ということです。客室数100のホテルが、ある晩に60室しか販売できなかったとしても、残りの40室を在庫にし、翌日に合わせて140室販売することは不可能です。もう消滅してしまったのです。40室を販売できなかったために失った利益は、永久に失われたままなのです(誤解しないで欲しいのですが、ホテルの室料は部屋の売買代金でありません、その部屋に泊まる権利の売買です、そんなことわかっていますよね)。そこでホテルによっては、サービスの消滅性を考慮し、客がチェックインしなかった場合にキャンセル料をとるところもあります。レストランでも予約したのに来ない(「ノーショー」と言われる)客に対して、キャンセル料を請求するようになってきました。予約したのに客が現れなかったら、その席を販売する機会を失うからです。サービスではなく、モノを販売する場合はどうでしょう。テレビや車は翌日でも翌月でも売るチャンスは残っています。お店になくなっても工場に在庫で残っているかもしれません。本屋でほしかった本が売り切れてしまって困ったときでも、店員が「お取り寄せしましょうか」と言ってくれます。皆在庫できるからです。もちろん、「モノ」とはいっても生鮮食材などはサービスに近いかもしれません。「生鮮」が価値のかなりの部分を占めるからです。お刺身などは鮮度が落ちてしまうのでその日のうちに売りたいのです。そうすると20%引きなどのシールが貼られます(私もだいたい時刻を見計らってスーパーへ行きます)。それほどの傷みがない、と判断すれば、翌日「海鮮どんぶり」のような加工総菜として販売されたりします。粕漬けや味噌漬けにしておけばさらに一週間程度はお店に並べておけます。私の授業も在庫はないですよ。今日話したことは来週話せません。この場合は単に忘れっぽいからですが。

学生Q.個人的な質問になりますが、先生の好きな観光地とその理由を教えてください。ちなみに僕はラスベガスです。理由は父がカジノプレイヤーで特別な待遇を受けられるのですが、そのサービスの良さとあの場所にしかない特別な空気が気に入っています。先生のお話は、その場所のことを的確に教えていただけるのでとても楽しいです。これからもよろしくお願いします。ちなみにリムジンに迎えに来てもらうとチップで30ドルかかります。上の質問ですが、先生は北海道をオススメするような気がします。前の誰かの質問で北海道の魅力を凄く書いていたので。
コクジーA.確かにラスベガスは一度は行かなくてはね。普通の日本人では想像できない町です。冷静に考えるとアメリカ人はアホが多いです。ギャンブラーの使う金額という意味ではマカオがベガスを抜いた、と言われていますが、町のスケールや奇想天外さが違います。君のお父さんがカジノプレイヤーだっていうけれど、プレイヤーってギャンブラーではないの? お迎えする方なの? その辺は私にはわかりません。そのほかにはヨーロッパのモナコという国のモンテカルロでやはりカジノに行ったことがありますが、こちらはかなり堅苦しいです。貴族など裕福な人たちの遊び場であったという伝統からか、スーツにネクタイ着用でないと入れてくれません。おもしろいのは沖縄の米軍基地内にある施設です。一般人は基地内には通常は入れませんが、私は県の偉い人の紹介で体験できました。基地はアメリカの領土という扱いですから、密入国ということになります。もう時効です。基地の中にもカジノというか、パチンコホールの大型版ですが、基地で働く日本人のおばちゃんがひたすらスロットマシーンで遊んでいました。しかし、一人で10台くらい占拠して行ったり来たりしながらマシンを動かしているのです。凄く忙しそうで、遊んでいるというより、ウナギを焼いているおじさんのようでした。それから、私が好きな北海道の話ですが、それはそもそも私が学んだ(遊んだ)大学が札幌にあったので、必然的にいろいろな思い出があります。現在も私のゼミ合宿は北海道へ行って、川下りや大平原を車で走ったりしています。北大は非常に広く学内にはリスがいるし、スロープに雪が積もると近くの幼稚園児たちがスキーを楽しみにやってきます。入学したのが農学部だったので、仕送りが途絶えても畑に行ってトウモロコシやジャガイモを掘って食べていました(これは見つかれば厳重注意?でしたが)。法学部や理学部の私のご学友などは間違えて牛の飼料用のデントコーンを失敬して食べて苦しんでいましたし、実習で農薬をまいたばかりのアスパラを盗んで行って、我々を心配させたり、彼らは本当に愚か者達でした。畜産学部には牛もいるし、学部で牛乳も作っていました。ルームメイトであった友人はその畜産学部生なので、一年に一回くらいですが、解体実習などがあると牛肉も食べられました。「ホントのカウベルにしようよ」と言って、牛のしっぽをドアノブにくくりつけたりしていましたが、2,3日中にハエがたかり始めてアパートの大家さんに怒鳴られました。

学生Q.私はベトナムの留学生です。帰国したら、観光業で仕事をしたいと思っています。1)ベトナムでも最近新しい観光地がたくさん出てきました。最初は旅行者に人気があるけれど、時間が経つとともにその人気も少しずつ下がっていく、と聞きました。どうしたら、継続的に旅行者の期待に応えられるでしょうか? 2)新婚旅行を対象にした事業はベトナムではまだ完全なものではないと思います。もしこのような事業を企画するにはどのようなことに気をつければ良いでしょうか?
コクジーA.まず、観光地は命のようなものがあると考えたらどうでしょうか。当然新しく誕生した観光地は脚光を浴びますが、だんだん人々の気持ちは離れていきます。珍しさがなくなっていくからです。それを防ぐには観光地といっても2つのタイプがあることに気づくべきです。つまり、もともと魅力をもっているものを引き出した観光地と何もないところで観光的魅力を創出するタイプの2つです。前者では例えば富士山、後者ではTDR。富士山は人間が作り出したものではありませんし、京都も1000年の時を経た古いお寺がその魅力を発揮しています。つまり文化や伝統、歴史、自然が作り出したものなので、人々の気持ちに飽きが来ません。同じ物は2つとしてないからそれだけ貴重なものといえるでしょう。この「唯一のもの」があるかどうか、がポイントになります。TDRはお金と技術とノウハウで生み出したものです。これが個性をずっと維持してきたのは、他の遊園地にはない演出力、ソフトウエアのおかげであり、彼らはとてつもないソフト部門の投資を続けてきています。だからこそあれだけの人気が維持できるのです。このような優れた観光地でも時間が経つに従って、危機が訪れます。それは観光地の耐久性といって良いでしょう。多くの場合、キャパシティを超えることによる摩耗なのです。どんな空間、どんな施設であれ、「それ以上混み合うと環境や魅力そのものが損なわれてしまう」という限界点があります。残念なことに多くの観光地は営利事業の集合体ですから、できるだけ多くの観光客を迎えたいという希望があります。そのために自らの命を縮めてしまうのです。ベトナムでいえば、古都ホイアンやハロン湾などはそんなに人気が下がる観光地とは思えません。観光資源の質が高く、希少性があるからであり、それらはベトナムであるからこそ、なのです。もうひとつの大事な点はホスピタリティです。来訪者を心からお迎えする気持ち、人が来てくれることが心から嬉しい、そういう人々が観光地にいる、ということが大事です。かつて中国で私は困った経験をしました。まだ市場経済化への試みに着手したばかりの頃ですが、北京のホテルのレストランの従業員の態度は大変悪かったのです。「会計をお願いします」と言っても、請求書をテーブルに放り投げてくる始末です。ウエイトレスはニコリともしません。いろいろと人に聞いたら、当時、ホテルで働ける人というのは党幹部の子弟に限られ、超エリートなのです。ですから、人のためにサービスを提供する、といったこと自体、理解できなかったらしいのです。それではサービス業や観光の仕事はできません。人間としてだめ、というのではなく、国民性、就労の経験や生活習慣、宗教などが要因でしょう。観光の現場で働くのに向いているのはタイやフィリピンだと私は思います。タイ人は仏教徒で穏やかにニコニコしています。フィリピン人は明るくてエンターテイメントの能力が高いです。インド人は計算が得意ですから、経理の仕事に向いています。中国人は接客よりも営業戦略に腕をふるいます。このように得意な分野で人々の能力を100%発揮させなくてはいけません。諸君も、どの企業に就職しようか、というよりはどんな仕事が自分に向いているか、ということを考えて就活した方が良いと思います。

さて、新婚旅行ですが、これはどの国の国民においても一生に一度のイベントですから、かならず重要な市場となるでしょう。ベトナムも例外ではありません。新婚旅行にはある程度費用がかさみますから、多くの人は最初のうちは国内で我慢するにしても、いずれハワイやバリに出かける人が増えるのは間違いありません。現在、日本のウエディング業者は海外事業にシフトし始めています。日本人の婚姻件数が激減しているからです。少子化により、これから先、この部門の成長は見込めません。そこでアジアにシフトしています。例えば、中国人を新婚旅行で海外に連れて行くために中国に進出しているのです。同様に若い市場のあるベトナムやインドネシアも注目されていることでしょう。そういう会社と合弁して起業化を図るベトナム資本があってもおかしくありません。自分で会社を作ったり、日本のウエディング会社に就職してホーチミン市の営業所で働く、といったケースも考えられるでしょう。

学生Q.自分は徳島出身なのですが、先生は徳島といえばなにを思い浮かべますか? あまり観光が盛んな県とは思えないのですが。
コクジーA.鳴門金時、眉山、阿波踊り、大神子海岸、四国三郎吉野川、ケンチョピア、うだつの町並み、徳島城南高校・・。

学生Q.ラスベガスのカジノで一番当たりやすいゲームは何ですか?
コクジーA.それがわかってりゃ、君を相手に先生なんてやっとらん。

学生Q.先生の好きなホテルは? どんなホテルが観光客に好かれるのでしょうか?
コクジーA.いちいち覚えてません。でも一般的にはその町にしかないクラシックホテルがいいですね。たいていの都市にはリージェントとかヒルトンなど世界のどこに行っても「ここに泊まれば間違いはない」という一流チェーンホテルがあります。それに比べて施設の豪華さは劣るし、エアコンの音がカタンカタンと鳴っているような古いホテルでも、築100年というような趣き、風格があります。ドアノブひとつとっても、すごい彫刻が施されていたり、ドアも桁違いの重さの一枚板などでできています。そういう古いホテルを探す癖がついています。でも国内で悲惨な旅館の体験も多いです。主に仕事であちこちに行った時のことですから、すべて高級な施設ではありません。青森の大湊というところに行ったとき、宿泊予定の旅館に入ると部屋に案内され、もう布団が敷かれていました。棒立ちになりました。午後の3時頃だったと思います。北陸の山中の小さな旅館ではひと風呂浴びようと大浴場に行きました。小さな旅館ですから、せいぜい4人も入れば満杯の大浴場なのですが、裸になって湯船につかってふと天井を見るとスズメバチが2匹。意味ないのですが、思わず潜りました。鹿児島の串木野近くの国民宿舎では、チェックインする際に部屋は3階だと言われました。夜遅かったのですが、部屋はどこも使われておらず、廊下の伝統はすべて消灯。文字通り真っ暗闇の中を手探りで部屋を探しました。部屋の番号すら真っ暗で見えないのです。このときも棒立ちです。長崎県の西彼杵半島の宿では、部屋に入ったとたん、なんだかめまいのような感覚に襲われました。おかしいな、と思いながらごろんと横になると柱と壁の間に隙間が。じっと観察するとなんと部屋が傾いていたのです。これは棒立ちすらできませんでした。沖縄の名護市の中クラスのホテルでは、部屋に入ってお茶でも飲もう、と茶筒を空けると中からゴキさんが・・。あったまにきて、シャワーを浴びるべくバスに入るとバスタブにも複数のゴキが。翌日チェックアウトの精算時、財布を出そうとバッグを開けると、ここからもゴキが。しかし、同行していた仲間は「俺の部屋、夜寝ていたら天井からネズミが落ちてきた・・」と怒り心頭です。沖縄ではゴキは普通の昆虫だそうです。そんなことないよねぇ、諸君。

学生Q.入試の時に面接官の先生が「ホスピタリティ」と「おもてなし」は微妙にちがうと聞きました。そういった勉強ができるので、入学したら学んでね、とおっしゃっていましたが、どう違うのでしょうか? ホスピタリティ・マネジメントという科目を履修するとすると理解できますか? 私は世界のホテルめぐりをしたいです。講義で出てきたラスベガスだけでも変わったホテルがあんなにたくさんあるなら、世界ではもっといろんなホテルがあって面白そうです。私はトレジャー・アイランドが気になります。ぜひ行ってみたいです。
コクジーA.ラスベガスのホテルは町全体がテーマパークのようになっているので、おもちゃみたいなホテルは極端な例だと思いますが、北欧には氷でできた部屋(ベッドも!意外に暖かいらしいです おねしょはだめ、ばれる)のホテル、メキシコのバハカリフォルニアという暑い砂漠にあるホテルは建物が皆砂の中に埋まっている(確かカミノレアルホテルといったかな)などいろいろあります。さて、ホスピタリティとおもてなしの違いですが、本来は同じ意味合いで使います。ホスピタリティの語源はと同じラテン語の “Hospes”です。ホテルや病院もこの言葉から生まれました。これは、中世ヨーロッパの巡礼や戦いに従事する人たちのための宿舎で、キリスト教会が運営に当たっていました。利用する人たちはみんな疲労困憊で、彼らに安らぎと癒やしを提供することが目的だったのです。さらに進んで治療が目的になったりしました。そこから“Hospitality(ホスピタリティ)”の概念が生まれました。これは、相手の立場になって、ものを見、考えることであり、その場を提供すること、と言い換えてもいいでしょう。相手の気持ちをくみ取り、それを自らの喜びとすること、そのベースにあるのは相手への深い思いやりです。ホスピタリティとは「相手への思いやり」なのです。では、おもてなしとは何か、それは「行動の形になったもの」といえると思います。日本がアピールする「おもてなし」は建築物、町並み、庭園、家具、食器、お料理、習慣、接客する人の手順やマナー、そして立ち居振る舞い、音楽、踊りなど、全てに表現されているのです。何気なく飾られているお花、花瓶、掛け軸、お香にいたるまで、日本の伝統文化(茶道、華道、香道、礼法、書院造という建築・・)の粋が込められております。こういう、おもてなしの底流には、あるお客様をお迎えし接客すること自体が「大変大きな偶然の出会い、瞬間」である、とする考え方があると思われます。この出会いの瞬間を大事にして接客し、心から満足いただこうとする考え方です。すなわち一期一会ですね。これは茶道の哲学に通じます。別のみかたをすると、おもてなしはプロの所作であり、ホスピタリティはアマチュァの心情である、ともいえるでしょう。とはいえ、いずれも微妙な違いです。

学生Q.この前テレビで神戸まつりの中継を見ました。でも、特色がないというか、現代の物が多すぎというか、普通につまらなかったです。観光客も少なかったです。京都の祇園祭や岸和田のだんじりなどはすごいのに。先生はどう思われますか? 
コクジーA.祭りというのは君が言うとおり、その地域の歴史・文化・伝統を体現したものでなくてはいけないと思います。全国各地で「そーらんなんとか」という路上ダンスのようなのがはやっていますが、あれはイベントであり、別物です。原宿のタケノコ族の延長です。といってもわからんか。もちろん、集客による経済効果を目的とする場合はそれでもいいし、若者のエネルギーの発散の場にもなるでしょうから、悪いとか質が低いとか言うわけではありません。神戸まつりはかつてはもっと本格的な内容を持っていました。昔は懐古行列と言っていましたが、武者姿の隊列が町を練り歩いていたようです。その背景には湊川神社にまつられている楠木正成がいます。神戸のシンボルである武士なのです。テレビの影響で最近は平清盛一色ですが、かつては楠木正成が神戸の歴史の主役でした。彼は南北朝時代に天皇が2つに別れて争ったときの一方の武将であり、それが戦いに敗れたのです。ですから、現在の天皇家から見れば逆賊になります。神戸は清盛といい、正成といい、負け組なんですね。でも地元にとっては大事な先人です。いつの間にか、彼らを疎んじ、お祭りからも除外して、ブラジルのサンバとかなにか訳のわからない薄っぺらいイベントに堕落してしまいました。神戸って時代を先取りしているファッショナブルな都市、というイメージがありますが、案外「軽い」ですね。


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