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個性、ローテンブルク

学生Q.日本には日本の魅力があるので、海外と同じようにする必要はないと思う。同じ事をすればするほど、日本の価値が下がると思います。
コクジーA.賛成です。これはその国の個性とかアイデンティティをいかに守るか、と言い換えても良いですが、観光の分野ではそれがとりわけ大事です。しかし、社会や経済全般を見るとグローバル化がどんどん進行しています。世界標準に合わせないと競争から落後してしまうという事実があります。効率の良いものだけが一律に勝利するという世界はどうだかなぁ、と思いますね。しかし、諸君の世界を振り返っても、ファッションやメイクなど奇妙に横並びじゃないですか? われわれオヤジの世界も同様です。どこかの新聞で、シャツをパンツの外に出すか、中に入れるかをアンケート調査して、ぴったりと世代間で分かれていました。大きな溝です。お互い、身近なところから「個性」を貫けばもっと魅力的になると思います。最近、大学事務局が「夏はクールビスにするどぉ」と通達を出していましたが、その中で「教員のGパンはダメ」というのが含まれていました。アメリカの大学なんかメチャクチャ、ラフな格好の先生が多いんですけどね。

学生Q.ローテンブルグでマンガ家の楳図かずおさんは絶対家を建てては行けないと思う。
コクジーA.激しく賛成です。百歩譲って、あのデザインが個性的だと言うのは良いけれど、「芸術だとか表現の自由だとか」なんて言い出すと、うんざりですね。「見なくてすむ自由」という概念はないのかな? 梅津画伯の縞縞デザインはせいぜい刑務所の囚人服に採用してあげましょう。

学生Q.ドイツにいくつもの観光ルートがあることを学びましたが、何故首都のミュンヘンにルートが通っていないのですか? サッカー的にも強いのに・・・
コクジーA.ミュンヘンを通るとオフサイドになるからです。いや、そんなことないです。観光ルートはサッカーとは関係ありません。それから、ミュンヘンはバイエルン州の州都ですが、首都ではありません。首都はボンです。だいたい、君たちは各国の首都名とか首相や大統領の名前を知らなさすぎる。新聞離れやテレビ離れのせいか、高校での社会科学習軽視のせいか?

学生Q.ドイツに友人が住んでいるので遊びに行く時は今日の授業で学んだ視点から街を見てみようと思います。
コクジーA.あなたは他の人にはなかなかないようなチャンスを持っているのですから、是非ドイツへ行ってください。私も初めて訪れた異国の地はドイツでした。あの時は、正直、日本のハム屋さんを恨みました。長い間よくぞ魚肉ソーセージでだまし続けてくれたなぁ、てなもんです。感激しましたよ。ジュースだって、私たちは果汁ゼロで育ちましたからね。今のジュースがやたら酸っぱく感じるのです。味覚喪失の責任をとってくれ、と言いたくなります。今の諸君は若いウチから豚肉100%とか果汁100%とかで成長してきたんだから、それだけ勉強しなければいけません。関係ないか? 神戸市の異人館の評価は白川郷と同様、「単体」ではなく「群」としての評価です。秋葉原、原宿なども観光対象の町になるのは「集積の効果」なのです。それも単一の要素が集積する場合と、バラエティに富んだ要素が集積する場合の二種類あると思います。前者は商業的な効率性、後者は社会や生活上の要請というような出発点の違いがあるようです。言い換えれば、前者は見たり買ったりというシンプルな行動にとっては都合が良く、後者は「滞在」する場合に都合が良い空間といえるでしょう。

学生Q.配布プリント11ページの空白部分を2つとも板書を書き写せなかったので、再度お願いします。ローテンブルクの屋根の色が統一されているのは誇りがあるからなのですね。色が赤いのには意味はあるのでしょうか?
コクジーA.そうです。屋根の色は、もともとその地域に産出する石材や地質からくるものでしょう。山陰の津和野なども赤瓦ですが、これは石州赤瓦といって、地元名産の瓦なのです。地元で生まれたものを使う、そこに「誇り」が生まれてくるのです。沖縄の古い民家はサンゴの石積みで囲われています。竹富、波照間、備瀬などの地区にわずかに残っています。ブセナテラスやカヌチャベイなどの新しい高級リゾートホテルでも、このサンゴ石材を多用してホテルを建てています。これも「沖縄らしさ」の強調なのです。なお、サンゴの石を積むと、丈夫で台風のような強風にもびくともしない反面、無数の小さな穴がそよ風を通す、というように亜熱帯地方の生活にきわめてマッチしているのです。うまくできています。

ところで、観光魅力の中核を為すと言っても良い「景観」について、含蓄のある文章を紹介します。作家浅田次郎氏の作品「王妃の館」からの抜粋です。景観・人・社会・生活・歴史などいろいろな観点で考えさせられる問いかけです。

 ■いやがる夫を、むりやり海外旅行に連れ出した。今さら外国になど行って何になる、そんなヒマとカネがあったら、温泉にでもつかっていたほうがましだと、夫は出発の朝まで、子供のように駄々をこねていた。だが、成田空港に到着したあたりから、少しずつ夫の頑な(かたくな)な心は変わっていった。まるで縛め(いましめ)が緩むように。氷が溶けるように。
「パリの街並を見ながら、少し反省をした」
「何を?」
「外国ぎらいをさ。ガイド・ブックに書いてあった。パリがどのようにして大戦の戦火から免れたか」
「どういうことなの? 教えて下さる?」
「ドイツ軍は、パリの市内だけは爆撃をしなかった。フランス軍もパリが戦場になることを怖れて降伏した。ノルマンディ上陸作戦のあとで米軍も、パリに大砲は向けなかった。そしてドイツ軍はまた、パリが戦場になることを怖れて撤退した。彼らはみな、かけがえのないものを知っている」
「日本は焼け野原になるまで戦いましたものね」
「戦のことばかりではないよ。パリの市内には近代的なビルが少い。街並は何百年も変わっていないんだ。大都市としてはよほど不自由だろうに、パリ市民はパリの美しさを損なうぐらいなら、暮らしの不自由さを選ぶのだね。そうした心がけには感心したし、同時に恥ずかしくもなった。われわれ日本人が、繁栄のために犠牲にしたものは、あまりに多すぎる。そしてそのことに気付いていない日本人は、愚かな国民だと思った。」
「べつに愚かじゃないですよ。だったらそういう時代を一生懸命に生き抜いてきた私たちも愚かですか?」
「ーそういうことになる、と思った」
 それはちがいますよ、あなた。ほかの人はどうか知らないけれど、私はあなたの生きた時間を、愚かしいとは思わない。焼け野原に新しいものをどんどん作って、古いものを打ち壊し、世界一豊かな国を作り上げたあなたの努力を、愚かしいなんてけっして思わない。「妙だね。パリにきて、考え方がすっかり変わってしまったような気がする。入生観も、世界観も、すべての価値観も」
「いやですか?」
 夫はグラスを唇にあてたまま、妻に向かって微笑んだ。そのとき正枝は、もしかしたら自分はとても出過ぎたまねをしたのではなかろうかと思った。夫が74年問もかかって積み上げたものを、たった一度の海外旅行で壊してしまったのではないか、と。

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