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鍵盤を適当に叩いているだけではダメなんです

皆様こんにちは!

久しぶりに文章を書いてみることにしました。

最近何か表現をしたいときには文章を使うよりも動画を使ってやりたいというふうに思っていました。いろんな理由がありますが、一番大きいのは単純に動画を作ること自体が楽しいと思えるからです。

ただし文章を読んでもらうことに比べると、動画は圧倒的に内容を先ず知ってもらうハードルが高いのは事実です。 そこでせっかくnoteも使ってやっていこうと思いついたので、今回は動画のネタにしようと思っていたことを文章にしようと思います。

実際これを書き上げたあと、動画も作ってしまえばいいですしね。

今回のネタの着想は、子供が思うに任せて適当に鍵盤を叩いている姿から来ました。

誰しも子供の頃にやったことがあるのではないでしょうか。学校に置いてあるピアノなんかをバンバンバンバンと思いに任せて適当に音を鳴らすことです。 ピアノはどういう風に叩いても音が出る楽器ですので、そんなことでも一種の遊びとして成立しますが、 しかしふと思ったのです。 自分たちはこうやってピアノを適当に叩くようなことをよくやっているのではないかと。つまり言いたい事は、「何回同じようなことを繰り返してもどこにもたどりつかないような遊びだけをして満足しがち」だなと思ったのです。

こうやって適当に鍵盤を叩くしかないのは、裏を返せばそうやって遊んでいる人にはピアノを弾く技能が全くないからなのです。もしピアノを練習してる人なら、何らかの曲を演奏しようとしますし、いわゆる指のトレーニングのような練習曲を弾いたりすることもできます。 だからどういう形でもいいので、ちゃんと弾けるようになるということを目標にして、練習を積むような取り組み方をしないと永久に適当に鍵盤を叩き続けるしかなく、無駄だなと思ったのです。

そんなバカなことを果たして私たちは普段しているのかと思うかもしれませんが、自分の胸に手を当ててみると案外こういったことって多くあるように思いませんか?

僕がそんなにたくさんの人に見られるわけでもない動画作るのも、こうして今原稿を書いてるのも 馬鹿みたいに思うかもしれませんが、アップロードが終われば一応結果として積み上がっていくものだと信じているからなのです。しかしこれも巨視的にみれば適当に鍵盤を叩いているだけなのかもしれません。続けていくうちに、さらに質の良いコンテンツを作れるよういろいろ試行錯誤していきたいと思っています。

一方でnoteの他の人のコンテンツを見てますと、いろいろな才能や発想を持ったクリエーターと呼ぶべき人が、世の中には本当にたくさんいて、それが目に見える時代になったのだなぁと思います。

だからそこで一際人の目を引くためには、おそらく何か違う努力が必要なのかとも思います。

ただ何分にも今はコンテンツを増やすしかないと思っていますので、こんな調子でやっていきたいと思っています。是非是非応援よろしくお願いいたします。

これから先は脳科学の時代。その発展で一番影響を受けるのは教育だと確信しています。STEM教育を手掛けたいとせっせと動画をあげています。また子供大人問わず自由研究を応援するSlackを作っております。良かったらご参加ください。