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河川敷の小説

これは、私が高校の時に体験した、嘘くさくて本当の話。そろそろ時効だろうなって思って、ここに残してみることにした。

級友だったセオくんが県外に発ってから数ヶ月経って、私はあの頃の懐かしさに浸ろうと、いつか彼と肩を組んで笑った駅の隅っこを歩いていた。セオくんは、高2の頃から私と仲良くしてくれた人間であり、色々と馬鹿やったり笑ったりした仲間だ。県外に旅立った今でも、ほぼ毎日のように近況を報告しあっている。それだから、彼がこの街にいないという実感はいつまでもわかない。本当にセオくんはいないのか?もしかしたら今でも、探せば会えるんじゃないか?なんて根拠のない淡い期待に呪われたりする時がある。
思い返せば、彼とは夢を語り合った仲でもあったな。お互い境遇が似てたから、なおさら叶えたい夢が近かった。私の書く小説を、密かに楽しみにしてるって言ってくれたっけ。
と、彼との思い出を再帰させる聖地を巡っていたところ、ある河川敷に来た。程よく草が茂っていて緑が広く、水の流れは穏やかだった。懐かしいな。と思って、私はその河川敷に降りてみることにした。
河川敷には、時々立ち寄ることがある。考え事とか気晴らしによく来たりする。
自分自身、思い通りに人と関わることができない運命に引き当たったせいで、しょっちゅう他の人とトラブることがあった。そのせいで思ってもないようなことを言ったり、考えもしないようなことを衝動的にやったりしてしまう。
そういうことがあって頭が痛くなる時に、そっと河川敷に行ってため息を吐きながら、途中で買った菓子パンを齧ったり、WALKMANを耳に当てて罵詈雑言を聞いたりしながら心を整えていた。
そういうわけだから、河川敷にはどこか思い入れがあって、結構好きな場所でもある。一時期は本当に家出して、河川敷の横にある大きな橋の下にブルーシートのテントを立てて、買ったアウトドアセットを使ってサバイバル生活してやろうかって考えたこともあった。

最初に来たのは高校生の終わりのこと。
上手くいかないことが多すぎて、生きていくことが馬鹿らしく思ったことがあった。人間関係に悩み、家族に悩み、恋に悩み、生き方に悩んでた。そして、制服のまま家と真逆の方向を歩き、ふらついていたところであの河川敷を見つけ、そこに立ち寄ったのが始まりだった。
河川敷は静かで、名前も覚えてもらえない雑草たちが風に細かく揺れていた。その中で息を吐くと、なんだか何を言っても感じても、ひっそりと許される気がして、心が満たされていた。環境音しか聞こえないこの場所が、なんだかずっと知らなかった心の生まれ故郷みたいで、気持ちがだんだん楽になっていった。
それから、私は時々河川敷に立ち寄っては、考えごとをしたり釣りをしたり、頭を冷やしに来ることが多くなった。すぐ目の前にある自然は、かつて追いかけていた夢を思い出す。閑静な景色から得られる妄想は、今追いかけている夢に血を通わせる。そっと吹く風は、頬を撫でてもういないあの子の記憶を思い出させる。
そうしながら、私は通学カバンから大学ノートを取り出して、この景色を書き始めた。
知ってる人ぞ知る通り、私は筋金入りの物書きバカだ。隙あれば妄想や景色を文字にしている。昔からそうだったわけじゃないが、いつの日かを境に、こんな人間に成り果てていた。
目に映る景色を、文字に映していく。微細な風の向きから人の歩くスピードまで、感じるものは全て文字としてノートに焼き付けた。その世界丸ごとノートに書き込んでやる勢いで、ペンをさらさら書き進めた。
何を書きたかったとか、そういうことを考えていたわけではなかった。ただ書きたいと思った気持ちも込めて、今目に映しているこの瞬間を書こうと、思った。
「お隣、いいかしら?」
しばらく書いていた時、後ろから私にかけてくる声があった。全く知らない声にかなり驚きつつ振り返ると、そこには黒いワンピースというかドレスみたいな服に身を包んだ女性?が立っていた。髪も真っ黒で肩を超えていたため、美しいというよりは、不気味と感じた方が近かった。
「えっと、どうぞ…」
「ありがとう」
物腰柔らか。声は女性の見た目には少し似合わない低い声。隣に座ると、顔の彫りも深いことがわかった。
「ここ、よく来るのかしら?」
「えぇ。そうですね」
「そうなのね。私も昔は、こうしてここに来るのよ」
「そうなんですか?」
「えぇ。多分、あなたと似た理由かもしれないわね。あなたの理由は知らないけど」
と、女性?は笑っていた。黒く長い髪を掻き分け、私とはきっと違う先を見つめていた。全く知らない人なのに、知らない人特有の不信感と他人感が、その人からは感じなかった。まるで最初からその人と知り合いで、何年かの付き合いがあるみたいな感覚。
「えっと、あなたは…?」
「あら。ごめんなさい。私は茂上っていうの」
「茂上さん、ですか。僕は、翔流」
「翔流くん。あらカッコいい名前じゃないの。いいわね。かっこいい名前」
「茂上さんは、下はなんていうんです?」
「私?私はね、麟太郎っていうのよ」

え?

本当に?

それを聞き、一瞬フリーズした。

茂上麟太郎、ってこと?え、男の人???

「うふふ。ビックリしたわよね。私はね、男の人なのよ」
正直、そういう人なんだろうなってのは見て気付いてはいた。だが、想像よりも雅な名前で、少しドキッとしてしまったわけだ。
「あなたも、かっこいいじゃないですか」
「そう?でもね、私はそう言われるのが少し苦手でね。だからこうして、女のように振る舞って生きているの。そっちの方が楽なのよ」
「そ、そうですか」
そう言う茂上さんは、なんだか幸せそうだった。何を感じたのか分からなかったが、今に自信を持って生きている感じがした。そう思った途端、私自身はどうだろうかと思い、胸にすんと落ちていく何かがあった。
「…何か、腑に落ちない顔してるわね?」「え?」
ふと茂上さんが、私にそう言った。まるで目に見ずとも、私の胸の奥にある何かを掴んだようにはっきりとしていた。
「何か言いたいけど言えないってこと、あるんじゃないかしら?」
「いやそんなこと…」
「ふふ。隠さなくたって。秘密と言えば守ってあげるわよ。こう見えて、昔は相談役を買ってたんだから」
「そう、なんですか?」
私は迷った。見ず知らずの人に、自分の抱えていることを言えるだろうか?言っていいのだろうか?言ったとして、どんな答えが返ってくるのか。弱音だとか、甘えだとかと返されないだろうか。それが一番、不安だった。
「…生きにくいなぁ、って思いまして」
気がつけば私は、茂上さんに自分の思いの丈を打ち明けていた。見ず知らずの人に悩みを話すなんて、普通に考えれば現実的ではない。けれど、私は話さずにはいられなかった。ひとつ吐けばひとつ、またひとつと溢れていった。本当にどうかしてた。でも、なんだか、よかった。
全てを話し終えると、茂上さんは頷きながら私の方を向き、優しい顔をして口を開いた。
「帰りたくない気持ちは、よくわかるわ。私も昔はそうだったわ。自分を受け入れてもらえないってことは、何よりも辛いことよね。でもね、決してそれだからといって、全てを投げやりになる必要はないわ。上手くいかなくても、何もなくても、生きていれば私みたいに、自信を持てる日が来るんだもの」
そんな日など、本当に来るのだろうか?仮に来るとして、それはあと何日後なのか。何年後なのか。はたまた生きてるうちに訪れるのか。聞きつつも信じてはいなかった。
「今は、分からなくてもいいわ。負けないで生きていれば、分かってくる、かもしれないわ」
と、茂上さんは言い残した。
私たちは並んで座ったまま、河川敷の奥で燃える夕焼けを眺めていた。
私は頭の中で、茂上さんが言っていた言葉を反芻していた。理解ができるまで、と言うわけではなかったが、どこか繰り返している自分がいた。繰り返すことに意味がある、と思ったわけでもなかったが。
「不条理な世の中だけど、生き続ければ、きっと何かあるから、負けちゃだめよ」
「はい。えっと、ありがとうございます…」
そう言うと、茂上さんは笑っていた。
私は静かに俯いていた。たくさん言葉をかけてもらったけれど、どうやって受け止めればいいのか分からない。これが正直な感想だった。
「そのノートに、思いの丈を書いてたって、ことかしら?」
茂上さんは私の持っていたノートを見て言った。気がつけばノートは握りっぱなしだったせいでページに皺がついていた。
「あ、これには、小説を書いてまして…」
「あら?小説?」
「はい。物書きが趣味でして」
「へぇ。少し読ませてくれる?私も読書は好きなのよ」
「えぇ。どうぞ」
その当時書いていたものとすると、今考えると到底人に見せられる代物ではなかった気がする。でもそんなことを微塵も思っていなかった私は、茂上さんにノートを手渡した。
茂上さんはノートを受け取ると、ゆっくりと読み始めた。筆記体みたいに書き殴ったもの。果たしてしっかり読んでもらえるか。それだけが気がかりだったが、さほど気にすることでもなく、私は読み終わるまで綿毛を引っこ抜いたりしながら時間を過ごしていた。私の息に吹かれた綿毛は、私のせいで思ってもいない方向へと飛ばされる。「読み終わったわ」
茂上さんはふぅっと一呼吸すると、私にノートを返した。茂上さんは何か、人智を超えたものに出会したような顔をして、私が書いた小説(に酷く酷似したただの筆記体)の余韻に浸かっていた。「どう、でした?変でしょう?」
「確かに、変と言われれば変だけど、あなたの個性があっていいと思うわ。面白い」
予想にない返答に、私は少し面食らった。
「懐かしいわ。私と付き合ってたボーイちゃんも、あなたによく似た文学青年だったわ。その子は自分の恋をネタに書いていたけれど、あなたはこの世の一部を書いているのね。また新しい子ね」
「僕はただ、自分の生きている世界を書いているだけです」
「そこがまた、面白いのよ。きっと」
私も茂上さんは、ノートの中身を交えつつ、しばらく語り合っていた。燃える夕焼けの温度が冷めてきていたが、構わずに語り続けた。
「翔流ちゃん。世界が平和になるなんて、祈らないでね」
「え?」
突然茂上さんは、こんなことを言い出した。
「世界に愛されるなんて、祈らないでね」
「え、なんで?どういうことです?」
「例え世界に愛されて平和になったとしても、最終的には自分自身を愛さなきゃ、それもあまり意味をなさないから。ね?」
と、言っていた。それが茂上さんの持論なのか、それか知らなかっただけの常識の基礎なのか、この時の私には分からなかった。ただ、その言葉に対して頷くことしかできなかった。
どれだけ長く喋っていたのか、気が付けば空は薄暗くなり始め、夕焼けの火はとっくに冷め消えていた。建物たちが灯りをつけ始め、人の気配も薄くなる。
「さ、そろそろ帰りましょう。今日は楽しかったわ」
「えぇ。ありがとうございました」
「また、どこかで会いましょうね」
こうして、私は茂上さんとの不思議な時間を終えた。歩いて行く茂上さんの後ろ姿は、正体を分かってなお美しく感じる。あの柔らかな雰囲気や口調、届いて欲しい場所に近づいてくれる穏やかさ。そこにどこか、憧れのようなものを感じた。家路の中で、私は茂上さんの姿だけが頭の中にあった。あの人は、私の中の何を感じ取ったのだろうか。そして、私から何を取り出して、再び与えようとしていたのだろうか。それについては、今でも答えが出ていない。
でも、私は今でも、あのオネエの言葉を愛してる。最終的に愛するべきなのは、自分自身。それについては深く同意したい。そして、もっと自分を愛していたい。嫌なことだらけのこの世の中。不条理まみれな不細工な人生だけど、どこかで生きている自分への可愛さを見出して、まだ生きていようと思えるようになりたい。
その日はちゃんと、人間と呼べる日だろうか。

あれから数年経って、私は大学生になった。重たくて胃がもたれる過去に一度蓋をして、なりたい自分で生きてみることにした。
「おはよ。翔流君」
「おはよう。あら?あなた髪切ったかしら?」
「そうだよ。少し切ってみた。どう?」
「いいと思うわ。サッパリしてるわ。前も良かったけどね」

楽しく生きてます。

でも、時々また戻ってこようと思っている。私を変えてくれた思い出には、しっかり挨拶をしに行こうかなって気持ち。
そして、またあの黒いドレス姿のシルエットを見かけることができたら、生まれ変わった河川敷の小説を、読ませてあげられるかな。

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