見出し画像

なかったこと

 「でも、このままなしには、せんとこう。」

 話を聞いてくれる人がいる。ありがたくて、嬉しいことだけど、私は制限時間内に全部を話すことが難しい。だからか、終わりの時間が決まっていなくても、「この人、終わりたそうだな」が分かってしまう。言葉にはできないほどの、些細な仕草で。

 話すのに時間がかかるから、私が話の途中だと思っていても、切り上げないといけないこともある。その内容を次の機会に持ち越してもらえることもあるけど、だいたいは次会ったときに、「なかったこと」になっている。その方が嬉しいときもある。「なかったこと」になっていなかったら、今日まで私のことばっかり考えていたかな、申し訳ないな、って思うから。

 でも、それ以上に、私が放った小さい一言を覚えてくれていたら、嬉しい気持ちが大きくなる。「この前、〜って言ってたけど、今もそう?」「前教えてくれた気持ちは消えた?」私との時間をただ消化するんじゃなくて、一緒に楽しんだり考えたり、出来事を共有してくれる人だって分かるから。

 これまで、たくさんのことが「なかったこと」になったし、私も自分でそうしてきた。それでいい。むしろそれが普通だと思う。でも、少し前に会った人は、私の話を聞いて、こう言った。

「でも、このままなしには、せんとこう。」

 そこに至るまで、雨上がりの道で、私の話をゆっくり聞いてもらっていた。本当に、時間がかかった。内容は薄っぺらだったし、分節と分節の間が途切れるし、何を言っているのか分からなくなって何度も首をひねった。無意識に自分の手を強く握ってしまっていたようで、それをほどいて、両手を繋いでくれていた。横を通った人は、私たちがテレパシーを送っているように見えたかもしれない。そして、数え切れないくらい私が首をひねったあと、「分からんくなった?ええで。話聞けてよかった。ここまで話してくれたことが、まず嬉しい。今日は疲れたやろうから、帰って休んで、また話せるときに、いつでも話そう。文字でも、電話でも、会いたかったらここまで来るし。」と言ってくれた。そこで「なしにはしない」と言われて、心がときめいたんだ。この人は、大事にしてくれる人だなと思った。私も、この存在を、大事にしないとって。

 ここで、私の話が全て終わってないことに気づかれなかったら、いつか私は、これまでの「なかったこと」になったことを抱えて、ぶっ倒れて、息も止まっていたと思う。

 今度会うときは、私が言いたいことを書いてから持って行こう。してもらってばっかりはよくない。それが私なりの工夫です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?