はじまり
最近ちらほらと周りでも書いてる人がいて、思えばmixi(死語?)で若い頃何でもかんでも日記を書いてた以来、かれこれ10年ほどアウトプットをしていないなと思い、始めてみようかなと。
と言っても、mixi(そいえば今日Twitterのトレンド入ってたな)全盛期って主に知り合いに向けて書いてたんで、自分自身のキャラや人となりを知られてる中で書いてたから表現とか、やっぱりどこか人の目を意識していた部分てあったはずなので、noteを始めるにあたって、まずはその繋がりから距離を置いてひっそりと書いていこうと思います。
そもそもなんでアウトプットしたい欲求が出てきたかを考えてみると、やはり去年から続く新型コロナによる生活様式の劇的な変化が大きく関わってきてて。
かれこれ15年近く summer sonic や FUJI ROCK といった音楽フェスを生きがいに過ごしてきた今までの自分にとって、昨年のコロナ禍によってフェスが全滅してしまったのはある意味絶望を感じる大きな要因だったはず。
なのに、実際のところ普通に穏やかに今現状過ごせている。なんならむしろフェスがあった時の方が感情の起伏は激しかったんじゃないの?と思うほど。
3年前、臨月の妻がいる状況で大好きなFUJIROCKに行けない、いや流石に行っちゃいけないと思えば思うほど我慢ができず、その年から配信が始まったのでそれをみて心を落ち着かせようとすれば逆に行きたくなってしまい、結果妻から
「そんなんなら行って来れば?」
と呆れながら言われ、恥ずかしながら最終日だけ弾丸で参加した過去があるようなどうしようもない男なのに。(妻よ本当にありがとう。そしてごめんなさい。)
もちろん、ソーシャルディスタンス、3密を避けるという観点からみれば今までのフェスやライブというものはまさしくアウトな場所。むしろ3密万歳、大合唱してなんぼのもんじゃい!な空間なのは誰の目からも明らかなので、流石にこの状況下じゃ無理だよなと自分自身で思えたからというのも多いにある。
それと同時に改めて気が付いた事がある。いや、正しくは分かっていたけど確信に変わった事がある。
ここ数年、フェスにいく=音楽を楽しむ
ではなく
フェスに行く=人と触れ合う
という気持ちで参加していたと。
ここ数年、海外と日本の音楽シーンのトレンドは大きく違ってきていて、一昔前ならヘッドライナーと呼ばれるメインのアーティストは日本も海外も大体同じであり世界の音楽シーンのリアルタイムを肌で感じる事が出来る場としてのフェスだったが、最近では海外でめちゃくちゃ売れてるアーティストが日本ではさっぱり売れていないなんて事はざらにあり(むしろ洋楽全般が日本で売れてないという側面もあるが)「またこのアーティスト(バンド)がヘッドライナーか。」なんて事が増えていたのは事実だろう。
また自分自身の中でも、10年くらい前までは海外の新人バンドをyoutubeやマイスペ(死語)で貪るように聴いてはみつけて来日公演があれば行ってメンバーと仲良くなってなんてことをするのが楽しくて仕方なかったものだけど、悲しいかな、殆どのバンドが1stや2ndアルバムを出して解散してしまい自ずと新しい発掘をしなくなっていったという事も重なってはいた。
実際、自宅からすぐ行けるsummer sonicにはかれこれ4年前から行かなくなった。それは音楽をたくさん聴ける場所であったサマソニが自分の熱量と合わなくなってきていたからなんだと思う。
でもフジロックには欠かさず行っていた。流石に結婚し子供が出来たこともあり、3日間フルでは毎年行けないが、それでも1日だけでも行ったりしていた。むしろ1日だけでもいいから行きたいと思っていた。
何故か
それはあの空間とそこにいる人の空気感がたまらなく好きだから。
有難いことにフジロックをきっかけに色んな人と知り合い仲良くなり未だに交流がある。しかも年齢もバラバラで職業もバラバラ。普通の生活なら出会うこともないし万が一出会ったとしても敬語を使ってしまうだろうってくらい歳が離れてる人もいる。 まさか、社会人になってこのような素敵な出会いに恵まれるとは思ってもいなかった。それでいて絶妙な距離感でみんなといれるのだ。
中にはFUJIROCKでしか会わない人もいるし、期間中はみんな一緒にテントで寝泊まりをして仲間内で乗り合いで現地に行くけど、ライブとかは各々が好きなものを好きなようにみてバラバラな動きをする。みたいものが被った時は一緒にみたりするけど、四六時中一緒にいるなんて事はしない。
一人なんだけど一人じゃない。行くと誰かしらに会える。そんな空気感の共有がたまらなく愛おしくて、あの場所を求めてしまうんだろうな。
それと、あの過酷な空間を共に共有しているっていうのも大きい。
集まって話をする時大抵「○○の時、めっちゃ雨が強くて…」など、枕詞のように過酷なエピソードが必ずついてくるのがFUJIROCKである。
でも、その話をしてる時みんな笑って話す。絶対その時は過酷でつらくて地獄だって思っていても振り返ると笑える話として消化されている。
これも共有体験の一つであの過酷な状況を同じ場所で感じていた同志。として自然と絆が深まってるからこそ、バラバラに動いてても居心地がよかったりするのかもしれない。
だからこそ、毎年あの場所に帰りたくなる。帰りたくなっていたんだよね今までは。
そんな素敵な空間を否応無しに奪っていった新型コロナ。
奪われた先でみつけたもの、手に入れたものはまた次回書いていこうと思います。
長文駄文失礼しました。久々に書くと話がうまくまとめられず疲れるなぁ笑
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