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窓の外を見ていた

毎度どうもです!!
今日は私の思い出話みたいな事を話ていきたいと思います。

私が小学生の頃、私にとってはほとんどの授業がつまらなくて、美術と理科の授業以外の時はいつも窓の外を見ていたんです。もちろん、自分の席が窓側にあるときだけですけどね。

何で見てたかって?ただ、ずっと向こう側には何があるんだろ?って単純に気になっていたからです。

まあ、いつも見える風景は近くには沢山の家とずっと遠くには何かの工場と赤く細長い大きな煙突みたいなもの(たまに火を吹いてました)が見えてましたが。

私にとっては、その何の変哲もない風景がとても興味深い風景に見えてたんです。

毎日繰り返される、決まった時間に始まり、決まった時間に終わる学校。教師に決められた科目を決まった時間に始める教師と生徒。遊びも集団で決め、全員で行動する。授業が終わった後のクラス報告での男女グループの下らない言い合い。(まあ、学校でガラスが割られた!とかは面白かったですが…😌)
ただ、六年生で私は少しグレましたので、六年生の頃は自由行動をしてた気がします。かなり、先生に反抗してたような…。

まあ、なんやかんやで窓の外の風景って好きだったんですよね。なんかこう、自由が沢山あるような気がして。
そんな大好きな窓の外を眺めてた時にふと気がついたことがありまして、何で、みんなは出ようと思えば、こんな所から出れるのに、出ないのかな?って。私も含めてですが。

まあ、今になっても思うのですよね。自由なんて、近くにあるのに、ほとんどの人がそれを獲得しようとしない。まるで、束縛を望むかのように、自ら自由を手放すって何だか不思議だなぁって。

それは、多分、その頃に思ったことなんですが。自分の価値観を集団に託してしまってるからだと思ったんですよね。それは集団の中に混じって生きていくためにやってることとは思いますが。

しかし、その集団が向かっている先が間違いだとしたらどうなるんだろうか?って、何か難しい事を窓の外を眺めながら思ってました。

何か、どうでもいいこと話してしまいましたね(笑)
なんか、今はこれ以上先が書けないので、終わりにします。
以上、解散!!(笑)

あ、最後に
多分、今やってることで、色々な所に沢山行かないといけないので、自分が大好きだった窓の外に出て、自由に生きていけるって思うと、何だか不思議な気持ちになります。まあ、出会ったみんなとは離れる結果に、いつもなってしまってますが。

ーーーーー終わりーーーーー