パンピーピンプス・ヴェンダーディギング

限りなく愛しくも、果てしなく慎ましいこの現実を今日まで享受しつつ…それでも人生のどこかで摩訶不思議なマジックリアリズム的アクシデントと巡り会うことを期待してこなかったかと問われたら、答えは断じてノーだった。
通学電車が“きさらぎ駅”に止まったら怯えながらも一歩だけ降りてみるかもしれないし、見慣れない路地へ軽々に立ち入ったら酩酊者を誑かす赤提灯と東洋的妖魔存在が跋扈するナントカ横丁に迷い込んでしまう妄想も、幾度としてきた。

端的に言って、僕は“ふしぎなデキゴト”に憧れている。

何も魔法使いや超能力者になりたいわけではない。ただ“奇妙”に与かりたいのだ。
だというのに今日まで僕の人生は悉く現実の出来事で整備され、マジックリアリズムもリアルファンタズムも見当たらぬ、リアルリアリズムによって執拗な程に満たされていた。
あるいはこの世の何処かでマジックでファンタズムな青春に巡り恵まれている果報者の皺寄せで僕が"現実的現実"に見舞われていると思うと、ますます現実というやつに腹が立ち、更に“ふしぎなデキゴト”への憧れが強まる。

かくしてなんの不条理も理不尽も無く、因果は応報し自業は自得に帰結を遂げ、大天使アザナエルの結わえた縄の螺旋のごとし表裏一体のバランスで降りかかる禍福に見舞われながら、因果的に完全で正しい毎日を、僕は身勝手な煩悶と平和ボケした懊悩に跨って健やかに歩んできた。

そして、やや湿り気のある冬の夜。大学からの帰り路のことだった。
何の気なしに学校の最寄り駅をスルーして一駅分だけ歩いていたら、見知らぬ自販機を見つけた。
奇妙や不思議を愛する者としておかしなモノには目敏いタチだが、とりわけ自販機には更に目敏い。個人が設置しているやつだと、奇妙ではないにせよ変なジュースが変な値段で売られていることがあり、たまに面白い。

自販機マニアとして見分を深めるべく近寄ったところ、値段を見て「はあ?」と零れた。

【続く】

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