メロスは走って誰から逃げた?

中学生の頃。期末テストが嫌でしょうがなかった日の朝に、いつもの通学路を外れて少し遠回りをした。
別に学校をサボってはいない。毎日朝礼の二十分前には教室にいるやつが、五分前に教室に入っただけのこと。早く着こうが遅く着こうが、あの惨憺たる得点に変わりはなかったろう。なんならいつもより早く来て教科書でもめくっていればもう五点は稼げたかもしれない。

“一分一秒でも問題を先に送る”。

これが俺という人間の本質であり、行動の基本指針だ。

この宿痾とも呼ぶべき逃げ癖は俺という人間性の深奥に根差しており、大学卒業後に新卒で入った会社に半年で嫌気が差して退職を決意した際、あんなにも就職活動をダラダラとやっていたのが嘘のように俺は自分でも驚くほど転職活動を積極的にこなしていた。
骨の髄まで逃げ癖の染み渡った俺という個人を客観視に基づいて分析すれば、学生というお気楽な身分から社会に“向かう”ための就職活動と、現状の不平不満だらけの会社から“抜ける”ための転職活動とでは、どちらに身が入るかは瞭然であった。

…ここまで来ると、俺はより良い環境に行きたいというよりも“逃げる”という行為そのものが目的なのではないかという疑惑も俄に浮上する。
恐らく俺の人間性にそびえ立つ“逃げ癖の木”はとんでもなく太く、深い根を張り巡らせているようだった。
むしろ、逃げ癖という木がぽつねんとお気楽に生えているところに俺が人間性の土を覆い被せ、水と肥料をドカドカぶちこんで「この木が生えてるとこ、俺な!」と自己を定め込んでいるのかもしれない。
つまり、俺はまず“逃げ”ありきなのだ。

そんな俺でも逃れ得ぬものはある。
卒業論文、国保、年金の支払い、追徴課税、etc……
こうして見ると“不可避”とされる物は悉く恐ろしいが、世の回りに欠かせない役割を備えており、今の俺による逃亡対象であるソレもまさしく不可欠にして不可避であった。

即ち、“日本警察”である。

【続く】


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