侵入主義者はかく定めき

厳粛な式典で大人しく座っている最中、突如として自分が発狂し、壇上に駆け登る凶行の顛末を想像してしまうこと。
あるいは職場の偉い人に罵詈雑言を叫び散らし、着るべきモノを脱ぎ捨て出さざるべきモノを出した時の周囲の反応を妄想してしまうこと。
または親しい知人との歓談の只中、目の前のそいつを中指の第二関節をとんがらせた中高一本拳で繰り返し殴打したときの反応に想いを馳せること。
これらは侵入思考と呼称される、心身ともに健康的な青少年であってもままある心理的挙動に過ぎないらしい。

なるほど抜群のネーミングと言わざるを得ない。何せそんな恐ろしいことが自分の脳から出てきたなどと誰も信じたくはない。脳の外部から突如として介入した雑念。すなわち侵入を果たした思考であると言わざるを得まい。
かくいう俺も多分に漏れず、日々時々幾多もの突飛な思考が脳内へ侵入してくる。くるのだが。

侵入思考の皆様、ちょっと図々し過ぎる。
あるいは、我が脳の番人はサボり過ぎだ。

というのも、小学生の時分に学校で飼っているマガモが産んだ卵を残さず破砕する計画の侵入を許して以来、侵入思考界隈で俺の脳は行き来がきわめて容易いことが知れ渡ったらしく、あんな犯罪やこんな迷惑行為を教唆する思考が夙夜夢寐に頭の内と外を出入りするようになった。
それらはもはや侵入の体を成しておらず、我が脳宮は侵入思考の公園と化していた。中にはずいぶん長居するやつもいれば、逆にすぐに立ち去る奴もいた。『同級生の家を放火する段取りを組みたがる思考』はかれこれ五年近く住んでいる。どうやら近隣にある月極駐車場の監視カメラを誤魔化す手段に難儀しているらしい。そっとしておくべきだ。よく悩め。そして挫折せよ。

しかし、彼らがいつか出ていくのをただ漫然と待つのも気が長いし、理性と倫理で抑え込むのも僅かに気を揉む。
なので、思考達を満足させるために時折『ギリギリの実現』を提供してやるのだ。

【続く】

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