京の夜空には赤々と梅田駅

伏見大手筋商店街を抜けて駅に向かって歩こうとすると、出口に横たわるように踏み切りが存在している。

この踏み切りを横切る列車は商店街を一本の縦棒に見立てると、ちょうど鉤括弧の鉤の部分になるように配置された駅。伏見桃山駅に必ず停車するようになっている。大昔は準急以外の優等列車は停まらなかったようだが、ちょっとだけ昔にあらゆる列車が停まるようになった。
そういった理由から、ここか、次の丹波橋駅で降りて近鉄線に乗り換えれば奈良駅、京都駅へと急行ないしは特急列車で向かえる。比較的いい立地にあると言えよう。

しかし……

『えぇまもなくぅ、ヨドバシカメラ。ヨドバシカメラがぁ、参ります。踏切を渡られる方でお急ぎの方はぁ予定の延期の段取りをお願いいたします』

アーケードの天井に10メートル間隔で設置されたスピーカーから車内アナウンスが流れた。厳密には列車内から、踏み切り前の近隣地域へ向けたアナウンスだ。その通り。この《阪京》電鉄では『ヨドバシカメラ』が運行するのだ。なんの例えでも比喩でも無い。文字通りその電器屋が線路を通るのだ。

車掌が言うや否や渡らせるつもりが無いのではと疑るほど手早くアーケードの出入り口を塞いだ食い倒れ遮断機の前に立ち、左方に目を向ける。曇り空の水色を覆い隠す電飾に覆われた灰色の巨塊が規模に見合わぬ、通常の列車と遜色ない速度でプラットホーム目がけて進行してくる。大阪府の開発に伴う人口の増加に対応すべく巨大化…否。肥大化した超弩級複合型商業施設集合列車。それが『阪京ヨドバシカメラ』。長さは京都駅ビルにほぼ等しく。その一方で高さは京都駅の倍。当然まともな規格に収まる列車ではない。ヨドバシカメラが運行している間、複数ある線路はすべてこいつの車輪に占領される。遠くにある反対側のホームとの間に余計な線路が何本もあるが、これのために敷設されたのだ

言うまでも無いが、こんなものが一つのプラットホームに収まるわけは無い。停車後は完全に踏切を塞ぐことになるため、もし片側にいる場合立ち往生する羽目になる。この辺りに住んで長い者はこいつの運行ダイヤを頭に叩き込んでいるため、駅に着く一時間前に踏切を越えるような用事は済ませるか、あるいは用事など作らないなどのセルフマネジメントで対処している。何せ、こいつの停車時間は12時間。半日はここが通行不能になる上に、次の丹波橋駅に停車しても列車の後方はしっかりアーケード前に陣取るため、丹波橋駅での停車時間12時間と足して24時間。一度塞がれば翌日まで食い倒れ遮断機が太鼓を叩くことをやめない魔の踏切だ。

さて、こうして丁寧に駅に停まってくれるわけなのだから、当然列車内に入ることが出来る。畏れ多くも大阪の温情により列車のていを取っているにも関わらず施設には無料で乗り放題降り放題。「ヨドバシ入るのにカネ取るわけあらへんがな。タダや。タダ」という当時の知事のお言葉に当時の京の人々は涙を余儀なくされたのだそうだ。

……先ほど《用事を作らないこと》《用事を済ませること》でこの列車のダイヤに対処する地元の人々の習慣について説明したが。俺の場合は少し異なる。

わりとメジャーな手法なのだが、俺は《ヨドバシに用事を作ること》で対処を図っている。別にどうしてもヨドバシに行きたいわけではないが、踏切を塞ぐこいつを邪険にせず『ああ、ちょうどいいや。買い物行きたかったんだよね』と澄ました態度で迎え入れることで少し気が楽になるのだ。

我ながら空しいとは思うのだが、この心理でヨドバシに乗り込む者はわりと多いらしい。『俺達』にはけっこう負けず嫌いが多い。表には絶対出さないが……

――――――――――――――――――――

『まいどおおきにー!また来てやー!』

降車ドアを人が通るたびに外に向かって棒読みの関西弁で見送りの音声が響き渡る。『ダイドー』という合成音声ソフトウェアで作り出された声らしく、大阪人がもっとも安心する声とトーンなのだそうだ。俺にその感性は少しわからないが。そして停車から15分弱。降車客があらかた車内から出尽くしたらしい。ホームには地下行きの階段が設置されており、地下道を抜けるとアーケード内に出れる設計だ。おかげで現在アーケード内は辛気臭い人ごみで満ちている。とぼとぼと疲れ切った様子で、あの列車など見たくもないというふうに、丸めた背中を踏切に向けてアーケードの反対側へ歩いていく。

ダイドーが最後の乗車客が足早に列車を出るのを追い打つように見送りの声を投げかけてから、数十秒が経った。降車客がセンサーに反応しない時間が一定時間継続すると自動的に乗車客を迎え入れるモードに切り替わるのだ。

『いらっしゃいませえ!ええもん、そろてるでー!』

乗車客の受け入れが始まった。急いでも別に好ましいことはないので俺を始めとして何十人かの客はえっちらおっちら、辟易しいしいで地下道への階段を下ってホームへ向かう。別に特段行きたくはないのだが、ただ通過するのを待つのも負けた気がするので足は踏み入れたいのだ。

『おおきにー!ゆっくり見てってやー!』

乗車客一人一人に声をかけるダイドー。連続して人が通ると音声が途切れ途切れになるのはご愛嬌。俺が乗車した時は「おおきにー!ゆっく」で途切れた。俺に向けた言葉かは怪しいものだが。

ちなみに車内を通り抜けて反対側のプラットホームに出る。といった反則技は出来ない。乗車時も降車時も、必ず進行方向から見て右側のドアしか開かない仕組みなのだ。「大阪のエスカレーターは右側通行ですんでね。みなさんにも見習っていただきたい」という、当時の知事の言葉に当時の京の人々は感銘と納得で顔を梅干しのようにしかめたそうだ。

なぜ、この路線はここまで大阪に染まったのか。いや、染まったどころか作り変えられたと言ってもいい。昔の資料と比較すると信じがたいほどの変貌ぶりだ。
その問いに対しては、前提からズレているので返しようがないと答えさせていただこう。

《旧》京阪路線こと、阪京路線。この路線だけではない。
いわゆる《京都》と呼ばれる洛中を始めとした主要地区および鉄道路線は、若い世代で言うところの『大阪都抗争』の果てに、完全に接収されてしまったのだ。

今の日本に、『千年の都』と呼べる場所は存在しない。

今から千数百年前。ここに都が出来た。
それから千数百年間。都同然の発展を続けてきた。
今日から数十年前。ささいな諍いに端を発しその都は終わった。

是を以ってユネスコは、京文化を《無形文化遺産》へと認定。
該当する地域は、日本の“大阪府”。

【多分続く】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?