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季報:『楽園へ*無垢なる望みのアブソリュート』、そして愛により青年へと羽化すること

※『あんさんぶるスターズ!!』の『楽園へ*無垢なる望みのアブソリュート』のストーリーの核心にふれています。

 私が楽しく遊んでいるソーシャルゲーム『あんさんぶるスターズ!!』では、ユニット新曲クライマックスイベントを順次開催している。いくつものユニットの「最高潮」を描き、ついにEdenの番が訪れた。不穏な予告にかすかな緊張を抱きながらも、彼らの「最高潮」がどのように定義されるのかを楽しみにしていた。

 物語のあらすじはこうだ。「ゲートキーパー」の呼び出しにより一路アメリカへと発ったEdenの面々は、3つの依頼を受けることとなる。アイドルの祭典「アブソリュート」への出演、「ゲートキーパー」が保護しているNEGIの話し相手となること、そして「アブソリュート」の覇者であるシャカを説得することだった。シャカは「アブソリュート」を六連覇している絶対的アイドルなのだが、今回の舞台に上がることを拒んでいるという。そのような折に、件のシャカと凪砂が姿を消してしまう。

『アブソリュート 厭離穢土/第七話』より

 Edenというユニットの物語でありながら、同時にES設立後のSSから続く流れを汲んだエピソードであるため、用いられている小道具が散逸している印象は受ける。ストーリーの前半部分の時点ではゴッドファーザー、ゲートキーパー、そして神父──言うなればこれらの舞台装置が前景化しているため、システムの話に終始しているように感じられる。視点の転換も煩雑なため、平たくいえば非常に読みづらい。

 しかしながら、ストーリーの後半部分で描かれた彼らの変化はあまりにも愛おしいものであった。この物語の根幹は「凪砂が自己愛を獲得したこと、あるいはそれを自己の内側に発見したこと」だろう。

『アブソリュート 厭離穢土/第十二話』より

 これまで幾度となく描かれてきたように、乱凪砂は複雑なキャラクターだ。「ゴッドファーザー」と呼ばれるアイドル業界の覇者の寵愛を受けて幼少期を過ごしていたが、その出自は不明のままである。きわめて優れたアイドルパフォーマンスの才能を持ちながら、浮世離れした言動を繰り返す。ときおり生まれたばかりの子どものような様子さえ見せ、世話をする茨は常に手を焼いている。
 そのうえ、『アブソリュート』の物語のなかで、凪砂の生命あるいはパーソナリティが人工的に生み出された可能性が示唆される。あくまでシャカが自らの認識に基づいて語ったのみであるため、真偽のほどは定かではないが、仮に真実だとしても驚かないなと思った。それほどに乱凪砂という人間はアンバランスな存在である。

 物語の終盤で、シャカと凪砂の失踪事件は「シャカが自らの目的を果たすべく凪砂を攫った」ことによるものだと明かされる。シャカの目的とは、「トップアイドルのシャカ」という偶像と自分自身を切り離したい──そのために凪砂と人生を入れ替えたいというものだった。しかし、凪砂はその要請を拒絶する。

 現在のアプリの前身である『あんさんぶるスターズ!』のころ、凪砂の嫌いなものとして「自分自身」が挙げられていた。
 そのせいか、これまで日和や茨、ジュンをはじめとした他者への愛を示す言動は見せていたが、明確に自分自身を好ましく思っていると発言したことはなかったと記憶している。これは私に強烈な印象を残しており、乱凪砂という人物を考察するうえで欠かせないピースだと認識している。

『アブソリュート 極楽浄土/第十四話』より

 しかしながら、凪砂はシャカとの対話のなかで自己をはっきりと肯定した。シャカの「人生を入れ替えたい」という要請を拒んだのは、自分の人生を──ひいては自分自身を愛しているからだ、と高らかに語る。これがとてもうれしくて、ようやく孤独な「神の子」が人間の青年になれたのだなと涙ぐむ思いでいた。

 これまでの凪砂の成長は子どもの発達段階に準えて描かれているのではないかと考えていたが、それを確信できたような気がする。
 私の専門ではない領域なので、話半分に読み流してほしい部分ではあるが──エリクソンの発達段階理論に照らしてみれば、幼い日和からの無償の愛を享受し(発達段階上の乳児期)、成否はさておき茨によって躾けられ(発達段階上の幼児初期)、勝手に仕事を受けるなどの積極性を発露し、学童期を迎えていたと考えられる。
 そしてようやく、凪砂は確固たる自己を認識し、肯定し、愛する。自己同一性を確立した彼は、外見年齢どおりの青年になれた──日和や茨やジュンと同じ存在である、人間になれたのではないだろうか。

 凪砂の相似形であるシャカは自己同一性をうまく確立できず、その自我が崩壊しかけていた。凪砂とシャカの命運を分けたのが愛の存在/不存在であることは、あえて語るまでもない。お金で愛は買えないし、愛もまたお金と交換することはできないのが皮肉だ。

 青年の身体にそぐわない未熟な中身を持っていた、いわば蛹のような凪砂はようやくうつくしい蝶へと羽化したのかもしれない。凪砂が蛹のアナグラムであるのも偶然ではないだろう。

 成長が顕著であったのは凪砂だけではない。茨もまた、彼らしからぬ親愛の表現を見せている。凪砂に対する発言は枚挙にいとまがないほどだが、私はとりわけこのシーンに胸をうたれた。

『アブソリュート 極楽浄土/第七話』より

 驚くことに『アブソリュート』での茨とジュンはずっと気安く仲が良い。冗談を発して揶揄い、軽妙な会話を繰り返す。いっそわざとらしいほどでもあるのだが、対外的に仲の良さをアピールするのは茨の常套手段ではある。
 だからこそ、この台詞──ジュンが茨に対する信頼をはっきり表明し、それに慇懃な返答をした茨がぽつりとこぼした言葉──のトーンがあまりにも生々しく、血の通ったものであることに驚いてしまった。これはまさしく「俺」が発した言葉であり、七種茨という人間のあたたかい感情の発露なのだと思う。
 うれしい……。あまりにもうれしかったので、私用のPCのデスクトップ画面に設定してしまった。

『アブソリュート 極楽浄土/第五話』より

 ジュンが、日和の仮面の下に気づいているような様子を見せていた場面もよかった。今回はほぼいつも通りのふたりだったけれど、日和の本質が利他であることをようやく見抜いたジュンの成長がかわいい。
 火事現場に突入しようとする場面で、日和がジュンに無茶振りをしたと見せかけて実は安全な場所に留め置こうとしていたことには気づいていたのかな。

『アブソリュート エピローグ①』より

 こんな呑気でかわいい挨拶をするくらいなのだから、気づいていないのかもしれないね。思えばずっとマスコットキャラクターのような立ち位置でかわいかったね。そのまま健やかに在ってほしい。

 神の子として歪んだ寵愛を受けていた子ども。聡すぎる故に「名家の不出来な次男坊」の仮面を被り続けていた子ども。親に捨てられ、戦場に送られた子ども。虐待めいた教育を施され、恨みを抱えていた子ども。そんな彼らが生存し、出会い、アイドルとしてステージに立って迎えた「最高潮」が愛の存在の確認であったことをうれしく思う。
 アブソリュートの舞台で芳しい成績を残さなかったのもよかった。クライマックスだけれど終わりではなく、人生は続いていく。このまま世界へ、宇宙へまでも羽ばたいてほしいなと祈るばかりだよ。

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