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月報:2023年10月

 夏の残り香が消えないうちにクリームソーダを飲んだ。いまの季節が永遠だったらいいのにな。芸術も食も行楽も読書も、すべて秋でなくても楽しめるけれど、秋の夜長においてはなんだか特別に思えてうれしい。

■『次元交わる学級会からの脱出』のこと

 某日、リアル脱出ゲーム原宿店にてリアル脱出ゲーム×にじさんじ『次元交わる学級会からの脱出』に参加した。

 本公演はバーチャルYouTuberグループ「にじさんじ」とリアル脱出ゲームのコラボ作品だ。にじさんじ公式ライバーの月ノ美兎さん、剣持刀也さん、リゼ・ヘルエスタさん、でびでび・でびるさまの4名が登場し、彼女たちと協力しながら謎を解いていく。

 私は月ノ美兎さんが大好きで、そのうえリアル脱出ゲームが大好きだ。彼女が配信の中で謎解きへの愛や謎解き公演の体験談を語るたびに、月ノ美兎さんとSCRAPがコラボしてくれたらいいのになあと夢想していた。実際のところ、何度もSCRAPの公演アンケートに書いてきた。
 本公演が発表されたとき、月ノ美兎さんの夢が叶ったと同時に私の夢も叶った。実際に参加するまでは紆余曲折があったのだが、こうして滑り込むように参加できて本当によかった。

 入場した時点で細部まで凝った公演となっていることが伝わるつくりになっていた。普段から彼女たちに慣れ親しんでいる人はもちろんうれしいし、そうでなくてもその世界観の作り込みに惚れ惚れするであろう完成度だった。
 原宿店はいつも黒板アートが印象的なので、本公演のものも例に漏れない力作でとてもうれしい。

 結果は脱出成功だった。設けられていた謎との相性が良く、わりとすんなり解けた実感があった。
 それぞれの謎に王道の良さがあり、公演タイトルの回収もかなり美しかったところが好きだった。VRもとても楽しく、目の前にいる……!というたしかな感動が湧きあがる。映像がかなりきれいで驚いた。
 ひとつひとつの演出のなかに月ノ美兎さんたちからリアル脱出ゲームへの愛情が、またSCRAPからにじさんじへの愛情がにじんでいたように思う。音楽まわりの演出もこの上なく良くて、エンドロールのあとで涙をこぼしたのは初めての体験だった。

 本公演で得た驚きやよろこびは普段の月ノ美兎さんの配信や動画から得られるものの延長線上にあるのに、その質感や手触りがひとつ上の次元にあった。
 最初から最後までずっとうれしくて、想い出を抱きしめている。好きなものをずっと好きでいるとこんなふうに素敵なことが起こるよね。これからもずっとずっと大好きです。

■劇団ドラマティカ ACT3『カラ降るワンダフル!』のこと

※致命的なネタバレはありませんが『カラ降るワンダフル!』の内容にふれています。 

 某日、品川プリンスホテル ステラボールにて『カラ降るワンダフル!』を観た。
 本作品は、私が楽しく遊んでいるソーシャルゲーム『あんさんぶるスターズ!!』の劇中に登場する演劇集団の「劇団ドラマティカ」としての公演だ。つまりは作中のキャラクターが舞台上の役を演じているという二重構造で、普段のアイドルとしてのキャラクターとはまた異なる魅力を見せてくれる。

 『カラ降るワンダフル!』は劇団ドラマティカとしては3作品目にあたる。これまでの2作は配信で観ていたが、今回は縁があって現地公演を観劇することができた。とても楽しい公演で、同じ空間を共有できたことがうれしかった。

 ACT1『西遊記悠久奇譚』が物語そのものの面白さを、ACT2『Phantom and Invisible Resonance』が登場人物同士の魅力的な関係性を武器にしていたとするならば、本作は場面ごとの多幸感の最大化を前面に押し出していたように感じた。

 不思議の国のアリスを下敷きにした物語は、帽子屋の朗々とした語りからはじまる。物語を、そしてハッピーエンドを愛する彼は、自らも物語の中へ飛び込むのだという。そうして場面は転換され、記憶をなくした少女の独白へとつながっていく。
 あえて言うならば筋書きそのものに目立つところはない。不思議の国に落下したアリスが自らの抱える問題を解決し、現実の世界へ戻っていく。ありふれた一幕であり、よくあるハッピーエンドの物語だ。
 だが、私は舞台から目を離すことができなかった。奇妙奇天烈なキャラクターたちが繰り広げる狂騒劇があまりに楽しく、すばらしいものだったからだ。
 彼らは少女を取り囲み、口々にお茶会へと誘う。歌い、踊り、おしゃべりに興じ、観客を笑わせる。突飛なのに不思議と楽しいような感覚は、幼いころに訳もわからず観ていた海外アニメにどこか似ていた。

 演劇という空間では、演者と観客にある種の共犯関係が生じる。演者の台詞や仕草が観客の笑いを引き起こすこともあれば、観客の緊張が演者に伝わり、至上の演技を引き出すこともある。互いの反応が互いに影響を与えて、舞台は熱を帯びていく。そのような相互作用が発生することを暗黙のうちに了解し、演者と観客でひとつの作品を生み出しているともいえる。
 本作も例に漏れない。可笑しくて楽しい場面が訪れるたびに、客席からやわらかい笑い声が沸き起こる。それが舞台上にも伝わったのか、キャラクターの表情はいっそう生き生きとした輝きを増す。
 時にはシリアスなモノローグが挿入されるものの、観客は迷わずこの物語をコメディとして楽しむことができる。あらかじめ帽子屋によって語られているように、この物語はハッピーエンドだからだ。肩の力を抜いて楽しむことができる、よい作品だったと思う。

 凪砂くんがずっと溌剌としていて、自由に駆け回るねこのようでとてもよかった。彼も含めた数人のキャラクターは、アイドルとしての彼らとは意識的にずらしたキャラクター性を付与されていたと思う。別の側面を楽しむことができてうれしかった。
 そして私の頭のなかはジュンくんと茨の学パロでいっぱいになってしまった。高校生なのに学パロとは、という疑問は当然のものであるが、学パロだ……と思ってしまった。あれはもう役作りのためにプライベートで遊びに行ったんじゃないか、気安い雰囲気を演じるために高校生らしい遊びをしたんじゃないか、そうに違いない……と思わせる力がある。そして終演挨拶の茨からジュンくんへの言及もよかった。生きているキャラクターの温度感だ。
 それにしても学パロ、よかったな……。

 今月は他にも2作品の演劇を観た。普段はそこまで舞台を観ることはないのだけれど、たまに触れるとその素晴らしさを実感する。世界にあふれる美しいものに出会うたびに、人間に対するうっすらとした絶望が和らぐような気がするね。

■「モネ 連作の情景」のこと

 某日、上野の森美術館にて「モネ 連作の情景」を観た。

 上野の森美術館の、外壁に大きな看板が据えられているところが好きだ。拙作『グッドモーニング・セブンウェーブス』の表紙の絵もこの場所を下敷きにしていて、来るたびにそのことを思い出す。たしかゴッホ展が開催されていたときに資料写真を撮ったのだけれど、時間がなくて展示を見られなかったことをいまだに悔いている。

 「モネ 連作の情景」は印象派の画家であるクロード・モネの作品のみを展示している。多くの場合、その展覧会の目玉となる作家以外の作品も数多く展示されているものだが、本展では展示室のはじめから終わりまですべてモネだ。なんと贅沢な展覧会だろうか。

 展示室に足を踏み入れたとき、まず私を迎えたのは睡蓮の池の映像だった。モネが晩年を過ごした、ジヴェルニーの邸宅の庭園を模していたのだと記憶している。壁面と床面に映像が投影され、鑑賞者は睡蓮の葉の上を渡っていく。

 この構成がとても好きだ。モネばかりが飾られた、どこか浮世離れした空間に足を踏み入れるために池を渡る。ある種の儀式的な雰囲気のある行為を通して、モネの世界に招かれたような気分になった。

 モネと印象派について少しだけ勉強してから訪れたのだが、肉眼で見たときの色の鮮やかさに感動してばかりだった。筆触分割(絵の具を混ぜ合わせずに異なる色を隣りあわせに配置して、視覚的に混ざりあう効果を狙う技法)を実際に自分の目で体感できたことがうれしい。展示室内の人が多すぎて、筆遣いがわかるくらいの距離で眺めることができなかったのが残念だった。

クロード・モネ《黄昏時の流氷》1893年

 技法の新しさだとか、美術史的な位置づけだとか、そういったことを抜きにしてもモネの絵はすばらしい。ひたすらに美しく、きれいな絵だと思う。
 連作を比較してみると、モネがそのときどきの時間や季節のうつろいを大切にしていたことが伝わってくる。彼がとらえた美しさは現代の私たちが感じる美しさとたしかに地続きなのだと思わせる。

 人物画もとてもよかった。《昼食》が特に好きで、その大きさに圧倒された。子どもを中心とした昼食の風景を描いた絵画だが、床に人形が落ちていることにはじめて気づいた。モニターや画集の大きさで見ていたときには目にとまらなかったものだけれど、子どもが中心となっている家庭なのだなと解像度が上がったような心地になる。

 行けてよかったな。モネといえばやはり《印象・日の出》そして《散歩・日傘をさす女》なので、いつかこの目で見られるといいな。
 今回は図録も買った。表紙が水面のようにきらきらと輝いてとてもきれいだった。モネが恋しくなった夜にじっくり読みたいと思う。

 それでは、またね。おやすみなさい。

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