見出し画像

レジュメを書いた日のこと

僕はいま、寄ってたかって本を読む「まるネコ堂ゼミ」に参加している。実際にゼミに参加するのは月1回。指定された章を各自で読んでレジュメを書く。書いたレジュメを月1回のゼミに持ち寄って読む。そんなことをくり返しながら寄ってたかって本を一冊を読み切るという企画だ。いまは『中動態の世界』を読んでいる。

昨日は「中動態の世界」の3回目だった。僕は亡母の一周忌のために参加できずレジュメだけを提出した。レジュメは内容も形式も自由だ。世間一般でいわれているレジュメとまるネコ堂ゼミのレジュメはちがう。いや少なくとも僕の解釈ではちがう(ようにおもう)。

ここで世間一般のレジュメとまるネコ堂のそれがどうちがうのかその説明を試みようとおもったがどうもうまくできそうにない。それにそんなことを説明したところで何になるんだという声がどこからか聞こえてきた。お前は一体何をしているんだ。誰に何を言いたいんだ。何を書きたいんだ。そんな声。

声の主は、もうひとりの僕。いつも何か突き放すような言い方をする。いや実際に突き放す。もう何十年も付き合っている。生まれたときからの付き合いだ。お互いによく知った仲だ。やっかいな奴だが、たまに僕を助けてくれる。こともある。

話をもどそう。どこまでいった。そうそうレジュメを書いて出したところまでだった。亡母の一周忌で参加できないからレジュメだけを書いて出したんだ。

昨日のゼミのためにレジュメを出したのは一昨日の深夜だった。日付はもうとっくに昨日になっていて午前2時前だったように記憶している。あんな夜更かししたのは久しぶりだ。でも今回はどうしてもレジュメだけでも書いて出したかった。

参加しないんだからレジュメも必要ない。でも書いて出したかった。何が僕にそうさせるのか。懸命にさせる何かがあるらしい。らしいと書くとまるで他人事のようだが、他人事のように言ってみたくなるほどのおもしろさが僕の中に、このゼミに、あるらしい。← また他人事だ。書いていておかしい。

いまはレジュメを書いてよかったとおもっている。内容は決して褒められたものではなく恥ずかしいばかりだけど、それはさておき充実している。充実というのはレジュメの内容では決してなく僕自身のことだ。この身の上でのことだ。充実なんて青臭い言葉を使ってしまったが、実際、そうなんだ。

僕は、まるネコ堂ゼミ『中動態の世界』第3回のレジュメを書いて充実した。

↑ 自分のモヤッと感じていること感じたことを改めて言葉にしてみる。これはこれでおもしろい。モヤッとしていたものがカタチを変えて目の前に出てきてまた別の感情が呼び起こされた。充実の度合いが2段階あがった。凄いぞ、文章筋トレ。

( 何をやっているんだ。)

もうひとりの僕が笑っている。今度は、何も言わずに腕を胸の前で組んだまま笑っている。しようがない奴だとでも言いたげな顔だ。静かに黙って笑っている。

それにしても『中動態の世界』は読んでいておもしろい。今回は、第3章の「中動態の意味論」を読んで書いた。今回のレジュメの最後に、追記として僕はこんな内容のことを書いた。

未知の感染症が世界を席巻している。こんなとき、この本を読んでいることに何かしら不思議な感覚をおぼえる。「われわれがそのなかに浸っているパースペクティヴを括弧に入れる」日が近いうちに来るかもしれない。

1385文字


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?