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寄ってたかって本を読む。

昨日は「まるネコ堂ゼミ」(寄ってたかって本を読む)に参加した。このゼミは9回シリーズで昨日は2回目だ。9回すべてに参加のつもりだったが初回は予定があわず(レジュメを提出しただけで)参加できなかった。昨日がゼミ初参加となった。

本は國分功一郎の『中動態の世界』。副題には「意志と責任の考古学」とある。本の帯には第16回小林秀雄賞を受賞と書かれていて、本はなかなか分厚い。ゼミに取り上げられるまでこの本のことは知らなかった。正直、自分では読まない本だ。たぶんこのゼミがなければ読むことはなかった。

不思議だ。取り上げている本に興味があるわけでもないのにゼミに参加するとは。自分でも不思議だ。参加動機はなんだ。なぜ参加した。自分に問うてみる。

昨年参加した、まるねこ堂の「じぶんの文章を書くための通年講座」がおもしろかったからだ。そんな理由が浮かんできた。そのときは吉本隆明の『言語にとって美とはなにか(Ⅰ・Ⅱ)』を読んだ。これも自分ではすすんで決して読まない本だ。通年講座のなかで課題図書としてあげられたから読んだ。そのときも各自で読んでレジュメを書いて持ち寄り話しあうという、いわば今回のゼミと同じ進め方だった。

課題の本を読んで、その感想やら気づいたところを話しあうというだけではここまでおもしろいと感じることはなかっただろうとおもう。吉本隆明の、しかも「言語にとって美とはなにか」なんて本は、超難解な本である。よっぽどの人でないと読み切ることはできないだろう。たぶん。

たしかに僕も難儀した。いや参加者の多くが難儀していた。よく最後まで読めたもんだとおもう。しかもレジュメまで書いて。レジュメの内容の良し悪しはさておきレジュメはすべて提出した。何度か諦めそうになる回もあったがそのたびに恥ずかしいはなし、主催者に励まされ(正直にいえば)「何でもいいから書いてだそう」と書いて出した。あのときの記憶が甦る。それでも当たり前だが書かないよりは書いたほうがよかった。理解の度合いは格段にちがったとおもう。おもしろさも当然にちがった。

このゼミのおもしろさは、レジュメを書くところにあるとおもう。おもしろさは、他にもいくつもあるにはあるが、その筆頭はレジュメを書くということだ。レジュメといっても形式も内容も自由。一応、枚数としてはA4レポートで提出1回あたり2~3枚ぐらいだったか。決められてはいたけどそれを超える人もいたし常に1枚の人もいた。自由だった。僕はそのときどきで枚数は上下した。

レジュメの内容も自由。印象に残った文章を書き出すだけでもよかった。書き出したうえに自身の感想をそえる人も多く、このスタイルが大半だった。要約するだけの人もいたし、読後の感想だけ書く人もいた。

レジュメを書くということもあって本は2度3度それ以上読んだ。というか読まなければ書けない。そこには濃密な読書体験があった。書き出すためにはそれなりの体力も必要だった。頭だけで読んでいたのでは書き出すことまでできかった。本に書かれた活字を身体にとおすような感覚。たいそうなようだけどそれぐらいにおもう。それぐらいしないと書き出しも感想も書けないとおもった。難解な本であればそれはなおさらで。苦労した。でもそれがよかった。これが効いた。

そのようにして、とても個人的な読書体験のうえに書かれたレジュメを持ち寄りそのレジュメをもとに発表する場が毎回もうけられた。それぞれ当然にように読み方がちがう。ちがいはそこに書かれているからあきらかだ。おもしろいほどちがう。取り上げる箇所も人数分ちがう。あれだけ読んだのにここは読んでいなかった、読めていなかった、こんなことが書いてあったのか、そんな言葉を次々に発見することになる。おもしろい。

それぞれ読み方がちがうから取り上げる箇所もちがってきて自然に感想もちがってくるのだが。毎回、不思議と似た箇所、あるいはまったく同じ文章が取り上げられたことも多くあった。それは不思議にそうで。毎回必ずそのようなことが起こった。これもおもしろかった。

苦労して書いたレジュメを持ち寄り話しあう場は豊かだった。本から何かを学ぶというよりも場そのものが僕にとっては大きな学びだった。その経験というか時間というか場所というかそれらすべてがおもしろかった。

しかし情けないことにいま振り返ってあの本を読み通したのならどんな本だったか教えてくれといわれても教えることができない。忘れた。これはまったくそうで。忘れてしまった。本の内容は忘れてしまったのだがあの読書体験は残っている。おもしろかったあの場所はいまも残っているし僕はそれで満足している。

その証拠に今回もまたそれほど興味のなかった難解な本を手に汗かきながらレジュメを書きそしてゼミに参加している。

そしてやっぱり昨日もおもしろかった。自分とはまったくちがう読み方をする他人のレジュメを読みながら一緒に過ごす時間は、このうえなく幸せな時間だった。

昨日、最も印象に残った文章は「あるパースペクティヴがそれ自身によって強化されるプロセス(69p)」というところだった。参加者は4人。それぞれが口々に、この一行を声に言葉にした。それぞれ持ち寄ったレジュメを手がかりにしなが読書体験の質がより深まっていくように感じた。まったく別の広い場所に出るような感覚もあった。ひとりの読書体験では到底みることのできなかったであろう広い場所へ。このゼミならそんな場所へ行ける気がする。2250文字


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