センチメンタルな時間
今日の午前中は、まるネコ堂の「文章筋トレ」だった。主催者のΟ氏と参加2回目のNさんと僕の3人だった。
集まって少し話をしてからいきなり90分の筋トレに取り組んだ。参加2回目のNさんにとっては、はじめての90分だったと思う。彼女は動じることなくとても落ち着いて静かに笑っていた。
Nさんはいつもこんなふうにして生きてきたんだ。午前中のことを思い出しながら、僕はいまそんなことを思っている。
Nさんが90分で書いた文章は、やっぱり落ち着いたものだった。僕はちょっとうれしかった。そのうれしさはNさんのうれしさでもあったようにおもう。Nさんがそこにいた。
もっといっぱい書いてほしい。そして読ませてほしい。そんなことを思ったから、そんなことをそのままNさんには伝えた。ちゃんと伝えたかったからちゃんと伝えた。Nさんに僕の気持ちが伝わったかどうかはわからない。わからないけど僕は伝えたつもりだ。
Ο氏が90分で書いた文章にも存分にΟ氏が書き込まれていた。もうそれはたまらなくΟ氏だった。僕は2回泣いた。涙ぐんだ。そんな文章だった。
いま考えてみたらNさんのときにも僕は泣いていた。それは僕にとっては、とてもいい涙だった。Nさんの文章で泣けたこともよかった。
今日の文章筋トレは、なんだかかなしかった。Ο氏の文章が、Nさんの文章が、かなしかったからじゃない。僕がかなしかっただけだ。
さっき、これを書く前に、実はもう一度、ふたりが90分で書いたものを読み返した。もう今朝のことになってしまったあの時間を思い出しながらまた読んだ。
書いて読んで。書いて読んで。今年の春は、なんだか人恋しい。
泣きたいときに泣ける人は幸せだ。
いつものことながらヘンな文章になったけど。これが僕だから仕方ない。これが僕の文章なんだから仕方ない。 753文字