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書きたいことがありすぎて

書きたいことがたくさんありすぎて何から書き出せばいいのかわからない。手をつけられない。今朝は、まったくそんな感じだ。

ここ5年ぐらい。毎月1回「サ行浜坐」に参加してきた。月に1回、夜の6時か7時ぐらいから3時間。数人で集まっては、ただ話しあい聞きあう。そんな場。特にこれといった話題は決めずそのときの思うままに過ごす。ただそれだけの場所。

主催者のゆりさんとは7年ぐらい前、当時、非構成的エンカウンターグループと呼んでいた場で知り合った。以来の付き合い。その彼女が「日常と非日常の境目というか境界線上にあるような時間を」。そんなコンセプトではじめたのが「サ行浜坐」だ。だと思う。(だと思うというのは彼女が具体的にこのようなコンセプトを語ったわけではないから。僕が勝手にそのように想像してただけだからで。けどそんなに大きく違わないのではないかとずっと思っていて。今日の今日まで、そう思って参加してきたわけで。)

ゆりさんが開催場所に選んだのが「サ行研究所」という名の喫茶店だった。店主はゆりさんの信頼する友だちで名前はみかりん。

「サ行研究所」は、和歌の浦に近い浜の宮ビーチに位置していた。店の前、車道を1本渡ればすぐにそこは浜の宮ビーチだった。店の内にいても浜からの風の音や波の気配がすぐそばに感じられた。店の背後には山の緑が迫っていて。海と山というか陸地の境目。まさに境界線上に位置しているようなところに「サ行研究所」はあった。

晴れの日も、雨の日も、風吹く日も、星空の夜も、月あかりも、風が流れた、窓を開けた、ストーブを焚きながら、お茶しながら、甘いものを口に、土産話で、ため息をつきながら、笑って、泣いて、悔しがって、突然の来客に驚き、黙り込んで、居眠りのなかで、過ごした。

たいてい、主催者のゆりさんと店主のみかりんと、そして僕の3人だった。多いときは8人ぐらい。場は参加する人で見事に変わった。当たり前のようにその人その人が場に映し出された。それは見事にそうだった。そしてそれがおもしろかった。

はじめ「サ行研究所」は喫茶店だった。テーブルのある椅子席に座って数人で、集った。3年ぐらい前「サ行研究所」は整体所に変わった。店主は変わらずみかりんだったがテーブルと椅子は畳に変わった。そして僕らも変わった。場のありようも、おもしろいぐらい変わった(と僕は感じている)。身体は正直なもの。その有り様まで変えてしまう。様変わりした。

その変わりようは、ここで過ごす時間にまでおよんだ。善い悪いではなく。それが事実で。そして僕はそう感じていた。

その「サ行浜坐」が、4月で終わるという。開催は3月と4月の残り2回となった。2月の「サ行浜坐」の帰りに知らされた。4月末に開催場所の「サ行研究所」を閉じると。移転するらしい。それに伴って「サ行浜坐」もまた、閉じることになると。

思えば5年。月1回。ほぼ毎回。よく参加したもんだ。いやよく通ったもんだ。よく通えたもんだ。飽きもせず。なぜかな。自分でも不思議だ。ただそんな巡り合わせだったんだ。そう思う。その巡り合わせに出会えたことをいまは幸せに思っている。

何を話したのか。どんな時間を過ごしたのか。もし誰かに聞かれても僕はたぶん答えられない。そんなあやふやな時間。けどそこで過ごした時間は、確かに僕のなかにある。それは確かなようだ。

まだまだ書きたいことがたくさんありすぎて、どこまえ書き出せば気が済むのか。まったくわからない。今朝は、まだまだ、そんなところだ。これはもう仕方ない。

人生のあれこれについては、人は好んで多くを語る。しかし、死について語られる機会は少ない。死が人生の一部として、その最後の時に訪れるものであるなら、死に際は、その人の生について、多くを語っているはずである。/「死者のいた場所」松井計 著 より

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