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架空の作家の話をしよう その2

続いた。これは全く予想だにしなかったことである。まあ確かに誰からも反応がなかったとしても、飽きるまではここで遊んでいようと思ってはいたのだが。そうだとしてもまさかこれほどの反響があるとは。

イマジナリーフレンド?創作キャラ?この年で?我ながら何とも言い難い彼の存在をこうして衆目の目に晒すのはそれなりに葛藤があった。そも、いの一番に出す話題としてふさわしいのだろうか。noteくんはキラキラ笑顔で「まずは自己紹介から始めてみましょう!」とか言ってたし。書き上げてはみたもののドン引きされるのが関の山だろうと思っていたが、深夜に投稿したにも関わらず好評だった。嬉しいやら恐縮やらでどうしていいかわからないのが現状だ。読者諸兄にはあらためて感謝申し上げる。本当にありがとう。

今日も今日とて架空の作家の、その作品についての話をしよう。いわゆるイマジナリーフレンドというか、創作キャラというか、そのどれにも当てはまらないような、彼ないし彼女の話をしよう。かの作家の名はB・グラッツェと言う。フルネームはブラバ・グラッツェ。文法的におかしいとか、それは名称として用いないとか、そういったクレームは受け付けない。なぜなら彼は架空の存在だからである。グラッツェは十九世紀後半ごろに活躍した海外作家で、それらの作品は国境を越え今日も親しまれている。もちろん日本でもだ。その作品のタッチは多岐にわたり、今も多くの読者を魅了してやまない────という幻覚である。

今回も今回でとりとめのない話だが、どうかしばしお付き合いいただければと思う。


対極を辿る「君が為」と「ひしめく創造物共」

「エリーゼ、ああエリーゼ!私の愛しきカナリアよ!お前のせいで私の生活はめちゃくちゃだ!我が生活は堕落した。つまらぬ男になったのだ。それもこれもお前を一目見るためだけに!この荒れ果てた生活を潤すのは、エリーゼ、お前の声だけなのだ!お前のためならば地獄の業火に焦がれようと構わない!」───B・グラッツェ「君が為」より
「創造物を愛しているのではない。創造物しか愛せないのだ」───B・グラッツェ「ひしめく創造物共」より

多彩な作品を残したことで有名な彼だが、その作品群のうち「君が為」と「ひしめく創造物共」は最も遠い位置関係にある。同じく愛を主軸として据えながら「君が為」は歌姫への偏愛のために身を持ち崩す男を、「ひしめく創造物共」ではどこか人間離れした”我”が自身の宇宙を構築していく様を描いている。「君が為」はガストン・ルル―の「オペラ座の怪人」、「ひしめく創造物共」は新約聖書からそれぞれ着想を得たとする見解が有力だ。

どうしてここまでふり幅の大きい作品が生まれたのだろうか?その原因は彼の友人にあると考えられる。彼の友人、ドロワ・フランダースは才色兼備の麗しい女性であった。機会があればぜひ記念館蔵の彼女の写真を見てほしい。現存する貴重な一枚だ。検索すればきっと画像は出てくるはずだが、ぜひ現物を見ていただきたい。ドロワとはいわゆる幼馴染で、彼女の家は資本家として名が売れていた。お嬢様だ。彼女は彼の才能にいち早く気が付いていたようで、彼の作った即興の話をとても好んでいたのだという。成長してもその交流は途絶えることはなく、彼の弟、マニューバ・グラッツェを除いて現在唯一書簡のやり取りがあった人物であることが判明している。

弟が急逝した後、彼女は献身的に彼を支えた。気を紛らわせるために物語を書くよう勧めたのも彼女だ。実は「孤独の城」と「君が為」は同時期に書かれたものであることが最近の研究で分かっており、晩年の作品である「ひしめく創造物共」とはかなり時期を隔てている。それも彼女が関係しているのだ。彼女はブラバの成功を見届けた後、彼の歴史から姿を消している。おそらくアメリカの大富豪に嫁いだのではないかと言われているが、詳しいことは未だ分かっていない。一時的に回復した体調もその頃を境に悪化し、彼は病床に臥せりがちになる。彼の唯一の随筆集、「暗がりを歩く」では一言こう書かれている。

「愛されているうちに、愛の何たるかを私が知っていればどれほどよかったか」────B・グラッツェ「暗がりを歩く」より


……という幻覚である。

思ったより長くなってしまった。それではまた。



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