健康でさえいれれば。いてくれれば。

小見山俊さんのTwitterの投稿を見て、凄く共感を覚えた。
締め括りの「自然体でいいんだよなァ。健康でさえいれれば。」
これこそ、この期間のキーワードだと思う。
ここから、僕の本題に入りますね。
どんな嫌な環境でも、なんだかんだそれが長く続くと慣れというものが出てくるのは不思議なものだなと思う。
かといって、その慣れの先にあるのは退屈や刺激の無さから飽きが来てしまうものである。
特に、飽き性の僕はとてもこのサイクルが早く訪れてしまう。
初めは今の現状で言えばゆっくりできるいい期間だと思っていても。
いざ、ゆっくりしろと言われてもそれを上手く使いこなせないのが日本人の国民性のような気がしてしまう。
働きすぎや勤勉や真面目と言われる日本人には特に相性の悪い命題なのかもしれない。
そして、日本人だけとは限らないが、どうしても有意義に使わなければとか何かを身に付ける学びの時間にしなければとか。
また、課題や仕事のように日々に義務のような物を課してしまっている気がしてしまう。
そうして、せっかくの本当に自由な時間をまた、自らの意思で息苦しい時間へと変貌させてしまっている気がする。
もっと、気楽に穏やかに時を操れるようになれればと思います。
そして、冒頭のキーワードにちょっとだけプラスして「健康でさえいれれば。いてくれれば。」を大事に過ごしていきたいものです。

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