ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破のラストシーンに学ぶ渚カヲルくんの利他力

僕が子供の頃に社会現象を巻き起こしたアニメがある。

新世紀エヴァンゲリオンだ。

エロティックなオープニングと、当時としては美しい作画と世界観に誰もが虜になった。

初期アニメの新世紀エヴァンゲリオン最終話は、当時の僕には内容がよくわからず、なぜこのラストにしたのだろうと疑問が残るものだった。

それから月日は流れ、エヴァンゲリオンは新劇場版で蘇る。

1995年にスタートしたエヴァンゲリオンは2021年に新劇場版にて幕を下ろす。

〈第1作 / 前編〉ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

  • 副題(英題):EVANGELION:1.0 YOU ARE (NOT) ALONE.

  • 公開日:2007年9月1日(土)

  • 上映時間:98分

〈第2作 / 中編〉 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

  • 副題(英題):EVANGELION:2.0 YOU CAN (NOT) ADVANCE.

  • 公開日:2009年6月27日(土)

  • 上映時間:108分

〈第3作 / 後編〉ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q

  • 副題(英題):EVANGELION:3.0 YOU CAN (NOT) REDO.

  • 公開日:2012年11月17日(土)

  • 上映時間:95分

〈第4作 / 完結編〉シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇[注 2]

  • 副題(英題):EVANGELION:3.0+1.0 THRICE UPON A TIME

  • 公開日:2021年3月8日(月)[1]

  • 上映時間:155分[1]

新劇場版の4部作のなかで、私が最も好きなのは〈第2作 / 中編〉 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 だ。

月並みな回答であることはご容赦いただけたら嬉しいのだが、第2作のラストシーンが僕は全てのエヴァンゲリオンの中で最も好きだ。

思えば、渚カヲルは初期アニメの頃から異質な存在だった。

第24話『最後のシ者』にでてくる渚カヲルは使徒でありながら人間の姿形をしている。(ちなみにシ者は渚という意味だろう)

使徒は人類の敵と思っていた碇シンジは、悩んだ挙句に渚カヲルを殺してしまう。渚カヲルも殺されることを受け入れていた。

碇シンジの葛藤シーンは1分におよび、放送事故ではないかと勘違いしてしまうほどの静止画だった。

その後の第25話『終わる世界』では渚カヲルを殺してしまったことを悔やむ碇シンジの心の叫びが見られる。

使徒は悪だったのか。
それとも自分が悪なのか。
結論は出せなかった。

アニメ版のエヴァンゲリオンと、新劇場版は同じ世界線ではないと私は予測している。その証拠にアスカの名前が違う。

惣流・アスカ・ラングレー (アニメ版)
式波・アスカ・ラングレー(新劇場版)

しかし、アニメ版ででてきた渚カヲルと新劇場版ででてきた渚カヲルは別人と思いきや、実は同一人物だということがヱヴァンゲリヲン新劇場版:破のラストシーンでわかる。

それはなぜかというと「今度こそ君だけは幸せにしてみせるよ」というセリフだ。「今度こそ」ということは、一度失敗しているということだ。

考えても見てほしい。アニメ版で渚カヲルは碇シンジによって殺されている。いかに違う世界線の碇シンジとはいえ、仮にも自分を殺した相手を「幸せにしてみせる」と言っているのだ。

どこまで利他の精神の持ち主。
そして、どこまでイケメンなのだ。

渚カヲル。
全アニメ史上、最もイケメンであると私は思う。



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