ニヒリストには2種類いる
私はニヒリストだ。
ニヒリストとはニヒリズムを信仰する者のことを指す。
ニヒリズムあるいは虚無主義(きょむしゅぎ、英: Nihilism、独: Nihilismus)とは、今生きている世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である。
こういうと、時折ではあるが
「人生もっと楽しいことあるよ」
「前向きに生きようよ」
上記のような言葉をかけてくる人がいる。
しかし、勘違いしないでほしい。
私は能動的ニヒリストであって、受動的ニヒリストではないのだ。
ニヒリストにも2種類いる。
能動的ニヒリズム
すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方。 つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、新しい価値を能動的に創造していく生き方
受動的ニヒリズム
従来の最高の価値を信じる精神力を失ったために、そうした価値が無意味に感じられるということ。 何も信じられない事態に絶望し、疲れきったため、その時々の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度。
ものごとの一面だけを捉えて、この思想の人はこうだと決めつけるのは危険だ。
私は前向きに生きてるし、人生のなかで楽しいことも多い。
しかしながら、あらゆる事象を見て、人間が生きる意味などないと判断しただけなのだ。
私はヒューマニストではないから、人間がこの地球で最も価値があるなどと思ったことはない。
その観点から世界を見たときに、私には蝿や蜚蠊、ダニや蟻などに、どう考えても生きてる意味があるとは思えなかった。だから、人間にだって生きてる意味はないと思っただけなのだ。
思想というのは、要するに自分が生きやすいようなものを選べばいいということなのだ。
反出生主義でも、リベラリズムだろうが、共産主義だろうが、好きに選択すればいい。
既存の思想が自分に当てはまらなかったら、新しく自分が作ったっていい。
ただし、自分の思想の押し付けだけは絶対にしてはならない。
かつて、思想の押し付けによって起きた戦争で膨大な数の人が死んだ。
人の数だけ思想の数はある。
それを受容して生きることが肝要なのだ。
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