私が「師匠」と勝手に呼んでいる人

私には師と仰ぐ人がいる。

ただし、その人に対して直接「師匠」と言ったことはない。

私が勝手に師匠としているだけで、たぶん本人に「弟子にしてください」と言ったならば「師匠にはなれませんが共に学んでいきましょう」と、吉田松陰のようなことを言うに違いないと私は予測している。

その方を一言で言い表すならば、真性ギバーとでも言うのだろうか。

昨今ではテイカー(奪う者)よりもギバー(与える者)になれと、あらゆるビジネス書に書かれているが、ギバーになるには才能も必要だと私は感じている。

3年ほど前に私は彼と出会い、この世界には呼吸を吸うように善行を行える人間がいるのだということを知った。

それから私は彼に憧れ、行動を起こし続けた。
ギバーとして、彼を超えたかったのだ。

与え方を完全に間違えてしまったこともあった。
傷つけてしまったこともあった。
自分の能力の無さに絶望した日もある。

前に進めば、私から彼に何かできるのではないかと、そのことだけを考えて必死にもがいた。

しかし、いま、私は彼に対して何も返すことができずにいる。

「なにも返すことができずに申し訳ございません」と謝ったならば、彼はきっと「充分に頂いてますよ」と神か仏のようなことを言うことも容易く想像できている。

最近では私のことを「大変なギバーです」と言ってくれる人が増えてきたが、自分よりも巨大な存在を知っているから、自分がギバーだとは毛の先ほども思わない。

そんな、巨大な存在に巡り合えたことは私の人生のなかで最も幸福なことだったといえる。

井の中の蛙という言葉がある。
私は蛙ではあるが、目の前にある大海を知っている。

蛙にできることはなんなのかを考え、私は生きることにする。

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