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眠っていた過去の私の声たち【さん】

さん。

当時生物基礎を担当してくださっていた講師の先生は、
ある日突然授業を始める前に仰いました。
「教科書に書いてあることを真に受けるな」と。

よくわからないけれど
きっと多分
科学的な立証を根拠とする
今となっては私たちの暮らしを支える
立派な立派な知識と技術を
大いに含むであろう生物学の
その分野を突き止め、
今やそれを教える立場にいるその方が、
当時十六の私たちに向かって
そう仰ったのだ。

ほぉなるほど。先生私は嫌いじゃないよ、その感じ。

我々が日々
正しいと思っていること。
常識と思われる考え。
それが当然だと思うまでもないこと。
それだけ日常に転がるように
溶け込むように
無邪気に信じ込んでいる
この人間のかわいさほど
怖いものは無いのかもしれない。

ゾッとした。

思い込み、と言うのか。

しかし
この世の全てを疑って生きていたら
きっと私はもうとっくに死んでいる。ような気がする。

やっぱりそこは見極めろって?
そーんな難しいことを。
毎瞬毎秒?
疲れます。

思ったことがある。

正解はひとつじゃなくて、
そもそも正解なんてなくて、
前回の話題で言ったら
本当は空は青くないのかもしれなくて、
そもそも地球なんて宇宙なんて
存在していないのかもしれなくて、
私達も人間じゃないのかもしれなくて、
生きていないのかもしれなくて、

こんなことを言っていると

地球を傍からこの目で見たという
宇宙飛行士さんや
科学や歴史や医学に詳しい研究者さんは
何を言っているのだと、

はたまた訳も分からず
ただなんとなくこれを読んでみるだけのはずだった
どこかの誰かさんは
また別な意味で何を言っているのだと、
読むものを間違えたと、
そう思わせてしまうかもしれない。

いないとは思うが
平仮名を読めるようになったばかりの
幼い子がこれを読んだとしたら
ある意味恐怖を与えさせてしまうのかもしれない。

先に謝っておこう。

でも、
それでも結果、
やっぱり何が本当かなんて
わからないし
私はわからなくていい。

それと同時に
何を信じるも疑うも
他者への強要さえ無ければ、
もうなんでも自分の好き放題にすればいい。
と、私は思う。

昔から伝わるものを信じても
自分で見たものだけを信じても
逆にこの目では見えないものを信じても
教科書でもインターネットでも伝記でも
先生や政治家さんや神やインフルエンサーや恋人や
お母さんやおじいちゃんの遺言や自分自身だって
信じたければ信じればいい。
疑いたければ疑えばいい。

こうして人々が自然ながらにふと抱く
何がどうなのっていう多くの疑問に
あえて無責任な答えを設けるのなら
「答えはなくていいんじゃない?」とか
「自分なりの答えを見つけたいよね〜はは」とかかな
と、今の私は思うけれど
これはあくまで解答例①に過ぎなくて、
こんなことをふと考える脳を持つ生き物の数分、
その解答例はあっていいと思うんだ。

まあ結局、
高校一年生の生物基礎のテストも数年後の受験も
ちゃんと文部科学省の教科書に基づくんだけどね(笑)



🌞💭

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