だんごむし
感覚が丸くなったなぁと思う。鋭かったソレはだんだんと、角が取れてドンドンと鋭敏ではなくなっていった。というか現在進行形で「なっていっている」そう言う感覚がある。なんだろうこれは。
別にもう自分が世界を救う救世主でもないと、とっくに気づいているし、王子様が助けてくれるわけでもなくて、魔法使いもいないし、大抵の困ったことは、何もかも自分でやるしかないって知った。
自分が悪くなくても、苦しいときやどうにもならないときがあって、そう言う理不尽から逃げられもしないことも知った。やらかしてしまった時は都合の悪い記憶が消えてくれるなんてことは、ありえないわけだ。かなしいかな。
自分は全然特別なんかじゃなくて、じゃあそのあとなにをしなきゃ行けないんだろう、このままじゃいけないことだけを自覚して、延々とよくわからない焦燥感に駆られて、すごく苦しい。ずっと苦しい。
それでも忙しさに身を任せて、ひたすら仕事をするのは楽しかった。拘束時間とか、お金とか、将来のこととか、ぐちゃぐちゃのまま、それでも、仕事をしているときはなにも考えなくてよかったから、すごく楽しかった。
私はたまにこうやってブログを書くわけだけれど、いつだったかな、急にあの時の感覚が抜けていくような、あったものがなくなってしまったみたいな、そう言う寂しさがあった。昔はわかった、表現できていたことが、今はもう反応しなくなってしまっている。
多分大人になるってこう言うことなのかもしれない、多分だけど。
苦しいがわからなくなる、辛いがわからなくなる、その中にあるよくわかんないない交ぜな、嬉しさとか、喜びとか、驚きも一緒にわからなくなってしまっている。
この感覚は、なんだ。
そろそろ仕事先につくので、書くのをやめるけれど、多分忙しさは、成長はたくさんの何かを与えてくれるけれど、奪い去りも、確実にする、それがもしかしたら自分の中ですごく大切なものだったんじゃないかって怖くなる。
もちろん大人はそんな価値観は無意味だって切り捨てるけれど、それに縋って今まで生きてきたんだ。そんな私だ。
そんじゃ今日も一日頑張るぞい。遅延してんの、笑えねぇ~。
さよなら、またね。
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