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歪な街、西千葉は少し暖かい

パトカーが交差点の真ん中で派手に転回した。
キキッと盛大なブレーキ音が鳴り響く。
すべての信号が赤だった。パトカーは180°反対の方向へと駆けていく。そっちにあるのはロータリーだけだぞ。
ベージュのワンピースを着た美人な大学生。
彼女は自転車にまたがって呆けた顔を交差点に突き出し、パトカーの行く末を見守っていた。

その横で僕は頭を垂れ、半ば四つん這いの様にしてお尻を突き出している。全長1メートル半はあるサトイモ科の観葉植物を、ガラガラと台車に乗せて押しているのだ。

この街はたぶんどこかがおかしい。
幼稚園生の頃から住み始めて、最早20年近くなるが、気づいたのはつい最近のことだった。
数年間北海道に住んでいたからだろう。久しぶりに長期間地元に帰ってみると、当時は当然の事だと思い込んでいたものが異様に映ったりする。体に順応しきった毒が抜けたと表現すべきだろうか。地元が客観的に見えるようになる経験をする大人は少なくないんだろうと僕は思う。

今ではタメ口で話すようになった高校時代の先輩に地元の観光案内をした事があった。僕の住む街は「西千葉」という千葉県中心部の文京エリアで、一見するとただの閑静な住宅街なのだが、よく目を凝らしていみるとこの街のあちこちには愛すべき歪さが散りばめられていたりする。

千葉大学を中心に栄えるこの街は大学生を中心に回っているといっても過言ではない。〇〇荘といった学生アパートが立ち並び、一方通行の商店街沿いには居酒屋が林立する。学生が金を落とし、学生の労働力で経済が循環している。

学校組織も千葉大学をはじめとし、千葉経済大学や敬愛大学、千葉東高校、千葉大学附属中、3つの市立小学校、美容専門学校まである。
「学園通り」と呼ばれる大学前の大通りは朝夕には大量の学生が闊歩し賑わうが、夜になると黄色い電車の滑走音と物憂げな飛行機のエンジン音だけが交互に街にこだまする。

学生街という体系そのものが、えてしてそういった歪さを孕む定めなのかもしれないが、この街には何か柔らかな異常性が全体的に靄のように充満している。
いずれにせよ、西千葉が得体のしれない歪さを持つことはどうやら疑いようのない事実のようなのだ。

彼が西千葉に対していくつかの批評を残してくれた。

「この街はNPOの匂いがする」

「千葉大生」というのは僕にとって、そこらへんに転がっている木の枝や石ころのような存在だった。千葉大生が価値のない存在と言いたいわけではない。ただ、小学生の時も中学生の時も、高校生になっても千葉大生はいつだって街に溢れかえっていた。千葉大生というのは、遍くそして無限に供給される群衆だった。だから自身が大学生になった今でも、自分が千葉大生と同じ社会的区分にあるとは思えない。彼らは生まれた時からそこにいた。自分とは違う世界線を走る独立した存在のように思える。彼らは僕が幼い頃から千葉大生であり永遠に卒業せずいつ見ても街をうろつく不滅の大学生なのだ。

NPO法人の匂い、というのはそんな千葉大生の卒業論文の匂いだったりする。千葉大生は時たま地域密着を銘打って、地域図書館や交流スペースやイベントを立ち上げたりする。それが、実際に卒業論文のテーマかどうか知る由はないがNPOの匂いとはそんな大学生達の自主性から漂ってくるものだ。

彼らは通り沿いのテナントを一つ借り、未塗装の木製テーブルを据え、スタイリッシュに本棚を並べる。表にはモノトーンの配色に細字のロゴが記されたクリエイティブな看板が掲げられる。試み自体は面白いし、地域活性化を目指して行動してくれる事は有り難い。それに対して否定できるはずもないのは当然ではある。だが、僕を含め地元の小学生達が内心冷ややかな気持ちで新興の店舗を一瞥し、
「はいはい、またですか」と言わんばかりに日常を送っていたのも事実だった。

小学生と大学生。知能や能力の差はあれど、小学生には一日の長がある。毎年NPO的なスペースが筍の様に生えてくる事からも察される通り、この街には空きテナントがあまりあるほどある。非常に店舗の入れ替わりが激しい街なのだ。何だか先進的なサラダの店やオシャレなバーやらができたかと思えば数年も経たずに消えていく。結局武骨なカレー屋とラーメン屋しか残らない。栄枯盛衰を体現したこの街では実体と採算のない団体は生き残れない。諸行無常が唯一の理である事は住民の衆知の事実だ。

新たな試みの実験場と良い言い方も出来るが、悪く言えば裏切りの常習化とも言える。西千葉の歪さはそういった隆盛と衰退の中に眠っている。そのNPO的な大学生の集まりも例外ではなく、クラス替えをする頃には看板が下ろされていたりするのだ。



京成みどり台駅を降りてすぐ、右に曲がり踏切を渡ると大きなロータリーがある。僕がロータリーを案内するとと彼は圧倒されていた。

「ある種世界の中心かもしれない」
「ここなら迷える、迷うことができる」

半ば大袈裟な表現の様に聞こえるかもしれないが、あながちそうとも言い切れない。なぜならば、このロータリーは生半可なロータリーではなく真正なロータリーだからだ。
このロータリーは学園通りの終端に据えられ、中心に大きなクスノキが植えられている。放射状に道が伸びており、ロータリーの真円は同心円状に何層かに連なる特殊な構造だ。

僕と彼が散歩している時も、地元民の僕でさえ方向感覚を失い迷いそうになる。事実住宅街の中を僕らは循環していた。どんなに真っ直ぐ進もうとも交差点から左には同じクスノキが臨まれる。道に沿って大きく湾曲したミニストップ、道を覆いつくし対岸に届かんとする中学校の桜の木、やはりこの街は歪だ。

この街が歪なのは、いや歪であれるのは、西千葉が埋立地の前線面であるからだろう。

「今の国道14号線の坂の先は昔、海だったんだ」

僕らが幼い頃から再三お経のように聞かされ続けてきた言葉だ。近所の老人も先生も犬を連れた貴婦人に至るまで皆が口を揃えて子供に言い聞かせていた。この街で坂の先が昔、海であったことを知らずに大人になることはできない。不可能なのだ。それほどまでに徹底的に教育された。

黒砂という地名がこのエリアにあるのだが、更級日記の「くろとのはま」が名前の由来だという説がある。西千葉の住民は海と黒い砂浜を誇りに思っていたのだろうか。埋め立て前のまだ海があった時代を生きた人は最早少ないとは思うのだが、海辺の民としての精神だけはなぜか口うるさい昔話となって根強く引き継がれているのだ。街の歴史が決まって忘れ去られることを鑑みると、これは少し珍しい話なのではないかと思う。

「歪でいられる」と表現したのは、埋め立てられた先の幸町や千葉みなとの整然とした街並みを比較しての事だ。かの街は、直線的に公道が配備され、幸町団地、高州団地、高浜団地と甚大な規模の団地がそれこそ筍の様に林立する。団地のすべての棟が南東を向いているのが地図を見ても明らかにわかる。

一方みどり台駅前の立て看板にはデカデカとロータリーがタコの脚を広げて鎮座している。ロータリーもまた都市計画の一環で構想されたものなのだろうが、前時代的かつ非効率的すぎてもはや、景観や史跡のレベルまで成り下がっている。そんな地図看板を前にして親しみからふと笑みが溢れたりする。

14号から先の昔海だった場所は整頓された街であり、14号の手前の僕らの街はなんだか散らかった街である。大規模団地に整理された国道、新進気鋭の建築が拵えられた市庁舎もある意味では日本の高度経済成長の生み出した歪みと表現できる。

だが、西千葉というしがない住宅街が持つ歪みとは意を異にすることは高らかに宣言させていただきたい。僕らの歪みはもっと個人的なものなのだ。

冗長で不恰好な「西千葉公園」というアシンメトリーな公園を案内している際に彼は語った。

「この街には君が社会から逸脱している要因の『根』がある。何だか君の中を歩いている様な気がする。」

彼の言う事は的を射ている様に思う。この街は子供の街、モラトリアムの街なのだ。若者の健康なアイデアが浮かんでは沈む様に店が生まれては消えていく。その栄枯盛衰は学生が入学しては卒業していく様を思い起こさせる。学生街とは社会から隔絶され守られた、モラトリアムのオアシスだと考えて良さそうだ。

そんな西千葉の持つ学生根性みたいなものが僕の中に染み付き、また僕からも街へと染み出しているのだろう。長い事同じ街に住んでいると、街角の至る所に思い出が見え隠れする。駄菓子屋で友達とペペロンチーノを食べた思い出だったり、焼肉屋の前でゲロ吐いた思い出だったりだ。それらは、間違いなく僕の中から染み出して街そのものに沈着した思い出だ。

西千葉の歪さが個人的歪さと言えるのは多くの子供が多感な学生時代を過ごし思い出を染み込ませては去っていく地であるからかもしれない。僕にはそういった彼らの思念がアスファルトの影や電信柱の裏に見える気がする。そんな気がする。
もちろん、意味深長なロータリーにも。

街は住民であり、住民は街なのだ。街並みはそのまま心象風景として住民の心に刻まれる。住民は人格のかけらを街に還元していく。街の歪さは個人の歪さと長い時間をかけてゆっくりと溶け合う。僕と西千葉の境界は段々と不可分になっていく。

今日、野良の観葉植物を拾った。

デカい

こんなデカい観葉植物を「どうぞ持っていってください」の一言で捨てる人もいれば、間に受けて持って帰る人もいる。
「サトイモ科!」と僕は心の中で叫び、即断即決で持ち帰る事にした。
捨てるものありゃ拾うものあり。
そんな格言が聞こえてきそうな話である。

案外、観葉植物にとってはあまり拾われたという感覚はないのかもしれない。この大きなサトイモ科は歪な人間から歪な人間の手へ、歪な西千葉からまた歪な西千葉に少し移動しただけにすぎないのだ。
僕らは西千葉を通して歪さを共有しているのだから。

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