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初めまして!

木村美海(きむらみう)という人間について

四国大学 4年 陸上競技部
メイン種目 走幅跳 PB 6.21
サブ種目  100m  PB 12.13

小学4年生の冬から陸上競技を始め小学5年生から走幅跳を始めました。
「体育の授業でした幅跳びが楽しかった」きっかけはこんなにも単純で、この気持ちだけで幅跳びを始めましたが、なんだかんだ今まで続けられています。
「なんでこんなに跳び続けられるんだろう」と最近よく考えます。

でもこだわりがあるとかそんなのじゃなくて、シンプルに「跳ぶのが好き」という気持ちしかありません。好きだからずっと続けられてるんだろうなって自分で思っています。
この気持ちだけはこれからも忘れないようにしたいです。そして、好きじゃなくなった時が自分の引退の時だと思っています。
陸上競技の中でマイナーな種目だし、ドロドロになるし、砂によったら擦り傷いっぱいできるし、そんな種目の何が楽しいんだって周りにもよく聞かれます。
たしかに、なんでなんでしょうね。
パッとは思いつきません笑
でも、言葉では表せられないけどなんか楽しいんです!

これを読んでくれてる人がどんな印象を私に持ってくれているのか分かりませんが、ここまでの話をきいて少し変わった人もいると思います。
ここからは私のモチベーションそして、どんな選手になりたいと思っているかを書いていきます!

私のモチベーション

私は小学校5年生で初めて幅跳びをした時、2mも跳べませんでした。砂場に入ることすら出来ない所から走幅跳を始めました。それが今は自己ベスト6m21で今シーズンは安定して6m跳べる選手にまでなりました。


先に話した通りほんとに「楽しむこと」を忘れないようにずっと跳び続けて練習し続けています。
ここまで1人で強くなった訳じゃなくてたくさんの人達に支えられて強くなりました。小中高大と素敵な指導者に素敵な両親に支えられてました。ほんとに幸せな環境に自分はいるんだなと改めて実感してます。


今年の日本選手権、陸上を始めた時はずっとテレビの前で観てて「いつか出たい」て思ってた夢の舞台に初めて出場して、空気味わって「これからもこの舞台で戦い続けたい」って思いました。

去年のシーズン、四国大学に跳躍専門の指導者が居ない中ずっとついて見てくれて、支えてくれてここまで育ててくれた監督が日本選手権で戦ってるの観て、そこに自分が居ないのがすごく悔しく感じて「一緒の舞台に立ちたい」って本気で思いました。そこからシーズン後半は日本選手権に出るってことを目標にずっと試合に出続けました。そして最後の最後に日本選手権標準を切る事が出来て本当に嬉しくて自然に涙が出てきてました。本気で目指して手にした切符は本当に嬉しくて頑張ってよかったって思えました。
今年の日本選手権の試合当日、先に監督の試合があってアップしながらスクリーンに映っているのを見ていました。自分も負けないように初めての舞台でいつも通りの跳躍をしようと心に決めて試合に挑みました。

試合展開は悪くはなく過去一いい試合の流れでした。5本目終わって、最後の跳躍に行く前に、監督達から、私に走幅跳を教えてくれて、小中とずっと陸上の楽しさや沢山の経験をさせてくれた恩師の先生が亡くなったってことを聞いて、頭の中真っ白になりました。誰よりも私が日本選手権に出ることを楽しみにしてくれていて、ずっと応援してくれていて、その先生にいい所見せたいって気持ちもあって試合に挑んでたので、すっごい頭の中パニック起きてるけど、最後はその先生の為に思い切っていつも通りの跳躍して最高の笑顔で終わろうって思って最後まで跳びきりました。

ずっと大学で見てくれている監督と陸上競技と出会わせてくれた小中の時の監督に恩返しをするための試合だったので、最高の恩返しができたと思うし、一生思い出に残る日本選手権になりました。
話しがだいぶ逸れてますが、
私の亡くなった小中の時の監督がオリンピックに出てる姿を見るのが夢なんだってずっと言うてくれていて、大学の監督も日本一を取らせるのが夢なんよって言うてくれていて、この大好きな2人の言葉が自分の最高のモチベーションで、頑張り続けられる理由なんです。

これからの事

私はこれからも競技を続けて2人の先生達の夢を叶えられるようにそして、自分の「日本一になる」という目標を叶えるために、怪我に負けそうになるし割と既に負けかけてるけど、周りに支えられながらこれからも頑張り続けたいと思っています。

そしてこれからも大好きな監督と2人で最高の競技生活そして思い出を作っていきます。

ここまで読んでくださりありがとうございました😊



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