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夢だったかもしれないから #skz.5


2023年、2月12日。

私に新しい世界を見せ、私に新しいアイデンティティを与え、行動力をもたらし、たくさんの愛で今日まで包んでくれた8人と初めて同じ空間へ行った。

さいたまスーパーアリーナを略して「たまアリ」と呼ぶことさえ知らない、コンサートに不慣れな私だった。

公演が始まる6時間ほど前から公演直後まで、「夢だったらどうしよう」という不安と高揚の入り混じった感覚。ほてり続ける身体と、空腹なのになんにも喉を通らない不思議。

あの日の幸福は夢じゃないって自分にだけは信じさせたくて、この文章を書き残す。



…というわけで。
本当にnoteさんお久しぶりです。百瀬です。(大体のスキズ系アカウントの名前はf/えふなので、そちらで呼んでいただいても大丈夫です。)

(((以下、自分語りのため次章まで飛ばしてOKです)))

StrayKidsを追いかけなかった日々

ついについについに、StrayKidsのコンサートに対面で参加するという夢のひとつが叶いました。
コロナが収束しつつあるこの頃、2022年6月の回は何度もチケットを応募してリセールも毎日チェックしたにも関わらず当たらず、今年のアンコール公演でやっとチケットが取れました。(今思うと、1枚のチケット応募より2枚のほうが当たりやすいのでしょうか)

去年は当たるかもわかっていないコンサートのために3か月間ダイエットやメイク研究をして、ピンヒールを毎日履くと色気が増すと聞いてかかとに何枚も絆創膏を貼っていました。そして見事にチケットははずれ、結局オンラインライブとライビュで4回くらい見ました。
「恋人ができたでしょう」と言ってくる友人は多かったですが、ライブに当たらなかった私にとってはむなしい褒め言葉でしかなく。

昨年の後半から留学を含めて私生活が忙しくなり、noteを更新できませんでした。スキズも、もちろん大好きで毎日聴いていたし、留学先でアルバムを購入したりはしたものの、空き時間のすべてを供給に費やす沼りたての私には遠く及ばない。

そんなこんなで結局、コンサート前に昨年のようなダイエットなどはせず。早起きをして髪を巻いて新幹線にとびのり、いちばんお気に入りのワンピースを着ていったりはしましたが…自分にとってのベストは尽くせていません。

結果、後悔しました。

会場についた瞬間、綺麗でかわいい笑顔のSTAYたちがこぞって写真を撮り合い、トレカの交換をしている。
浮かれた私も同行者に写真を撮ってもらいましたが、そこには明らかに筋トレをしていない体型のわたし。

ボディポジティブの概念なんてもちろん頭に入っているし、太っているとかそういうことを大好きなスキズちゃんたちは気にしない。そういう話じゃない。

ただ自分に対して悲しかった。
去年はできた努力をせず、私の人生の特別な”はじめて”の日を、こんなになあなあに迎えてしまった。
いちばん綺麗な姿で、最愛のヒョンジンの視界のなかで背景と化したかったのに。

私は、スキズを全力で推し、彼らから刺激を受けてそれを生活に活かしていく自分が最も輝いていると思う。私を女性として最も綺麗にするのも、恋でも憧れでもなく、彼らだと思う。
ヒョンジンの真似をして半身浴を、ピラティスを、アイエンみたいにスキンケアを、筋トレsみたいに筋トレを、Felixたちみたいに外国語を、スンミンやリノさんみたいなメンタルを。そうやって、自分が欲しいモチベーションを彼らの中に見つけて、彼らを理由に頑張って、自分の理想の”すてきなひと”になる。


沼りたてみたいに、とはいかないかもしれないけど、ずっと彼らに夢中になって、すてきな私でありたい。

そう思い直したのがコンサートでした。

朝に入る温泉の露天風呂みたいに、自然と物事が整理されて、頭がすっきりして、ポジティブに未来のことを頑張ろうと思える。

ありがとう、StrayKids。
私の人生に登場してくれて。
「生きててよかった」「生まれてきてよかった」と思わせてくれて。


エピローグみたいになっちゃいましたが、ここからが本番です。

あの日の高揚を夢ではなくするため、コンサートの備忘録にしばしお付き合いください。

スキズ、生きてた

開始2分。涙が出た。

生きてる、動いてる。
StrayKids、生きてるよ。画面でしか見たことのなかった人たちが、遠くで動いてる。

私、いま、同じ空間にいるんだ。
今が人生のピークだよって脳が理解したのか、スキズを好きになってからのことが走馬灯みたいに流れ出しました。

これ現実なのかな。
何度も思いましたが、たとえこれが夢でも、スキズがコンサートやってるなら見とかないと。そんな思いで、瞬きをした記憶がないくらいに彼らを見つめました。

常連さんには遠くて不満かもしれない3階席。そんなのどうでも良かった。

初めて使う双眼鏡にとまどい、沼りたての時にしかやらかしたことのないFelixとヒョンジンを間違えるなどの凡ミスを繰り返し、やっとヒョンジンをとらえられるようになった。

どうせオンラインライブかライビュで後から見るから、今はスクリーンなんて見なくていい。ひたすらステージの演出を見て、双眼鏡で愛するヒョンジンの華麗なダンスを追いかけました。

ちなみに3階席はステージを見渡せてとっても良かったです。あと、周囲に「アリーナなら絶対双眼鏡買ったほうがいいよ!米粒だよ米粒!」と言われましたが、肉眼でももやしくらいには大きく見えます。予想していた米粒より大きくて喜ぶ私。視力が0.1以下でコンタクト参戦の私ですが、目をかっぴらくとこれが意外と見えるんだな。

前半は双眼鏡に慣れていなかったのですが、ひたすらに彼らのスタイルが良く、ヒョンジンが綺麗に踊っていたのを覚えています。そして双眼鏡で見るよりも肉眼で見た方が、「あ、ヒョンジンだ」とダンススタイルから分かる不思議。


まずキムスンミンは脚しかない。細い。スキズ全員あしながお兄さん。骨格ストレート組はやっぱり太ももの筋肉がすごいんですが、それ以外のメンバーも筋肉あるはずなのにほんとに細い。こわい。ここでも痩せてくればよかったと後悔する。

友人同士で立ち上がってコールするSTAYさんがいて、「立っていいんだな」と認識。あのSTAYさんたちありがとう。私も後半には自分のペースで立って応援しました。私の付近にはあまり立っている人がいませんでしたが、構造的に、立っても後ろの人が見えにくいということはないので安心。

後半にはかなり双眼鏡に慣れてきて、「ここは双眼鏡で観たい!!」というポイントで使ってみたり、叫びたいところは肉眼やスクリーンで観たりと器用なことができるようになってきました。3000円くらいの双眼鏡でも、手ブレは気にならずかなり楽しめました。

アンコールからは隣のペアのお姉さんも立ち上がってノリノリで踊っていて、本当にみんなが仲間になったようで、アドレナリンがここぞとばかりに。
直接のお隣だったお兄さんはずっと控えめに応援していたので”連れの方に誘われたのかな?”と思ったのですが、アンコール待ちのSTAYが踊るところで、座りながらもめちゃくちゃ楽しそうに踊ってたのでSTAYさんだと確信。幸福に浸りすぎて余裕がなかったのですが、声をかけてお友達になりたいくらいでした。推しくらい聞いておけば良かったかな。

特に好きだった演出は、Astronautで会場が真っ暗になった後、星みたいにきらきらと風船が降ってきたこと。3階席は風船のもらえない(届かない)席だったけれど、素晴らしい景色を見ることができた。
急に会場が暗闇に包まれた後、降り注いだ風船。宇宙に来たみたいで、現実世界とは違うどこかに来たみたいで、ひたすらに胸が高鳴った。
写真にはおさめられないあの景色を私の脳は一生忘れない。

私は2日目だったので、風船は青と白でした。ひたすらに綺麗な景色だった。

そんなこんなで16時半から始まった公演は20時前くらいに終了。3時間半くらい。セトリを知っていたのもあるけど、一瞬だった。帰り道はずっと夢だったのかなって考えていたくらいに。

一瞬で、脳が処理できないくらいの幸福と高揚で。
不安になってTwitterに備忘録を打ち込んでおいて。


同行者の方のおかげで手に入れたぴょんじん氏。

夜行バスで帰宅した次の日の朝、私のバッグにはきちんとくじで引いたヒョンジンのステッカーも参加賞も、もらったハリセンも、グッズのパンフレットも入っていて安心した。

ちなみにこの日の夜行バスだけはなぜか眠れた。もともと不眠がちな私はいつも夜行バスで眠れないのだが、このときは1日ドキドキしっぱなしだったことで疲れがでたのか、脳が興奮しすぎてシャットダウンされたのか、心地よく眠った。

スキズ様々としかいえない。翌日からやけに体調が良くて、何もヘアケアを変えていないのに髪がサラッサラになった。嘘みたいなほんとの話である。

こうして私の人生で初めての、アイドルのコンサートは終了しました。


この後はポイントごとに語ります。




ライブ特有の発見


「キャップをかぶるとお顔が全然見えなくてさみしいな」

それはアンコールから思ったこと。イル活(日本でのカムバック)の際にTwitterで同じことを言っていたSTAYがいましたが、その時は全く気にしていませんでした。テレビやYoutubeで見るときはキャップをかぶってもその端正な顔立ちは見えるし、なんの不満もなかった。

でもコンサートとなると話は別だった。こちらから見下ろす形になるコンサートでは、キャップをかぶると全くといっていいほど顔が見えない。スクリーンで確認するほかない。

フードとキャップ、あまり深くかぶらないで…。その思いは京セラにて叶いました。ライビュで観た最終公演ではメンバーがかんんわいい動物たちのニット帽で登場。あれお揃いにしたいよね。かぶっていくところ無いけど。


あと、遠い席だった私には、思いっきり体を動かして手を振ってくれるFelixやリノさんのほうが意思疎通がとれている感じがしました。特にFelixは終始、全身を使って楽しさと愛と感謝を伝えていました。こういうところから推し変する人がいるのかなーと頭のどこかで冷静な分析をする自分がいます。


最終公演はライビュ(ライブビューイング)で観たのですが、「あれ?音小さいな?」と終始思っていた。終わってからはっとする。
コンサートで爆音に包まれて叫ぶ感覚を知ってしまった私は、ライビュの音響に満足できなくなってしまったようです。もちろん、大画面でスクリーンを鑑賞できるので今後もライビュには行きますが。

やっぱりコンサートは異世界で、元の世界に戻れない魔力を秘めていると常々思うわけです。






コンサートの異質性

コンサートは、画面越しのコンテンツとは明らかに違う。
だって会場で叫べば、本人に聞こえるんだよ。話題になった京セラ最終日のTHE SOUND合唱みたいに、私たちから贈り物をして彼らに本当のサプライズだってできる。カムバやSNSを通じてスキズがSTAYに愛と供給を与えてくれて私たちが反応する、そういう決まった形のコミュニケーションじゃない。会話みたいに、その場の空気や偶発性を持つコミュニケーションだった。


「会える」というのは最高だけれど少しこわいと思った。
あ、やばい、何度も現場に来てたら、恐ろしいほど強欲になってしまう。そんな予感がした。今回みたいに、3階席だなんてどうでもいいってきっと言えなくなる。
愛するヒョンジンは、目の前のSTAYに大切に挨拶をしていく。3階席のほうを見上げる回数は比較的少ない。

初めはそんなのどうでも良かった。同じ空間にいて、彼らのパフォーマンスを生で、彼らの作るステージを体で感じることができることはこの上ない幸福だ。

でも、途中から思い始める。

「ヒョンジナ、こっち向いてくれないかな」
「もっと上も見てくれないかな」
「あ!いま自分の延長線上にヒョンジンがいる!!」

そう。目が合ってほしいと願う自分がいた。ペンラとジニレットを振り回して踊り狂い、ヒョンジンの名前を叫ぶ私の愛が届いてほしいなって。

恐れ多いにもほどがある。
でも、コンサートにはその魔力があった。
きっと私は、気をつけなければ際限なく強欲になる。もっと近い席で観たい、ペンサが欲しい、そんな具合に。

それは今までの私とはまったく違う推しへの感情だ。
画面越しの彼を愛する私は、彼がいまこの瞬間もずっと幸せで生きていてくれたらただそれだけでいいと思っていた。

それと同時に、この煩悩が生きるモチベーションでもあると思った。
今までの私はよく「次のカムバまで生きる」「スキズに会うまでは死なない」と言っていた。それがいつか、「アリーナ席で見るまで死なない」になるのかもしれなかった。

Twitterを見ていると、ペンサがもらえないことで病んだり嫉妬をする人もいるらしい。それは私のヲタクスタンスとは異なるので、そういう煩悩には理性をかけて、でもほどほどにモチベーションとして、この強欲さを受け入れていきたい。


日本語と、母語と。

今回のアンコール公演。前回よりもさらに、メンバーの日本語が上達していたように思います。私が観たたまアリ公演ではほとんど通訳さんは声を発さず。

日本語を話す彼らが、あんなに長いメッセージを暗記してくれて。(京セラ公演はカンペを読んでいる感じがありましたが、たまアリ公演ではずっとカメラを向いて話していた印象。)

特にFelixがとってもきれいな語彙で話していたのを鮮明に覚えています。素敵な言葉たちを一生懸命思い出しながら、通訳さんに頼ることなく話しきっていた。

メンバー全員、日本語が本当に上手でたくさん勉強してくれたんだなと分かる。ときどき、ほんの少しの言い間違いはあったけれど、ネイティブの私たちなら何を伝えたいか分かる些細なものでした。

それを見て、言語学習者としても学びましたね。間違うことよりも伝えること・伝わることが大事。自分の言葉で伝えてくれることがいかに尊いのか、コミュニケーションの優先順位の本質を、彼らを見て思い出した。

たまに、英語や韓国語のネイティブとして生まれたかったと思うこともある。それでもイル活や日本語コンテンツがあるたびに、日本人で、日本語ネイティブで良かったと思えている。ありがとうスキズ。

また、彼らが私たちの言語を話してくれる感動と同時に、母語で伝えたい言葉もあるってことを心得ておきたい。

それを強く思ったのは京セラの最終公演。この日はアンコール公演の本当のラストだったことやスキズ全員の家族が見に来ていたこともあり、最後の挨拶では日本語に加えてそれぞれが韓国語や英語で話していた。

ヒョンジンやハンは韓国語、Felixは英語で。たとえそれらが簡単に翻訳できる内容でも、母国語でしか伝えられない気持ちがあるだろう。自分の素直な気持ちを、一番言いやすい方法で伝えるのだから。

だから私はやっぱり外国語を頑張りたい。ライビュを見た後の私は、Felixの英語を集中しなくてもぜんぶ理解できるくらいに英語ヘラヘラになりたい!と燃えていた。(ちなみに今回のヒョンジンの韓国語はおおむね理解できた…!)

想像もつかないくらい忙しいスキズがあんなに日本語を話せるんだから、自分はもっともっとできるはず…!努力あるのみですね。



私たちだけの招待状

2月12日には、スキズとバイバイした後も楽しみがあった。
ハンに「食べてくださいね~!」と言われた蟹を食べるだけでなく、チャニエバンがあったのだ。

ライブ中に「僕の番組(=チャニエバン)に招待します!」といたずらっぽい笑顔で言ってくれたバンチャンさん。

チャニエバンは常に私たちを受け止め、孤独を癒しストレスから解放してくれる最高の生放送。チャニエバン、つまり、バンチャンさんの部屋が開かれたときに遊びに行くような気持ち。

でも今日は”招待”してもらえているんだ。いつかのバレンタインにチャニエバンで花をもらったときみたいな、自分たちが特別なゲストになったような感覚。

スキズはいつもそうだと思う。
コンテンツを追っていないファンのことも課金していないファンのことも平等にSTAYとして愛してくれる。私たちが生きているだけで肯定してくれる。
でもそれでいて、走って、時にお金を使って追いかけたときには”特別扱い”をしてくれる感じ。bubbleもそうだけど、有料コンテンツとは何かを心得ている感じ。
そんなところも、私がスキズを大好きで沼落ちした理由でもある。



この一生を捧げて

今回は知人に同行者をお願いして、2人で参戦しました。
その方はSTAYではなく、私が簡単に布教してメンバーの名前と特徴を覚えたくらい。グッズのバッジを購入するか迷ってました。

そこで私が「私は一生スキズが好きだよ!」と言うと、購入を決断。
その方自身がスキズに沼落ちするかはまだ分からなくとも、私と親しい以上、StrayKidsというグループは自分にとっても特別な存在であり続けると判断したのでしょう。

親友たちにもいつも胸を張って、一生スキズが好きと言っています。
沼落ちしたあの時から、一度もその自信とも決意ともいえない感情は揺らいでいません。



次回のコンサートは、掛け声を完璧にして参戦したいな。
そのためには歌詞の韓国語も少しは理解しないと。

全通はいつかしてみたいけど、大画面で観れるライビュやお菓子やお酒をつまみながら楽しむオンラインライブも好きなんですよね。

掛け声に関して、私の周りのSTAYさんはあまりコールしていなかったのですが、ただただ自分自身がスキズのコンサートを全力で楽しむために、掛け声覚えたいなーと思いました。そうしたほうが、スキズにもパフォーマンス素晴らしいよ全力で楽しんでるよって伝わる気がして。

チャンビンさんに言われたとおりに、バランス良く食べ、運動に言い訳せず、チャンビンさんのこと、キッズ全員のことをいつも考えて過ごしていきたい。

次回こそ、自分史上最高の自分でヒョンジンの視界の米粒…いや、できれば光のうちのひとつになれるように。



ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

(マイクを通さない地声で)アンニョ――――――ン!!!!!!




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