冬休み一番頑張ったのこれかも

長い休みの度に生活リズムを崩してしまう。怠惰だとは思うが、もうそういうものだと思ってもいる。早く起きなくていいなら早く起きたくない。

今も眠れなくて暇をつぶすために書いている。冬休み最終日の4時半。こんなことをしている場合ではない。正気なら今頃ぐっすり眠っているはずなので、ここから先は寝言だと思って貰っていい。

短歌が好きだ。読むのも書くのも好きだ。歌集を読む時は、小さく切り取られた世界で旅をしているような感覚になる。それぞれの短歌にそれぞれの地球があり、それぞれの宇宙がある。限られた文字数の中で描かれる景色や感情には、小説とは違う美しさがある。多くを語らないことで余白が生まれ、その余白の中で思考する。映画の予告のように核心は突かず、何かが起こる予感がする。結末は読み手の感性に大きく委ねられ、不安定でもある。読む人間の数だけ解釈は生まれ、そのどれもが正解である。
短い文は頭に入りやすい。綺麗な短歌は知っておくだけで素晴らしい人間になれるように思える。言葉を言葉以上に理解しようとせず、包装された言葉のままで抱きしめておくことも出来る。
頭を使おうとすれば、いくらでも想像することが出来る。描かれていない背景を生み出したり、解釈で主人公を殺したっていい。真意を汲み取ろうと考察を深めることは素晴らしい。私が買った歌集に私が筆を加えることを誰も止められない。

短歌を書くのは難しい。単純に書ける字数が少ない。咄嗟に思いついた気持ちは短歌という器に入りきらないことが多い。ツイートするには毒が強すぎる重たい感情を研磨して、見れる姿に変えてやる。普段使わないような言い回しも、31音に収めるためという無敵の言い訳によって使用を許可される。字数の制限は檻であり武器でもある。

短歌を書くのは苦しい。うまく書けない、書きたいことが見つからない、書いた短歌に自信が持てない、書く悩みは一生無くならないだろう。短歌を書き続ける限り、これらから逃げ切ることはできない。私にとって、創作は欲である。自分が書いた短歌が完全になってしまったらそれ以上は書けない。私は私に満足しない。永遠と渇き続ける短歌に飢えた化け物を心に住まわせながら、短歌を書き続ける。

短歌を書くのは楽しい。好きなだけ嘘をついていい。いくらキラキラさせてもいい。いくらドロドロさせてもいい。ないものがあったみたいな言い方をしていい。あったものの話をしなくていい。最後にけりとか付けなくていいし季語を入れなくていい。これだけ自由だと軸を見失ってしまいそうだが、そんな時のために五七五七七というルールがある。はしゃきすぎたら31音に向かって走ればいい。それだけで私も歌人と名乗っていい。

昔は小説を書いていたけれど、長い物語を書こうとするとだらだら長いだけで盛り上がりもなく、面白くない文章しか書けなくなってしまった。
次は歌詞を書いてみたけれど、綺麗なだけのショーケースみたいな段落と、強い言葉を使って韻を踏んだだけの段落が、誰に見られるわけでもないのに人目を気にしているのが気持ち悪くてやめてしまった。
自由詩は自由が故にどこまで走っていいのか分からなくて、自分がどこから来てどこに行きたかったのかを見失ってしまった。心細かった。
こんなにも言葉が好きなのに、書くことが好きなのに、書こうとするとかっこつけている自分が気持ち悪くて、かっこよくない自分がダサかった。
しばらくして何も書かなくなった。何も生まれないから傷つかない。やっと苦しくなくなった。

短歌に出会ってからは全てが2倍速で進んだような気がする。木下龍也の歌集を買い漁り、目に映るものを全て短歌にした。書けなくなったら歌集を買い足して、散歩をして、また目に映るものを全て短歌にした。夏の終わり頃に書き始めた短歌が冬には400首を越え、日常の彩度がぐんと上がった。書くことが怖かったあの時の自分はこうなることを一度でも想像したことがあっただろうか。
どれだけ壮大な物語が浮かんでも、結末に繋がる部分をちまちま書き続けなくていい。無いメッセージ性を作るために思ってもいない綺麗事を無理に書かなくていい。意味が通っていない韻も踏まなくていい。好きに暴れて31音分叫んだら、ここまでだよと肩を叩いてくれるルールがある。こんなもんでいいか、と力を抜けばそこでおしまい。言葉に取り憑かれた私は短歌によって救われた。こんなに苦しくて楽しいことが他に思いつかないので、私はこれを(言葉で遊ぶ余裕がある限り)一生続けるのだと思う。


2000文字弱にわたる短歌へのラブレターを書き終えて、本当に文字数の制限に救われた人間のすることかと頭を抱えています。馬鹿すぎる。現在6時35分。2時間かけて久々に長い文章を書いた感想はというと、本当に早いうちに寝ときゃ良かった。これに尽きる。あとかっこつけたくて書かなかったけど短歌にハマったのは通っていた塾のめちゃくちゃかっこいい先生が木下龍也を好きで、Twitterで見て何となく買った歌集のおかげで会話が弾んだことがきっかけです。今白状したので許してください。

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