青春の瞬間1

僕の夏は2003年6月に終わった。
夢のインターハイに届かず、不完全燃焼だった。
京都府大会の2日目、個人戦の初戦(シードのため2回戦)、真っ青な空のもと、ペアの打ったボールが白帯に弾かれ、ゲームカウント2-3、ポイント2-3で幕をおろした。

3年前の中学の最後の地区大会は僕の打ったレシーブがネットを揺らした。
よく似たシーンだった。

僕は中学からソフトテニスを始めた。
ソフトテニスの魅力に魅せられ、どんどんのめりんだ。
しかし好きとは裏腹に勝てなかった。でもなぜかずっと続けた。
中学の最後は県にも満たない、地区大会1回戦負け。
しかし、高校はソフトテニスの名門校に入った。
とにかく、テニスを続けたかった。
その高校は入学が決まったら練習に参加しながら、合宿に参加する決まりだった。
それが僕のテニス人生を大きく変えた。
4日ある試合づくしの研修大会合宿の2日目の夜のミーティング。
監督「お前、明日からAチーム」
僕「え?僕、中学での実績ないですよ?今日も全敗です。」
監督「関係ない。わしがA言うたらAなんや。お前は好きなようにやれ。負けたらBに戻るだけ。なんも変わらんやろ。」
今思えば、この1言が僕を奮起させたのだろう。
3日目、今までが嘘のように全勝した。
この日から僕はレギュラーを外れたことはない。
中学までは勝てなかった僕が、名門校のレギュラーを一瞬で勝ち取った。
後の話だが2年からはエースにもなった。
高校に入って初めてのインターハイ予選は危なげなく地区大会は勝ち上がり、府大会に駒を進めた。地区大会の団体戦も決勝の3番勝負で僕が勝てば優勝というシーンでなんなく勝ち、優勝を決めた。1年前の僕からは想像もつかない状態だ。
しかし、そううまくはいかない。
府大会は3回戦で第1シードにボロボロに負けたた。ちなみに団体戦は、僕は負けなしだったが、チームはベスト8で終わった。
近畿大会が終わって、3年生が引退し、僕の次の目標ができたのだ。
チームで1番になり、京都で1番になってやると。
つづく…

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