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ノリノリのノリスケさん。

 今日二月六日は海苔の日なのだそうだ。

 日本最初の法律である大宝律令の中で海苔は年貢として納めるものとして決まっていたことにちなんでいる。

 また全国の海苔漁が最盛期を迎えるのもこの時期なのだそうだ。

 海苔は天然物であり同じ場所で獲れたものでも品質が違うデリケートな海藻である。

 私の育った西日本では海苔は味付け海苔が主流だった。

 テラテラと光沢があり醤油の甘辛い味わいは癖になってついついおやつ代わりにつまみ食いをしてよく怒られたものである。

 逆に関東では海苔は味がついていないことが多い。
 
 よく昔のドラマなどで見かけるが割烹着を着たお母さんが海苔を火であぶる描写が出てくる。

 醤油に浸してから食べるのでしょっぱくないのかなと疑問だった。

 作家の椎名誠さんが海苔を偏愛しており自分の事をノリコンだと言って憚らないが私も同好の士である。

 ピインと空気の冷えた真冬の朝にホカホカと湯気の立つご飯とお味噌汁、
卵焼き、白菜の漬物と海苔があればもう最高だった。

 まずは白菜の漬物にうま味調味料を少し振りかけて醤油を垂らす。
  
 それでご飯をくるりとまいて食べると白菜の冷たさとご飯の温かさが口の中で混然一体となってうっとりしたものである。

 卵焼きを間に挟んでいよいよ海苔に手を伸ばす。

 味付け海苔は角が立っているパリパリなのが肝で白菜とご飯と一緒に食べると最高のアンサンブルだった。

 当然一膳では物足りないでお代わりをしたものである。

 そんな海苔だが、かつては贈答品の定番だった。

 たまにやってくる上品な着物を着たお姉さんが風呂敷包みを母に手渡す。

 まあまあ、気を遣ってくださって申し訳ないですねぇと母が受け答えをする。

 それから応接間で談笑が始まるのが私は手土産の中身が気になって仕方がない。

 重かったらカルピスかも胸をときめかしたし軽いとタオルとかかなと軽く落胆したものである。

 しばらくしてお客さんが帰った後に母にお土産あけていい?と聞く。

 いいわよ、というのでワクワクしながら包みをほどくとスチール缶に入った海苔の詰め合わせだった時はほんの少しだけ残念に思った。

 なぁんだと思ったが贈答品の海苔は高級品なのか普段食べなれている味付け海苔よりもずいぶん美味しかった記憶がある。

 何だかんだで今でも私は立派なノリコンである。

 もちろん韓国海苔も大好きである。

 あのゴマ油が塗ってあるしょっぱい味は癖になる。

 海苔はタウリンが豊富で動脈硬化やコレステロールを下げる効果があるそうなのでもっと食べようと改めて思った。

 そんな海苔好きの私の昨日の晩御飯はというと。

 おでんを三日間育てていたが妻から飽きたと言われたので野菜ブイヨンを使って出汁を薄く伸ばしてカレーにした。

 副菜は大根を摺り下ろして片栗粉と混ぜてレンジで乾燥させて砕いた干しエビを混ぜて焼いた大根餅。

 もう一品は白菜とベーコンの辛子炒め。

 白菜をざく切り。

 ベーコンは一口サイズに。

 フライパンに潰したニンニクを入れて火を点ける。

 香りが立ったらベーコンを入れる。

 こんがりするまで炒めたら白菜を投入。

 白菜がしんなりしたら味付け。

 塩とうま味調味料で味を付けたら仕上げにカラシを少々。

 これで完成。

 ちょうどご飯が炊けたので晩御飯の始まり。
 
 昨日のお酒はホットウイスキー。

 寒い時は温かいお酒が嬉しい。
 
 いただきますをして乾杯。

 まずはからし炒めから食べる。

 シンプルな塩味にカラシの刺激が心地いい。

 これはお酒が進むなぁと思いつつクピッ。

 お次は大根餅、大根の水切りが甘かったのでやや水っぽかったがまあまあ及第点の味。
 
 干しエビからいい出汁が出ていた。

 二杯目のお酒を作りつつカレーを食べる。

 さすがにおでんで色々煮こんだ出汁が出ていて濃厚で素敵な和風カレーになっていた。

 妻もこれ美味しいよと言いながらパクパクと食べていたので良かった。

 定番のぬか漬けももちろんつまみにポリポリ。

 福神漬け代わりになってちょうどよかった。

 二人でテレビを観ながらあれこれ好き勝手なことを言いながらご馳走様。

 カレーの後の片づけは油分がお皿にべったりついていてスポンジが駄目になってしまう。
 
 あらかじめ漬け置き洗いをするのだが完全には落ちない。

 なので躊躇せずに食洗器のお世話になる。

 後はお風呂に入って眠るだけである。

 ああ、そういえば最近海苔食べていないなぁ。

 朝ごはんがパン派なのでなかなか食べる機会が無い。

 そのうち純和風の朝ごはんを拵えてみようかな。

 たまには関東風の炙り海苔を試してみようかな。

 そういえば給食の時に前歯に海苔を張り付けてお歯黒っとボケる子どもがいたのは昭和の風景なのでしょうね。

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