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「それでも」と言い続けろ

こんばんは。melon.です。

前回に引き続き『機動戦士ガンダムUC』を語っていきます。

今回は私の好きなシーンを語っていきます。

前回よりネタバレ要素が強くなっていますが、楽しんでいただければ幸いです。

「それでも」と言い続けろ。自分を見失うな。

今回のタイトルにも据えたこの台詞。

episode3『ラプラスの亡霊』でマリーダ・クルスがバナージに向けて言った台詞です。

正確には

「バナージ、たとえどんな現実が突きつけられようと、「それでも」と言い続けろ。自分を見失うな。」

となります。

ユニコーンガンダムとクシャトリヤが戦闘。NT-Dが発動し、デストロイモードとなったユニコーンガンダムはクシャトリヤをケチョンケチョンにします。

※NT-D(New Type Destroyer systemの略。相手がニュータイプだと認識すると発動する。ユニコーンガンダムが赤いデストロイモードに変形にする。パイロットの意識がガンダムに直結するため、パイロットが頭で描いたとおりにマシンが動く。つまり、操縦桿を握らなくてもガンダムが動く。しかし、ニュータイプを倒すことはマシンに組み込まれたマシンの本能であるため、パイロットの意思とは無関係に、マシンの本能に飲み込まれてしまうことも。こうなると、パイロットはただの飾り同然に...。)

マシンに飲み込まれ、クシャトリヤをボコボコにし、パイロットのマリーダさんを半殺しにするユニコーンガンダム。しかし、その中でニュータイプ能力に目覚めたバナージが、マリーダさんの意思と共鳴します。意思の中で通じ合ったバナージとマリーダさん。なんとかマシンの暴走を食い止め、マリーダさんの命を奪うことなく、捕虜として拿捕します。

互いに憔悴した二人は船の医務室で再会します。そのなかで、かけられた言葉です。

おかしいことにはおかしいと言い、周りに流されず自分の想いを貫くバナージに対して、そのまま突き進めとばかりに、「それでも」という言葉でマリーダさんは背中を押します。

その後もバナージは「それでも」と戦い続けます。

「それでも」は作品において欠かすことのできないキーワードになります。

マリーダさん、ホント素敵なキャラクターだ。

最後の命令だ...。心に従え。

こちらはepisode6『宇宙と地球と(そらとほしと)』でのスベロア・ジンネマンの言葉です。

ジンネマンはガランシェールのキャプテンであり、マリーダさんのマスターです。(且つ父親的存在)

人工ニュータイプのマリーダさんは、「調整」という過程を経て、マスターの命令に従うように組み込まれています。

しかし、ジンネマンはマリーダさんを戦争で先にこの世を去った娘の姿に重ね、マスターとしてではなく娘同然に育てていきます。

場面は物語の終盤。ジオン残党軍の総帥フル・フロンタルに対し、同じくジオンの姫君であり、今作のヒロイン、ミネバ・ザビが決別を宣言します。いわゆる内部分裂です。マリーダさんはミネバ側につき、味方であったジオンの総帥フル・フロンタルに反抗の意思をみせます。

愛する娘同然のマリーダさんの、反逆行為ともとれる行動に心が揺れるジンネマン。

そこに、マリーダさんが

「お父さん。わがままを許してくれすか?」と語りかけます。

「お父さん」というパワーワードにジンネマンは決意します。

そして、

許す...。

の後にこの台詞がつづきます。

ジンネマンは船一隻のキャプテンです。そんな彼が、直属の上司を(というか一番偉いヒトを)敵に回すことなど容易なことではありません。 マリーダさんと軍人としてのプライドの中で板挟みとなるジンネマンの葛藤は相当なモノであったと思います。ですが、最後はジンネマン自身も心に従ったのです。

作中でジンネマンは、家族の命を奪った地球連邦軍に深い憎しみを抱えています。しかし、憎しみが憎しみを呼び、復讐が復讐を呼ぶこともわかっていました。正しい道ではないとしても、組織に生きる人間として、自分を殺して従順に祖国に仕えてきたのです。

死ぬまでやせ我慢してみろ。男の一生は死ぬまで戦いだ。 episode4『重力の井戸の底で』

そんな男です。

そんなジンネマンに、「あなたの心はどうしたいんですか?」とことある毎に待ったをかけるのが、バナージです。

どんなに理不尽でも、心に従い、「それでも」と突き進むバナージに、ジンネマンも心を揺さぶられたのではないかと思います。

私は「心」や「魂」という言葉が好きです。誰に命令されるわけでも、誰かの顔色を伺うわけでもなく、自分が本当に望むこと。それは与えられるモノではなく、自分自身から湧き出るモノだと思います。

私も迷ったら最後は自分の内なる声に耳を傾け、心の羅針盤が指す方角へ進みたいと考えさえられた台詞です。

戦争をやってるうちに、そういう部分だけこなれていったんだよ。効率がいいってな。

episode4『重力の井戸の底で』の整備士トムラさんの言葉です。

この台詞。結構お気に入りです。

こういうことがサラッと言えたら、カッコいいなと思ってしまいます。

本作では、ガンダムがジオンとも行動を共にするため、ジオンの船でガンダムの整備をする場面が描かれます。

ガンダムにジオンの武器が当然のようにフィットするため、その様子を見たバナージが

「そういう部分では協調できるのに、なぜ戦争はやめられないんですか?」

と問いかけます。

それに対し、トムラさんはユニバーサル仕様であることを説明した上で、上記のように説いたのです。

バナージのこの問いには私も「確かに」と思ってしまいました。

互いが互いを思いやって協調していけば、戦争なんてしなくてすむのに。

それでもわかり合えずに今日も戦いは続く。精神以外での協調を保ちながら...。

そんな人類の愚かさを感じさせられるセリフです。


本作ではもちろん、ニュータイプ論についても語られています。

人類が地球の重力を離れ、宇宙での生活に適応したとき、人類の新たな可能性が生まれる。

そうして、生まれたのがニュータイプです。

ニュータイプは感受性に優れ、ヒトの意識がコミュニケーションを介さずして理解できます。

相手の気持ちが分かるわけですから、互いに感じ合えば、誰とでも誤解なくわかり合うことができます。

その結果全ての人々が誤解なくわかりえば、戦争はなくなる。

これが、戦闘とニュータイプ論の核心です。

しかし、人類はまだその可能性に気づいていません。ニュータイプは相手の気持ちが分かってしまうが上に、気持ち悪がられ、戦争では「妙に勘の良いヒト」や「超能力者」といった扱いで戦果を挙げた結果、戦いの駒となってしまいます。そしていつしかどのヒトとも誤解なくわかり合えるヒトという本来の考え方は争いの中で忘れ去られていったのです。

そのような人類にユニコーンガンダムは、サイコフレームをとおして、ニュータイプ本来の力を示し、平和へと導こうとするのです。


言いたいことも言えないこんな世の中じゃ POISON という歌がありましたが、現代社会も全てのヒトが建前をなくして本音で語り合えたらと思うことがあります。

そうすればいじめやハラスメントといった屈折した人間関係や、自殺から救われるヒトもでてくるのではないでしょうか。

確かに時には建前が必要なときもあるけど。社会というルールの中で生きているわけだから。

それでも、私はニュータイプになれたらなと思うことがあります。

可能性という名の神を信じて

人類は少しづつニュータイプに向けて歩みを進めていると思います。

ネットワークが普及し、人種だけでなく、国境や言語を超えて様々な文化や価値観に触れることが可能になりました。

さらに、いいね!で他人を蹴落とすのではなく、良いものはみんなでシェアしようという文化も生まれました。

まだ、それらが軋轢を生むことはあるけれど、いずれ誤解なく分かりあったヒトたちの温かさが地球を包む日がくると信じています。

多様な価値観にあふれていく中で最後に必要なこと。

それは心に従うことだと思います。

誰かに自分の意見を押し付けるわけでも、誰かに従うわけでもなく、自分の心に、魂に従って生きていく。

それが、これからの社会を幸せに生きるコツではないかと私はこの『機動戦士ガンダムUC』を観て感じたのです。

収穫

長々とお付き合いいただきありがとうございました。

とにかく『機動戦士ガンダムUC』は創り手の願いや思いをひしひしと感じる名作です。

ガンダムを通して最後は自分の意見まで偉そうに語ってしまいました。

もしかしたらこの文章が誰かを傷つけることがあるかもしれない。と思うと自分の意見を発信することは恐怖を感じます。

それでも、今は自分の思いを文字にしようと思います。

心に従って




でも、有名になっちゃったら恥ずかしいからやめようかな。

参考文献

機動戦士ガンダムUC名言集 PHP新書

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