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【や】 矢出川技法

矢出川技法【やでがわぎほう】 旧石器電子辞書

                     佐久市教育委員会 松下友樹

【概要】
 矢出川(やでがわ)技法とは、長野県南佐久郡南牧村所在の矢出川遺跡から出土した細石刃(写真上段)、細石刃石核(写真下段)から安蒜政雄が命名した細石刃製作技法である(安蒜1979)。
 「野岳・休場型細石刃石核」(鈴木1971)や「稜柱形細石刃石核」などと呼ばれる円錐状、または角柱状の石核が残される。

【分布・時代】
 矢出川技法によって作られた細石刃・細石刃石核は古本州島の主に西南に分布する。約18,000年前に古本州島に広がったと考えられ、静岡県休場遺跡で18,940-15,260calBP、長崎県茶園遺跡で18,845-18,540calBPという数値が得られている。
 同時代には北方系の細石刃技法である湧別(ゆうべつ)技法などが存在していたが、両者が共に発見される例もある。また、一部の遺跡については下層から矢出川技法、上層から湧別技法による石器群が層位的に検出されており、矢出川技法→湧別技法という変遷観が示されている(加藤2016)。

【起源】
 矢出川技法の起源についてはいくつかの説が提唱されている。矢出川技法の技術的特徴が、先行する石刃剥離技術と類似していることや、大陸で知られている類似の細石刃核の多くが国内の稜柱形細石刃核よりも新しいことなど踏まえた列島内起源説(須藤2009)。
 同技法による石器群が日本列島で出現する以前に類似する石器群が中国華北地域で出現していることから、中国華北地域の角錐状細石核文化が西南日本を主に伝播してきたと考える大陸起源説(加藤・李2012)などが挙げられる。
 また佐藤宏之は、青森県五川目⑹遺跡で出土した荒川台型細石刃石器群の出土事例から荒川台型技術の開発起源として北方系の蘭越技法との関係を指摘し、北方系細石刃技法の技術情報から生成された荒川台型細石刃石器群の有する技術・行動戦略が刺激となって中部・関東の稜柱系細石刃石器群が生成されたと説明した(佐藤2011・2013)。

【製作技法】
 
矢出川技法は北方系の細石刃製作技法のような石核の入念な調整加工を行わない。原石→礫面除去→打面・側面形成→打面・縁辺調整→細石器剥離→打面・作業面転移→打面作業面再生という流れで細石刃を製作する(大谷2006)。

矢出川技法の細石刃製作過程 (堤2021より)

【石核の形態】
 矢出川技法により残される石核の打面は、縦長状の打面、横長状の打面、方形状の打面が存在している。他の細石刃製作技法とは違い、複数の形態の石核原形を個々の形状に合わせて剥離していたことが予想される。そうした複数の形態の石核原形を、連続する一連の薄片剥離の過程で整えていく技術が矢出川技法の特徴である。また石核には複数の作業面が設けられる。いわゆる隣り合わせの状態で作業面を転移していくため、残された石核は円錐状または円柱状になることが特徴的である(安蒜1979)。

矢出川遺跡の細石刃石核(堤・望月2012より引用)

【引用・参考文献】
安蒜政雄 1979「日本の細石核」『駿台史學』47 pp.152-183
大谷薫 2006「稜柱形細石核の作業工程—関東地方における様相」『黒曜石文化研究』4 pp.107-123
鈴木忠司1971「野岳遺跡の細石核と西南日本における細石刃文化」『古代文化』23-8 pp.175-192
加藤学2016「中部地方北部における更新世末の環境変動と人類活動」『旧石器研究』12 pp.115-134
加藤真二・李占揚 2012「河南省許昌市霊井遺跡の細石刃技術-華北における角錐状細石核石器群-」『旧石器研究』8pp.31-44
佐藤宏之 2011「荒川台型細石刃石器群の形成と展開-“稜柱系”細石刃石器群の生成プロセスを展望して-」『考古学研究』58-3 pp.51-68
佐藤宏之 2013「稜柱系細石刃石器群の生成プロセスの展望:荒川台型細石刃石器群を中心として」『日本列島における細石刃石器群の起源』pp.10-13
須藤隆司 2009「細石刃技術-環日本海技術と地域技術の構造と組織-」『旧石器研究』5 pp.67-97
堤隆・望月明彦2012「矢出川遺跡の細石刃関係資料と黒曜石産地推定-第6次分析-」『資源環境と人類』2 pp.73-82
堤隆2021「信濃川流域の細石刃集団の行動領域と生業のコントラスト」『千曲川-信濃川流域の先史文化』pp.161-174


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