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織笠 昭 【旧石器電子辞書】<お>

                      新潟県教育庁  加藤 学

織笠 昭【おりかさ あきら】

【経歴】
1952年7月 福島県生まれ
1975年3月 明治大学文学部史学地理学科考古学専攻卒業
1983年3月 成城大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学
1985年4月 東海大学文学部非常勤講師(~1987年3月)
1987年4月 東海大学文学部専任講師(~1991年3月)
1991年4月 東海大学文学部助教授(~1999年3月)
石器文化研究会代表世話人(~1997年3月)
1993年   日本第四紀学会評議員(~2003年5月)
1995年4月 千葉大学文学部非常勤講師(~1996年3月)
1995年9月 第4回岩宿文化賞受賞
1997年4月 石器文化研究会顧問(~2003年5月)
1998年   石器に学ぶ会代表(~2003年5月)
1999年4月 東海大学文学部教授(~2003年5月)
2000年4月 青山学院大学文学部非常勤講師(~2003年5月)
2001年6月 日本考古学協会前・中期旧石器問題調査研究調査研究特別委員会第5作業部会委員(~2003年5月)
2003年5月21日 逝去

【主な調査履歴】
東京都前原遺跡・高井戸東遺跡・鈴木遺跡、長崎県泉福寺洞穴、埼玉県殿山遺跡、長野県野尻湖底立ヶ鼻遺跡、千葉県東林跡遺跡等、多数の発掘調査に参加し、報告書の執筆に携わった。中でも、東京都新橋遺跡報告書における「剥片剥離過程」(1977)、東京都鈴木遺跡報告書における「折断剥片」(1978)は、その後に発表される代表作「細石刃の形態学的一考察」(1983)や殿山技法に関連する一連の論文(1987b~e)の礎となった。
また、神奈川県上草柳第3地点南遺跡で、東海大学の考古学実習を兼ねた学術調査を実施し、後進を育成した。この調査では、発掘映像記録を制作したことも特筆される(2000b)。
【研究方法】
研究史を丹念に読み取り、先行研究を再評価したうえで議論を整理し、石器を形態学的に検討する姿勢を貫いた。
「石器形態の復原」(1984b)では、石器を「素材・加工・形」の三要素に整理して形態理解する方法を示し、その後の研究の基礎とした。すなわち、「石器の素材がどのようなものであり、どのように用いられているのか。その素材に対してどのような加工がどのように施されているのか。その素材に対する加工によってどのような形態の石器として仕上げられているのか。」という視点から理解することで、石器の生成過程を明らかにする方法である。
この研究法を足掛かりに、「共通する形態の区分に基く型式的な比較」(1985)を行う「石器形態型式研究」を展開した。すなわち、個々の石器を「素材・加工・形」の三要素から観察・理解し、これに基いて形態分類し、石器群全体を把握した。そして、形態的に捉えた石器について、時空的な広がりを把握して型式的に捉えた。
1990年代以降、これを具体的に展開するために、「石器器体角度研究」を実践した。各部位の角度や大きさなどを多様な視点から計測し、具体的に数値化して表現することを徹底した。石器を計測することは、「ありとあらゆる種類の石器について、ありとあらゆる時期と地域を対象にして実践することができる」共通の方法であり、「より豊かな石器の理解をもたらす基点」とした(2002b)。その実践の基礎として、実測図の作成にはこだわりをもった。
【時代名称】
時代名称は、「先土器」にこだわった。ヨーロッパを含むユーラシア大陸の様相と比べ異質な点が多いことを指摘し、ヨーロッパで設定された「旧石器時代」や「新石器時代」と同等に対比して表現することはできないと考えた。また、後に捏造されたことが明らかとなった「前期旧石器遺跡」の発見が、「先土器時代」から「旧石器時代」への表現転換を促した一因とし、「不確実な資料を含む前期旧関時代を前提とする「旧石器時代」という呼称を用いた研究は、これから、より大きな矛盾と困難を抱えながら進まなくてはならないだろう。」と厳しく指摘した(2001b)。
【学際研究の展開】
石器の形態学的研究とあわせて、学際研究の推進を重視した。長野県野尻湖底立が鼻遺跡における学際調査への参加をつうじ、環境変動と考古資料を総合的に検討することを視野に入れて研究を進め、その後も海老名市史編さんに関わる調査(2002d)、神奈川県上草柳第3地点南遺跡の学術調査(2000b)等で具体的に実践した。今日では、環境変動と人類遺跡の相関についての研究が盛んであるが、その先駆けとなる研究を展開した一人ともいえる。
【資料の保管・活用の実践】
調査研究を進める一方、考古資料の保管・活用にも尽力した。
神奈川県台山遺跡・上和田城山遺跡、埼玉県殿山遺跡の出土品の再整理作業を行い(1995)、資料保管のあるべき姿を示した。石器の積極的な活用を見据えた保管方法を示したことは、重要な業績の一つである。
難解な石器研究を、市民に分かりやすく解説することにも注力した。岩宿フォーラム/シンポジウムの基調講演「時を紡ぐ人たち」(1994)、企画・監修を手掛けた『まんが大和の歴史 先土器時代』(1990b)、市民の講読を視野に入れた論文「石器に見る文化との出会い」(1993)、大田区立郷土博物館での講演録(2001a)、『海老名市史6通史編』(2003)等は、その代表的な著作である。これらでは、こよなく愛した映画の1シーンを織り交ぜるなどユニークな解説を加え、理解を助ける工夫を試みている。
調査・研究から保管・活用に至る総合的な実践は、個々の資料を真摯に評価する姿勢を貫いた表れといえる。

【主な著作】
織笠 昭 1977「先土器時代・石器」『新橋遺跡』pp.18-74 国際基督教大学考古学研究センター
織笠 昭 1978「鈴木遺跡Ⅵ層出土石器群についての一考察」『鈴木遺跡』Ⅰ pp.278-328 鈴木遺跡刊行会
織笠 昭 1979a「中部地方北部の細石器文化」『駿台史学』第47号 pp.81-98 駿台史学会
織笠 昭 1979b「ナイフ形石器と切出形石器-東京都における武蔵野台地第Ⅳ層の例から-」『神奈川考古』第7号 pp.21-47 神奈川考古同人会
織笠 昭 1980「近畿地方のナイフ形石器」『石器研究』1 pp.11-23 石器研究会
織笠 昭 1983「細石刃の形態学的一考察」『人間・遺跡・遺物-わが考古学論集1-』 pp.77-104 文献出版
織笠 昭 1984a「細石器文化組成論」『駿台史学』第60号 pp.71-93 駿台史学会
織笠 昭 1984b「石器形態の復原」『東京考古』2 pp.1-12 東京考古談話会
織笠 昭 1985「ナイフ形石器型式論」『論集日本原史』 pp.63-91 吉川弘文館
織笠 昭 1987a「相模野尖頭器文化の成立と展開」『大和市史研究』第13号 pp.44-73 大和市役所
織笠 昭 1987b「殿山技法と国府型ナイフ形石器」『考古学雑誌』第72巻第4号 pp.1-38 日本考古学会
織笠 昭 1987c「翼状剥片の構造的矛盾」『考古学研究』第34巻第1号 pp.79-86 考古学研究会
織笠 昭 1987d「国府型ナイフ形石器の形態と技術(上)」『古代文化』第39巻第10号 pp.8-23 古代學協會
織笠 昭 1987e「国府型ナイフ形石器の形態と技術(下)」『古代文化』第39巻第12号 pp.15-30 古代學協會
織笠 昭 1988「角錐状石器の形態と技術」『東海史学』第22号 pp.1-48 東海史学会
織笠 昭 1990a「西海技法研究序説」『東海大学紀要 文学部』第53輯 pp.97-106 東海大学文学部
織笠 昭 1990b『まんが大和の歴史 先土器時代』大和市教育委員会(企画・監修)
織笠 昭 1991a「西海技法の研究」『東海大学紀要 文学部』第54輯 pp.31-64 東海大学文学部
織笠 昭 1991b「先土器時代人の生活領域-集団移動と領域の形成-」『日本村落史講座6生活1 原始・古代・中世』 pp.3-26 雄山閣出版
織笠 昭 1992a「日本列島における片刃礫器と丹生1-B地点北区第二石器群の位置付け-」『大分県丹生遺跡群の研究』1 pp.461-524 古代學協會
織笠 昭 1992b「南関東における国府型ナイフ形石器の受容と変容」『えびなの歴史-海老名市史研究-』第3号 pp.1-23 海老名市企画部市史編さん室
織笠 昭 1992c「茂呂系ナイフ形石器型式論」『加藤稔先生還暦記念 東北文化論のための先史学歴史学論集』1 pp.341-370 今野印刷
織笠 昭 1992d「南関東における西海技法の受容と変容」『人間・遺跡・遺物-わが考古学論集2-』 pp.75-92 発掘者談話会
織笠 昭 1992e「弥三郎第2遺跡・縄文時代草創期」『土気南遺跡群Ⅱ』千葉市文化財調査協会・千葉市土気南土地区画整理組合
織笠 昭 1993「石器に見る文化との出会い-先土器時代の柏ヶ谷長ヲサ遺跡から-」『えびなの歴史-海老名市史研究』第5号 pp.81-103 石器に学ぶ会
織笠 昭 1994「時を紡ぐ人たち-岩宿石器文化の編年付けとその変遷-」『第2回 岩宿フォーラム/シンポジウム 群馬の岩宿時代の変遷と特色 予稿集』pp.2-14 笠懸野岩宿文化資料館・岩宿フォーラム実行委員会
織笠 昭 1995「石器文化資料構築過程としての『埋蔵文化財の保管と活用』のために」『近藤義郎古稀記念考古文集』pp.51-58 考古文集編集委員会
織笠 昭 1997「戦後日本考古学における研究会活動の現在的意義」『人間・遺跡・遺物-わが考古学論集3-』 pp.511-527 発掘者談話会
織笠 昭 1999「ナイフ形石器形態型式論」『石器文化研究』7 pp.289-305 石器文化研究会
織笠 昭 2000a「茂呂系ナイフ形石器の形態学的一考察-茂呂遺跡の資料による石器器体角度研究-」『石器に学ぶ』第3号 pp.145-194 石器に学ぶ会
織笠 昭・會田信行・上小澤桂一 2000b「大和市上草柳第3地点南遺跡-先土器時代における人と火の関わり-」『第24回神奈川県遺跡調査・研究発表会発表要旨』pp.9-16 神奈川県考古学会
織笠 昭 2001a「石器製作の方法」『ものづくりの考古学-原始・古代の人々の知恵と工夫-』pp.155-181 大田区立郷土博物館編 東京美術
織笠 昭 2001b「再び「石器で人を愛せるか」」『季刊考古学』第74号 pp.67-69 雄山閣
織笠 昭 2001c「先土器時代文化2001」『石器に学ぶ』第4号 pp.1-56 石器に学ぶ会
織笠 昭 2002a「花見山型有茎石鏃・有茎尖頭器形態論」『地域考古学の展開』pp.13-31 村田文夫先生還暦記念論文集刊行会
織笠 昭 2002b「石器を測る-先土器時代の石器器体角度研究-」『日々の考古学』pp.293-308 東海大学考古学研究室開設20周年記念論文集編集委員会
織笠 昭 2002c「先土器時代文化2002」『長野県考古学会誌』99・100号 pp.3-32 長野県考古学会
織笠 昭・辻本崇夫・金井慎司・柴田 徹・望月明彦 2002d『海老名をめぐるいにしえの土・時・草・石』海老名市史叢書8 海老名市
織笠 昭 2003「序章 自然と人間 第二章 先土器時代」『海老名市史6通史編 原始・古代・中世』pp.25-54・55-131 海老名市
織笠 昭 2005『石器文化の研究-先土器時代のナイフ形石器・尖頭器・細石器-』新泉社

※ 織笠昭2005『石器文化の研究』及び神奈川県考古学会2005『考古論叢神奈河-織笠昭先生追悼記念号』に主要論文が再録され、業績の詳細がまとめられている。あわせてご覧いただきたい。

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