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【た】 田名向原遺跡

田名向原遺跡(たなむかいはら いせき)

                     玉川文化財研究所 麻生順司
【位置と立地】
 田名向原遺跡は、神奈川県相模原市田名塩田三丁目313番3外(北緯35°31′33″、東経139°21′30″)に所在する遺跡であり、相模原市№185として登録されている。地勢的には相模原市の西側を南東方向に流れる県下最大級の河川である相模川の左岸にあたり、相模川の東側には相模野台地が大きく広がる。遺跡はこの相模川に向かって緩く突出した崖線上に位置する。
 本遺跡を含む田名塩田遺跡群向原遺跡は、この相模川からの離水時期が最も新しい陽原段丘面に立地する。さらに向原遺跡の旧石器時代では№1~№5地点の遺跡が確認されており、№1・2地点は陽原段丘面の塩田第3面(Ms3面)、№3~5地点は塩田第4面(Ms4面)にあたる。田名向原遺跡はこの内の№4地点にあたり、Ms4面に立地し、現在の相模川からの比高差は約17mを測る。

【発見と調査】
 本遺跡は、相模原市田名塩田地区に計画された「しおだ土地区画整理事業」に伴う埋蔵文化財の事前調査として、玉川文化財研究所により平成4年から11年にかけて計7期の本格調査が行われた。この一連の調査において、№4地点より平成9年3月に後期旧石器時代に属する「住居状遺構」が発見された。この旧石器時代に属する住居状遺構は、本邦初の発見として大きく報道され、遺跡見学会では多くの市民が訪れることとなり、本遺構は平成11年1月28日付で国史跡の指定を受けるに至った。その際、国史跡指定地点を地区の旧字名である向原を用いて「田名向原遺跡」と呼称することとなった。

【住居状遺構と石器群】
 発掘調査では、ローム層下約50㎝の深さから遺物が出土し始め、3ヵ所の遺物集中部が確認された。その後、調査区北側の遺物集中部については2ヶ所の石器ブロック(1B・2B)と2基の礫群(SH1・SH2)として確認されたが、その南側からは径10mを測る大規模で円形を呈する遺物集中部が検出された。この遺物集中部は大きさもさることながら出土レベルも1m以上の厚みを持つものであり、最も遺物が集中するピークレベルでは遺物分布の外周部に拳大の礫を円形に配置したような特異な状況が認められた。
 この外周円礫の内側からは、最終的には3,000点を超える遺物と大量の炭化物が検出されたが、これらの大量の遺物を取り上げ、外周に環状配置された礫のレベルで精査したところ、遺構の中央部に炉址と考えられる焼土のブロック群が2ヶ所発見され、外周円礫の内側に沿った状態で柱穴状の青黒いシミ状の土壌変質部が計12ヵ所確認された。
 遺構の規模は、環状に配置された外周円礫の大きさから東西方向10.5m、南北方向は9.8mを測り、平面の形状はほぼ円形を呈しているものである。なお、外周円礫の南側には約1.5mの円礫が途切れる部分が観察され、この部分では外周円礫の両端が内側に湾曲する状況も認められることから、出入り口施設の可能性も考えられる。
 このように本遺構は、施設の範囲を示すような外周円礫が認められたこと、遺構を覆う上屋をかけるための支柱と考えられる柱穴が発見されたこと、そして施設内に厨房用あるいは暖をとるためのものと考えられる炉の跡が確認されたこと、というように住居を想定する上で重要な3つの構成要素が1ヵ所で確認された遺構であることから「住居状遺構」としたものであり、このような遺構は本邦初の発見である。なお、住居状遺構の年代としては、9号柱穴と10号柱穴から出土した炭化物のAMS法による放射性炭素年代としてそれぞれ17,650±60、17,630±50という数値が得られている。
 住居状遺構からは合計3,068点の石器が出土した。これらの石器群の分布状態は外周円礫にほぼ重複する円形を呈した分布が認められ、外周円礫を境にその外側ではほとんど遺物が認められなくなることも大きな特徴である。
 石器の器種別の内訳は、第2次調査も合わせると尖頭器195点、ナイフ形石器26点、クサビ形石器9点、彫器3点、細石刃状剥片5点、二次加工のある剥片71点、使用痕のある剥片85点、剥片類2,584点、石核27点、敲石3点、磨石状円礫3点である。石材別では黒曜石が8割近くを占めて主要な石材となる。その他の石材としては凝灰岩・頁岩・安山岩などがややまとまった点数を示すが、割合的には少数である。
 この石器群の中で本遺構を大きな特徴としては、定形石器としても最も大量に検出された尖頭器の存在である。これらの尖頭器の内容としては従来から一般的に行われている分類である両面調整・半両面調整・片面調整・周辺調整の各種が認められ、点数的には周辺調整尖頭器が最も多く確認された。また、これらの尖頭器の素材となった石材としては、第1次調査では9割近くの171点が黒曜石であり、その内の105点が長野県の麦草峠産であった。この様に信州系を中心とするが、伊豆や栃木県の高原山産など神津島産を除く関東各原産地の黒曜石が持ち込まれていることにも注目される。一方で点数的には黒曜石よりも少ないが、非黒曜石を用いた各種尖頭器も確認されており、在地系と考えられる凝灰岩をはじめとして頁岩や安山岩、チャートや砂岩などの石材も確認された。
 このように本遺跡は、住居状遺構を中心としてそれを一部取り囲むようにブロックと礫群が存在するという配置的な特徴が認められ、旧石器時代の新たな「遺構群構成」を示しているものとして重要な遺跡である。

【収蔵と見学】
 「田名向原遺跡公園」として保存・公開されており、隣接する「史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館(旧石器ハテナ館)」で遺物や遺跡の内容が展示されている。

【文献】
相模原市教育委員会 2003『田名向原遺跡Ⅰ』相模原市しおだ土地区画整理事業に伴う旧石器時代発掘調査
相模原市教育委員会 2004『田名向原遺跡Ⅱ』史跡田名向原遺跡保存整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告及び研究調査報告
相模原市教育委員会 2006『田名向原遺跡Ⅲ』史跡田名向原遺跡公園整備工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告

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