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荒屋型彫刻刀形石器         【旧石器電子辞書】 <あ>

                  【執筆】 明治大学 小野寺優斗

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【定義】
 彫刻刀形石器【註1】の一型式。新潟県荒屋遺跡出土の彫刻刀形石器を示準とする。
 定義は研究者によって微妙に異なるが、少なくとも次の要件を満たす石器である。 すなわち、素材となる剥片の周辺に急斜度調整(①)を施し、その先端から左肩にかかる縁辺に樋状剥離(②)を施して彫刻刀面(③)を作出した石器である。

【技術・形態】
 示準となる新潟県荒屋遺跡出土の彫刻刀形石器は、当初芹沢長介により3形態に分類されたが(芹沢1959)、加藤学によれば、今日ではそれら全てを荒屋型彫刻刀形石器とする認識が一般的とされる。共通する特徴として、(1)素材となる剥片の周辺に急斜度調整を施し、先端部を尖頭器状に仕上げる、(2 )先端部から左肩にかかる縁辺に樋状剥離を施し彫刻刀面とする、(3 )彫刻刀面の打点付近にノッチ状の加工が施されるという点などが挙げられる(加藤 2003)。また、腹面基部に入念な加工(④)が施される事例もみられるほか、フラットグレーバー状剥離(⑤)と呼ばれるものが彫刻刀面から石器のおもて面にかけてなされる場合も多い(綿貫・堤 1987)。石材は珪質頁岩が特に多く用いられるが、黒曜石で代替される事例も北海道の黒曜石産地近辺ではみられる。

【機能】
 “ 彫刻刀 ” と聞くと先端部で溝を掘る道具というイメージが強い。しかし使用痕観察に基づくと、先端ではなく彫刻刀面の側縁などを用いている事例が数多い。埼玉県深谷市白草遺跡の彫刻刀形石器 21 点の使用痕分析では、先端部ではなくファシット腹面(彫刻刀面と腹面のなす縁辺)での使用が 19 点にみられ、ファシット腹面を用いた骨角の削りが想定された(堤1997)。また、荒屋遺跡の彫刻刀形石器の使用痕分析では、基本的には骨・角の削りと乾燥皮なめしの 2 つの作業に用いられたと推定された(鹿又 2003)。いずれにしても集団の生業と強く結びついた機能を示していると考えられる。

※ トップの写真が、白草遺跡の彫刻刀形石器のファシット腹面にみられる光沢。メルティング・スノーなどのニックネームがあり、骨角の削りで付いた使用痕。

【時期】
 後期旧石器時代後半期の細石刃石器群段階

【分布と組成】

 北方系削片系の細石刃石器群に伴うことから、一般に東北日本を中心として分布し、岡山県恩原遺跡でも確認されて、その南下を示している。また、シベリアのバイカル湖周辺やアラスカでも同形態の彫刻刀形石器が確認され、広範なその分布がうかがえる。一方、非削片系の細石刃石器群をもつ長野県矢出川遺跡では、2000 点以上の細石刃が出土しているにもかかわらず、
荒屋型を含めた彫刻刀形石器を組成しない点で対照的である。

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【研究略史】
 1958 年、芹沢長介によって新潟県荒屋遺跡の発掘がおこなわれた(芹沢 1959)。第 1 次調査では細石刃676 点、「舟底形細石刃核」24 点などに加え、401 点の彫刻刀形石器および 1012 点の削片が共に発見された。長野県矢出川遺跡で確認された細石刃石器群と大きく異なるその組成に加え、当時類をみない数の彫刻刀形石器と削片に特殊性を認めた芹沢は、荒屋遺跡出土の彫刻刀を3形態に分類し、そのうちの一つを「荒屋形彫刻刀」と命名し他と区別した。しかし荒屋型彫刻刀形石器の定義は芹沢自身の著作内でも揺れがみられ【註2】、他の3形態全てにも認めるとの認識が水村孝行によって示される(水村 1977)。その後、荒屋型彫刻刀形石器を定義する明確な要素の必要性が主張され(山中 1982)、認定のための必要条件が提示された(綿貫・
堤 1987)。
 以上のような型式学的分類に加え、特に 90 年代以降になると石器に残された使用痕を分析する研究もさかんになり、彫刻刀形石器の機能の見直しがはかられるようになる(堤 1997・鹿又 2003)。また、着柄に関する言及もなされ(山科 2002 など)、総括的な理解も示されている今日である(加藤 2003)。


(1)「彫器」・「彫刻刀」ともいう。芹沢は「彫刻刀」の名称を採用しているが、ここでは技術形態学的特徴から、少々まわりくどいが「彫刻刀形石器」
の名称を用いる。
(2) 芹沢による 1974 年の一般書には「剥片を素材とし、まず全周に裏面からの打撃を加え、さらに基部だけには表面からも打撃を加えて両面加工とし、最後に右肩から左肩にかけて彫刻刀面をつくりだしたもの」(芹沢 1974)という解説が記されている。この特徴は 1959 年の分類の中で第二分類とされる石器にのみ当てはまる特徴であり、少なくともこの時点で芹沢は荒屋遺跡出土の彫刻刀形石器を幾分限定的に捉えていたことがうかがえる。もっとも、一般書であるため記述が簡素化されたという可能性もある。

【引用文献】
加藤 学 2003「いわゆる荒屋型彫器の形態的検討―範疇の検討と地域性の比較―」『シンポジウム日本の細石刃文化』Ⅱ pp.25-52 八ヶ岳旧石器研究グループ
鹿又喜隆 2003「荒屋型彫刻刀の機能―荒屋遺跡第 2・3次発掘調査出土資料の分析を通して―」『シンポジウム日本の細石刃文化』Ⅱ pp.11-24 八ヶ岳旧石器研究グループ
芹沢長介 1959 「新潟県荒屋遺跡における細石刃文化と荒屋形彫刻刀について ( 予報 )」『第四紀研究』1-5 pp.174-181
芹沢長介 1974『古代史発掘Ⅰ 最古の狩人たち』 164p. 講談社
堤  隆 1997「荒屋型彫刻刀形石器の機能推定―埼玉県白草遺跡の石器使用痕分析から―」『旧石器考古学』54pp.17-36
東北大学考古学研究室編 2003『荒屋遺跡 : 第 2・3 次発掘調査報告書』267p
水村孝行 1977「荒屋型彫刻器について」『埼玉考古』16pp.15-32
山科 哲 2002「荒屋型彫器の刃部再生」『駿台史学』115 pp.27-56
山中一郎 1982「荒屋遺跡出土の彫器 ―型式学的彫器研究の試み― 」『考古学論考』pp.5-40
綿貫俊一・堤 隆 1987「荒屋遺跡の細石刃文化資料」『長野県考古学会誌』54pp.1-20

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