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【ゆ】 由井茂也

1 生い立ち
 由井茂也【ゆいしげなり】(1905-2004)は、長野県南佐久郡川上村の農家の末子として生まれ、20代には農民運動に参加して、反戦や天皇制反対などの活動をした。敗戦時40歳、台地に真の歴史を知りたくて考古学にのめりこんだアマチュア考古学者。
 岩宿発見(1949)後の1953年、川上村馬場平遺跡においてローム層中から芹沢長介らとともに尖頭器石器群を発掘、同年の12月には野辺山高原の矢出川遺跡(写真上:左由井・右芹沢)において日本ではじめて細石刃を確認する。
 その後、佐久考古学会長などを歴任し、藤森栄一賞なども受賞している。長命を得て、享年100歳にて没した。

コラム3 図1

写真2 馬場平遺跡の調査
右から由井茂也・岩崎卓也・麻生優・芹沢長介(手前)・吉崎昌一(背後)・高橋護・戸沢充則・左端人物不明 

2 考古学的業績
 日本の旧石器研究の開始期に、芹沢長介らとともに馬場平遺跡で尖頭器石器群の調査にあたり、矢出川遺跡で採集した石器から芹沢とともに日本で始めてという細石刃石器群の調査へとつなげた。
 1979~1981年には、戸沢充則をリーダーとする明治大学の矢出川遺跡群総合調査に参画し、矢出川遺跡の学際的研究の舵取りを行った。
 また、佐久考古学会長として佐久地域の考古学の発展に寄与した。また、自らが発見した矢出川遺跡の保存運動に携わり、矢出川遺跡を国史跡として1995年に指定に導いた。
 明治大学考古学専攻生や京都女子大考古学研究会など多くの学徒の育成にもあたった。

3 著書・論文
由井茂也 1993『草原の狩人ー由井茂也日記抄ー』311p.鬼灯書籍
由井茂也ほか 1992『川上村誌-先土器時代編-』498p.川上村誌刊行会

※ 由井茂也の生い立ちや人的交流については、以下に掲載される。
堤 隆編 2005『佐久考古通信-由井茂也顧問追悼号-』No.94・95合併号
https://sitereports.nabunken.go.jp/70805

4 年譜
1905(明治38)年 0歳 1月23日、川上村御所平に由井保平の末子として生まれる
1917(大正6)年 13歳 尋常小学校卒業後、家業を手伝う
1926(昭和元)年 20歳 新潟の無産農民学校で学ぶ
1930(昭和5)年 25歳 御牧ケ原大運動会で反戦・天皇正反対・治安維持法反対などのビラをまく
1937(昭和12)年 32歳 群馬県妙義町島田芳江と結婚。
1942(昭和17)年 37歳 長女伴子誕生
1944(昭和19)年 39歳 長男猛也誕生
1946(昭和21)年 41歳 次女明子誕生
1947(昭和22)年 42歳 川上村村議会議員当選、議長となる
1949(昭和24)年 44歳 次男茂樹誕生
1953(昭和28)年 48歳 馬場平遺跡の調査。矢出川遺跡で日本発の細石器の発見
1954(昭和29)年 49歳 矢出川遺跡の第1次調査
1965(昭和40)年 60歳 川上村文化財保護委員
1973(昭和48)年 68歳 佐久考古学会長となる
1980(昭和55)年 75歳 長野県考古学会より藤森栄一賞受賞。野辺山シンポジウム
1981(昭和56)年 76歳 長野県教育委員会より教育功労者表彰。野辺山シンポジウム
1985(昭和60)年 80歳 長野県考古学会矢出川遺跡保存対策委員長となる
1992(平成4)年 87歳 文部大臣より地域文化功労者表彰
1993(平成5)年 88歳 『草原の狩人―由井茂也日記抄―』刊行。文部大臣表彰と出版を祝う会
1995(平成7)年 90歳 矢出川遺跡国史跡指定
2003(平成15)年 98歳 矢出川遺跡発見50年
2004(平成16)年 99歳 白寿。11月、100歳を祝う会
2004(平成16)年 12月27日、享年100歳にて逝去

             ( 堤  隆 八ヶ岳旧石器研究グループ )

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