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そうしてまた、私は私と共に生きてゆく。(2018/3第1回目課題)

やっぱり私は書くのが遅い。
正しくは書くのが遅いというか、書き始めるまでが遅い。「焦らなくていいですよ」なんて言われた日にはもう、じゃぁいっかぁ降りてこないもんは降りてこないし♪なんて、後回しに出来るものはなんでも後回しにしてしまう癖が最高によくない。
最高によくないのだが、本当は実は頭の中ではきっとアイディアはぽんぽん浮かんでいるんだよね。
浮かんでいるのだけど、浮かんでから消える迄の時間が短すぎて自分でそのアイディア達を追うことができない。
もしかしたら浮かび過ぎて何を選べばいいのかわからなくなって、後回しにしてしまうのかもしれない。そしてアレコレ他者からの評価を必要以上に気にし過ぎて前に踏み出せない。
いずれにせよ、ADHDの私らしい理由だ。頭の中が多動、マジ多動。優先順位付けられない、整理整頓できない、自分に自信がない……ある程度割り切って考えようとしているが、そう簡単に受け入れられるものでもないようだ。

……とは言え、ずっとそんな言い訳を言っていても仕方ないので。
一応、「私のかたち」という課題が提示されてから、幾つか脳内に浮かんだ事をメモ帳に書き起こして見た。やっぱり書いているうちに盛り上がってきた!と思えばふとした時に書いている無いように冷めて飽きてしまう事を繰り返した。

1つは自分がかたちという言葉が嫌いだ という話。
幼い頃は図工だろうが、家庭科だろうが、手本通りのかたちに図形を切り抜けない雑さついてよく怒られたからとか。また、新卒一括採用とか会社のありかたとか、世の中のかたちが自分の生き方を縛る(自分から縛られに行っている)ものだなんて事をメモした。でも、メモをし続けていたら、自分も凹んだ。無意味やたらに私は不幸です自慢をしている気持ちになり、あまりにも大人気なくて落ち込んだ。

じゃあ次は全然違うことを書こう!と切り替える。2つ目は自分が文章を書くにあたって理想とする環境についても考えた。いつ何時も眠気に負けて何事も継続が出来ないのが問題なら、究極的には布団の中で寝ながら書くのが理想なんじゃないかって話を途中まで書いた。
ただ、「千葉住んでた時は夜中冷蔵庫の隣座って 3、4日書けて携帯(iPhone4のフリック入力)で10000字のエッセイ書くとか」なんていう若干おかしな事もやっていたなぁと思うと、しっくりこなくなってしまった。更に課題〆切の日に(〆切の日に……)会社帰りにBluetooth接続出来るちょっといい折りたたみ式キーボードを入手した。おかげで携帯執筆の効率がガラッと変わったので、最高の環境は布団の中ってわけでもない気がしてしまった。(それでもiPhoneSEユーザーなので画面は小さいことに変わりはない。)
というか、ただただ全てにおいて、書いていることにすぐ飽きた。やりかけたらすぐに飽きる、持続性がないのも大問題だ。

と、散々考えるうちに、どんどんと皆さんの課題文が提出されていく。当たり前だよな。
気になるので拝読させていただいたが、一様にして皆さん書くことを楽しんでいらっしゃった。「心の奥底の痛い部分ですが……」みたいな注釈もあったりしたけど、それを含めて楽しそうに見えた。自分はなぜこの状況を切迫詰まった空間と捉え、課題も【やるべきもの・こなすもの】と捉え(まさにこれがかたちに囚われている嫌な自分だ)「楽しもう」という気になれないのか。やっぱり怖い。そう言えば書くことは嫌いじゃないがこの方楽しいと思った記憶は1度もない。楽しいから書くのではなくって、書かないと生きていけなかった から、家の隅っこで携帯で10000字もエッセイ書いたりしてたんだ。私を苦しめる脳内の有象無象の思考を言語化し、自分の身体から切り離す。そして切り離した思考は文字になる。文字は記号だ。所詮、記号だ。私特有の思考は、万人が識別可能な記号になる。もう、この記号の羅列は私特有のものではない……。

散々私を苦しめた思考は、一時的にどうでもよくなる。その作業を繰り返し行うことは、私にとっての日課だった、ような気がする。しかしそれも前の話だ。今は、10000文字のエッセイをフリック入力オンリーで書くなんて気が遠くなるようなことする気も起きない。常々言っているが、私はできれば書かずに生きて行きたい。なぜなら、書くこと、とりわけ自分自身について書くことは辛いことだからだ。自分自身の弱さの手綱を引くのに相当労力を費やす。

と言いつつもここに来る前もいくつかの書くコミュニティに属していた。
いくつかのエッセイは読んでくれた人たちの心に響いた様だ。(実は2回ぐらい文学フリマにも出ている。今思うと恥ずかしいけど。)
3年前は、10万円ほど払って半年間、文章力養成講座通ってたりもした。あるコピーライターの先生の授業で、何度か褒めれて著書を記念に頂いたりしたし、頼まれ仕事だけど数ヶ月間、音楽ライターの仕事もした事がある。
今もゆるく繋がっている人たちももちろんいるけど、2018年3月現在私自身別に書くことに重きを置いた生活はしていない。

今の私の生活は、週5、毎日毎日「早く事務職やめたいこんな退屈な所にいたら脳が死ぬ」と思いながら働いて、帰宅したら最低限の家事をし、ホットヨガスタジオに行って昼間に死んだ脳を蘇生させ、23時には寝る。そして7時に起きてまた同じ事を繰り返す。脳を殺して身銭を得る作業を繰り返す。規則正しいカレンダー通りの生活をひたすら消費するに至る。
毎日の生活でさえ脳疲労が半端ないのに、さらに上記の様に辛い思いをして文章を書く意味がわからなくなった。1円も貰えないどころか出ていくお金の方が多い。でも、年単位で書く事をはじめては辞めてを繰り返した結果、それでも私はまたここにいる。お金を払ってでも、ここにいる。

ここにいるってことは、「書きたい」ってことで、
「書きたい」って言うことは「伝えたい」ってことだ。

書きたくなったらいつでも書いて読ませてください、ずーっと待ってます。「しらいしななこ」の切実なのに自分を突き放した感じ、やっぱり好きだなーって思います。

脳疲労の後の帰り道、私はふとそのFBコメントを思い出した。車の往来激しい夜7時ぐらいの白山通りを歩きながら思い出した。思い出した途端、涙が出て来た。一時期私が書いていた頃に、お世話になった方からのコメントだ。

私が今なんにも書いてなくても、でも「待ってます」って、言ってくれる人の存在を思い出した。「切実なのに自分を突き放した感じが好き」 と彼女はずっと言ってくださっていて、その感想を私は1番信頼している。
だって多動で自信のない私には私の書くことの良し悪しがジャッジできない。それなら、一旦彼女の言葉に寄りかかろう。

「私が書きたい事じゃなくて、彼女のために、今の私について書こう。」

そうすれば、おのずと「私のかたち」が書ける気がしたんだ。

先日、私はパートナー(以下同居人)を実家に連れて帰った。彼と付き合い出してからこの春で3年になり、同居人が「同居」してからも3年弱になるだろうか。初めは千葉の実家を飛び出し、後楽園の同居人の部屋に転がり込むかたちで同居がスタートしたのだが、1年弱で部屋の狭さに限界を感じ引っ越した。今の家に越してから、2年と言ったところか。今は文京区と豊島区の狭間辺りで暮らしている。そして、私は来月同居人と入籍をする。

その為、実家には入籍の報告に行った。

家に通されてからすぐ居間に通された。
土曜日の昼間の話なので、着いたらすぐご飯かなあと思っていたけれど、テーブルの上には何も並んでない。その場に座るように言われ、ちょっとドキッとした。「めんどくさいから言いたいことはさっさと言ってしまおうぜ」という空気を作ってくれたようだ。
これまでも何度か同居人はうちの実家に遊びに来てくれているので、あからさまに何喋っていいかわからない独特の緊張感はなかった。ただ、「いつ話を切り出そうか……」と悩んでいたので、そういう空気を両親が作ってくれたのはありがたかった。

取り敢えず同居人が両親の前で「入籍いたします・式は挙げません・両家顔合わせの日程はこれから調整します」と言った。それに対して両親は「わかった、おめでとう、日程早めに連絡ちょうだいね」と返事をした。一方私はその場で適当に「あ、ありがとうございます」とか言っていただけだった。その間、客人がやってきたと、にこにことその辺を駆け回っていた柴犬の小太郎は、ご飯がなかなか出てこないことを悟ると、退屈そうにテレビの前に寝っ転がってしまった。私も父も母も同居人も、皆そんな小太郎の様子を横目で見ながら会話をしていた。

そういうわけで、「業務連絡」は30分ほどで済んだ。あっさりと済んだ。
私がトイレに立った時に父親は予め用意していたウイスキーの瓶2本を同居人に差し出していた。

その日の昼ごはんは、冷凍餃子と春雨サラダ、クックドゥで作ったエビチリなど、適度に気の抜けた具合のメニューが丁度良かった。なんなら初めて同居人が実家に来た日の昼ごはんの方が豪華だったぐらいだ。あの時は寿司を取ってくれたり、前日から母が料理を仕込んでいてくれた。

私達は新婚旅行に行かないが、父親は今年の夏、1人で2週間アメリカを旅するらしい。そんな話をしたり、GoogleHomeに話しかけて音楽を流してみたり、「やっぱりラジオがいい」っつってタブレットでラジオ流したり、ラジオに飽きたらパラリンピックを見たり……。とそれはただのしらいし家の団欒である。同居人にとってどう映ったかは知らないけど。

入籍の報告なんて意外と、でもないが、世の中が思うようなドラマチックな発言なんて何1つなかった。「娘さんを僕にください」なんて台詞もなければ「お前なんかに娘はやらん!」と言われることもない。
だから、両親に言われた「おめでとう」の言葉もどこか他人事のようであった。
あ、これっておめでたいんだ、へーふーん、って感じ。書いている今も「入籍」なんて言葉使うのがぎこちない。
明治大学に受かった時の方が全然おめでとう感を感じたし、(第一志望ではなかったけど)昔塾講師のバイトをしていた時、担当生徒の志望校合格連絡を受けた時の方が嬉しかった。別に私は結婚のために別段の努力はしていないからなのだろうか。
ただ、努力こそしていないが、私は同居人と結婚したかった。1つは年齢や世間体を気にして、どうしても結婚した方がいいのではないかと思った。それは否定しない。なぜさらに何故相手が同居人なのかというと、一緒に生活をしていて居心地がよく、頼りになる相手だったからだろう。付き合っているうちに私は同居人と「家族」になることを自然と望んだ。何を「家族」と規定するかは個々人の判断によるが、私の場合、根底には結局「今の家族」が好きだから「家族」っていいものだな、そこが居場所になるなぁと思っていた。(無論私も相当心身荒れていた時代があり家族間でも色々あった)
ひとつ、私の願いが叶う事になるのだからもう少し喜んでもいいのかもしれない。でもいざ当事者になると結構他人事かと思うほど冷めている。そう言えば今思い出したけどプロポーズもされてない上に、結婚式もやらなければ指輪も買わない。お互いそれを必要としていないからだ。取り敢えず今は指輪よりiPad Proが欲しいし、そのお金があるなら1年ぐらい1人で海外留学でもしたい。それこそ新婚旅行の計画もないので、会社から与えられる慶弔休暇で1人で旅行行ってもいいかなレベル。盛り上がりに欠けると言われて仕舞えばそうなのだが、だってないもんはないんだもん。「プロポーズされたらゼクシィ」というキャッチコピーも響かない。または「プレ花嫁さん」なんて言葉で今の私を形容することもできるのだろうが、結婚式を挙げない私にとっては当事者意識皆無なフレーズだし、そもそも「嫁」とか「奥さん」という言葉も嫌いだ。身体に全然染み付いてこない。言われただけでぞわっとする。初めはみんなそんなもんなのだろうか。私は私だし、名字だって本当は変わりたくない。何も変わりたくない。でも事実、名字は変わる。戸籍も変わる。変わるものは変わる。それなら「変わる」事を前向きに捉えればいいんだ。「状況が変わる」のではなく、「私自身が変わる」だけなんだ。

結婚した女性は何かと不自由なことが多いとか、生活に制限がかかるなんて絶対そんな事ないと私は信じている。もちろん結婚して仕事を辞め、専業主婦になった友達もいる。お互いの家庭、その親の都合など、なんだかんだあるのかもしれない。その一方で結婚して会社を辞めてフリーライターになり、最終的に故郷栃木に移住した友達もいる。また、夫婦で事業を始めた友達もいる。結婚してからチャンスを掴み、「未来どうなるかわかんないけど」なんて言いながらひとりで海外に行って仕事をしている知り合いもいる。(実際に何年も会っておらず、FBで把握した限りなので実際に会って話をしたい)
前述のように私の実家は結婚式を挙げなくても何も言われない位自由だし、同居人も何も言わない。むしろもっと自由に好きな事やって金稼げと私に言う。(ちなみに同居人はフリーランスのライターだ)
だから。なんか、今は動き出す時なのかなって思って。興味持った事、今まで尻込みしていた事にもっと手を伸ばして見る。別にいいじゃんね、結婚をきっかけにどんどん色々な世界を見て、色々な気づきをして、自立していくんだよ。別に普通のことじゃんと思うんだけど。

ただ、根本的に私は自分自身に自信もないし、劣等感に塗れて生きている。課題を出すのが遅ければ、文章も雑。可愛くもなければ化粧もうまくない、インスタ映えする写真の1つも撮れない。結婚なんて遠い夢かと思っていた。「家事出来ないと嫁にやれない」と言う母の言葉をひどく嫌い、「嫁にやるっていう言葉が嫌いだ」「女性らしさを押し付けるな、結婚なんてどうせ出来ないんだ」と結構真剣に怒ってヒステリックになって、わんわん泣いてその後自傷してた位だった。別に過去その時の感情を捨てたわけじゃない。その時の自分の気持ちは間違っていない。しかし、そんな私が、親に対して入籍の報告をした。そんな日が来た。独身から既婚者へとステータスがアップデートされるんじゃない、白石菜々子が次の白石菜々子にアップデートするんだ。

ちなみに目標を書くのも恥ずかしいがせっかくなのでちょっと残しておく。
今の私の目標は、過去の自分自身の悩みとかつまづきを基に、今同じようなことに悩んでいる人たちに向けたコラムを書くことだ。ADHDなりの生きづらさ、とりわけ障害者手帳を貰える程の症状でもない人間の生きづらさ・生き方を書きたい。ちゃんとお金をもらって仕事として書きたい。そんなことを、やってみたいなって思っている。こんな私でもって、押し付けがましいことは言いたくない。ただ、自分の経験をアウトプットしたものが、いつかどこかで誰かのちょっとした何かになればと。思う。

以上。


おまけ
報告に行った日の夜の、我が家の家族LINEの様子。改めて見ると恥ずかしいは恥ずかしいが、それでもあまり自覚はない。
ただ、私が使っているいらすとやパーティーのスタンプは最高に使いやすい。
ただ、寧ろこんなLINEのやりとりをする家族の戸籍から、自分の名前が抜けてしまう事はとても寂しい。寂しくて寂しくて涙が出てくる。でも、だからこそ、寂しいだけに終わらせたくない。
あくまでも、私がアップデートされるだけだ。そう思ってないと、やっぱりめそめそしちゃう。
いい嫁さんになる気はちゃんちゃらないから、いい私に変わりたい。そういう話です。
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